行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

『水五則』講話(2)

2012年02月28日 | 禅の心
『水五則』講話(2)

「常におのれの進路を求めてやまざるは水なり。」

他人を教え導くためには、自分自身に厳しくして、勉学に励み、自分自身をリードする必要があります。そのためには、自分は完成した人間ではなく、まだまだ未熟者だという謙虚さが必要になります。
自分にはもうこれ以上学ぶことはないという人はいないはずです。生涯、学んでいき、自分を磨いていくことが必要です。
人を指導することは自分を指導することである。人に教えるということは、自分に教えることである。
人の上に立つということは、自分自身に厳しくなくてはなりません。自分を甘やかしていては、人を導いていくことはできません。
閻魔大王は、地蔵菩薩の化身です。閻魔大王が人を裁いたあと、灼熱に煮えたぎる溶けた鉄を飲み込んで、我が身を焦がすと言います。人を裁くことは、そのくらの覚悟が必要だということです。
リーダーとなる者にはそれなりの覚悟が必要なのです。



『水五則』講話(1)

2012年02月24日 | 禅の心
「みずから活動して他を動かしむるは水なり」・・・・・『水五則』講話(1)

『水五則』は、作者不明ですが、豊臣秀吉家臣の黒田如水(黒田官兵衛:黒田孝高)が座右の銘としていたことで有名です。かつては、『水五則』は黒田如水の作であると言われていましたが、定かではありません。ただ、儒教的というよりも、道教的な内容なので、儒学者の作ではないと思います。「水は方円に従う」と言いますが、水は相手に合わせることができます。そしてリーダーや先生は相手に合ったように指導していくのです。人徳のない人がいくら率先してやってみせても、人はついてきません。人を怒鳴ったり脅かして言うことをきかせることはできるのかもしれませんが、それでは部下や生徒が自らすすんで仕事や勉強をやる気にはなれないでしょう。さて、「みずから活動して他を動かしむるは水なり」は、リーダーや先生が率先して手本を示して、部下や生徒にやらせてみるという意味にとられがちですが、私は、それだけではないと思います。相手の長所をみつけて、褒めて励ましてあげることが、よきリーダーや先生の条件ではないでしょうか。さらにリーダーや先生には、温かい心や人徳が必要ですリーダーや先生には柔軟な心が必要です。力で部下を押さ
えつけていると、部下は他にそのはけ口を求めてしまいます。あるいは気力がなくなってしまいます。これでは組織全体がうまくいくはずがありません。柔軟心は活力の元なのです。

「心を忘れた科学には」

2012年02月21日 | 禅の心
「心を忘れた科学には幸せ求める夢がない」は手塚治虫のアニメ、ミクロイドSの主題歌の一節です。
まさに現代は科学が心を失ってきました。
科学技術は私たちの生活を豊かにした反面、環境破壊や、兵器として大量殺人を行ってきました。
快適さや豊かさなど、科学は表面的な幸せを実現してきたかもしれません。しかし、本当の幸せを求める夢を失っているような気がします。
私は、大学卒業後、大企業からの研究員の求人がたくさんあった時代なので、そちらへ進めばもっと豊かに暮らせたかもしれません。しかし、私は研究より人の心を大切にする仕事につきたいと思って現在に至っているわけです。
手塚治虫も理系の勉強をしながらそのような事を思ったのかもしれません。手塚治虫の「火の鳥」、特に太陽編、未来編などはまさに狂った科学が人間を滅ぼして行く話です。
手塚治虫は滅び行く地球に大きなメッセージを残してきたのです。



『諸悪莫作 衆善奉行』

2012年02月17日 | 禅の心
○諸々の悪をなすなかれ。良い行いをやりましょう。
七仏通戒偈と言って、釈尊と釈尊までに現れた六人の仏に共通する教えなんじゃ。

○悪いことをするな、良いことをせよと言うことは、小学生でも知っとるわな。

○これでは単なる道徳でしかない。

○仏の教えは、道徳ではないのだ。

○これは、悪いことをすることができない。良いことは自然にするという意味に考えたい。

○善悪を超えたところに、本当に善なるものがあるのだ。

藤井日達師の言葉

2012年02月14日 | 禅の心
驕慢の衆生を礼拝すべし  謙下の功徳を積まんがために
悪口の衆生を礼拝すべし  世間の機嫌を守らんがために
打擲の衆生を礼拝すべし 忍辱の修行を成ぜんがために
悪人を礼拝すべし  善人となさんがために
孤児を礼拝すべし  戦争の犠牲になるがゆえに
暗黒と阿修羅の娑婆国土と人間を浄化せよ


【言葉を味わう】
平和を願い、平和を愛し、不殺生戒を貫き通した、本物の僧が3人いました。
高尾山薬王院の山本秀順師、京都南禅寺の柴山全慶老師、そして、藤井日達師です。藤井日達師は、法華経の「常不軽菩薩」そのものでした。