行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

生きているということは

2011年11月29日 | 禅の心
高浜虚子の句に、
蜘蛛に生まれ 網をかけねばならぬかな

があります。

生物界には生態系があり、食物連鎖があります。
若き日の釈尊がある日、お城から出て田園地帯を散歩していますと、ちょうど今の日本の時期のように農夫が田畑を耕しておりました。耕している土の中から一匹の虫が出てきました。その虫をトンビが見つけて、くわえて舞い上がりました。そうしたら、トンビをみつけたワシがトンビをつかまえてしまいました。
釈尊は、一緒に歩いていた従兄弟の提婆達多(だいばだった)に
「悲しいね」
と一言もらしました。すると提婆達多は、持っていた弓矢でワシを射落としてしまいました。
生きとし生きるものは他の命を犠牲にして生きて行かなければならない。若き日の釈尊は大いに悩んだのです。
私たちは、命を大切にとか、不殺生戒を守ろうとかと言っても他の命を犠牲にしなければ生きて行くことができません。人間は場合によっては自分達の主張を通すために争い、傷つけ会い、殺し合うこともあります。私たちはそんな愚かな性を持ってこの世に生まれてきているのでしょうか。どんなに戦争反対と言っても地球上から戦争がなくならないのはなぜでしょうか。
人生最大のこの矛盾は誰にも解決する事はできないのかもしれません。しかし、ヒントはあるように思います。そのキーワードが、感謝とか尊敬という言葉だと思います。
食事の時には、他の命を犠牲にして生かさせていただいていますという気持ちをこめて「いただきます」と心をこめて言いたいものです。
人と喧嘩をしそうになれば、一呼吸置いて、相手のいい所を思い出したいものです。
そんなことではなかなか解決できないかもしれませんが、たとえ小さくても一人一人が明るく暖かい気持ちをもって、それを広げて行こうとすることが大事だと思います。

言葉は生きている

2011年11月25日 | 禅の心
不立文字といいますが、文字を使わないという意味ではありません。文字で表したくても表せないものがあるということです。言葉で表し尽くせないことがあるのです。
特に日本人はそれらを詩や短歌、俳句で表したり、庭や彫刻、絵画で表そうとしてきました。
私は最近、言葉を大切にすればこそ、言葉で表せない事があると思うようになりました。
今、言葉が乱れているのを悲しく思います。インターネット上でも悪口、ののしり、暴言など他人を傷つけたり殺したりする言葉であふれかえっているような気がします。言葉には命が宿り、言葉は生きています。汚い言葉やマイナスの感情は自分自身に跳ね返って来るものと心しておかなければなりません。
人間を滅ぼし、自らを破壊していくのは貪、嗔、痴(貪り、怒り、愚痴)の三毒です。
他人を傷つけたり意地悪をすることは結局は自分自身を不幸におとしめていることになるのです。
他人に優しく、思いやりを持って言葉を使って行くことが大切です。

怒りの炎は全てを焼き尽くす

2011年11月22日 | 禅の心
怒りの炎はすべてを焼き尽くす
愛情も 信用も
怒りの炎の勢いは
人を傷つけ 我が身も傷つける


不景気な世の中。、人々はいつもよりイライラした年の瀬を迎えているような気がします。子供に当たる親。お年よりに怒鳴り散らす駅員。けたたましく鳴り響くクラクションの音。店員にくってかかる客。
烈火のごとく怒る事は恥ずかしい。怒っている自分の顔を想像すると恥ずかしいものです。鬼とは怒っている人間の姿なのです。真赤な顔して怒るのが赤鬼。他人を冷たく扱うのが青鬼なのです。カッと頭に血がのぼったら、鏡をみてみましょう。そこには鬼がいるはずです。

強き心

2011年11月18日 | 禅の心
竹はしなやかだから折れにくいです。
鉄瓶は固いけど壊れやすく、鋼はしなやかだけどこわれにくいです。
心もしなやかな方が強いのです。
社会でも学校でも、不適応を起こして出勤、登校できない人がいるのはかなり以前からのことです。不適応を起こす人には傾向があって(必ずしもそうとは限りませんが)真面目で融通が効かない、物事を一方向からしか見ることができない、思考に柔軟性がないなどがあります。
心が柔軟であることは強さにもなります。
般若心経の《空の心》
こだわらないこころ
とらわれない心
かたよらない心

負けるが勝ち

2011年11月15日 | 禅の心
スキーではまず上手に転ぶことを学んでおかないと、転んだ時に大けがをすることがあります。つまり転ぶ(=負ける)練習が必要なのです。
五重の塔は日本人の誇るべき高層建築ですが、地震が起こった時に揺れに逆らわないようにしなやかに造られています。つまり、地震に対抗するのではなく、地震に身を委ねる構造なのです。日本人は、自然に逆らわずわざと負ける工夫をしてきたのでした。負けるが勝ちの論理なのです。
商品を値引きすることを「まける」と言いますが、実は「まける」ことによってたくさん品物を買ってもらおうというわけです。やはり負けるが勝ちです。
明治維新後、西洋的な考え方が入ってきたわけですが、これは勝ちの文化であったと言っていいでしょう。まず、列強諸国に倣って勝つための強い軍隊をつくりました。
現代も勝つ事を第一とした考え方が幅をきかせているわけですが、勝てば必ず負ける人がいるわけですし、いつか自分も負ける身になるかもしれないということを想像しなければなりません。現代人の弱さとはまさに負ける事に対する想像力が弱い点にあるのではないでしょうか。精神的にまいってしまいやすく、傷つきやすい。調子のいい時こそピンチの前兆であると考えておくことが大切なのではないでしょうか。
天女五衰と言います。天女も年をとって悩むのです。調子が良くてもピンチの時のことを考えて心の準備をしておくことが大切です。