行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

藤井日達師の言葉

2015年09月29日 | 日蓮 日蓮宗
驕慢の衆生を礼拝すべし  謙下の功徳を積まんがために
悪口の衆生を礼拝すべし  世間の機嫌を守らんがために
打擲の衆生を礼拝すべし 忍辱の修行を成ぜんがために
悪人を礼拝すべし  善人となさんがために
孤児を礼拝すべし  戦争の犠牲になるがゆえに
暗黒と阿修羅の娑婆国土と人間を浄化せよ

【言葉を味わう】
平和を願い、平和を愛し、不殺生戒を貫き通した、本物の僧が3人いました。
高尾山薬王院の山本秀順師、京都南禅寺の柴山全慶老師、そして、藤井日達師です。藤井日達師は、法華経の「常不軽菩薩」そのものでした。

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高田好胤師の言葉

2015年09月25日 | 禅の心
子供は親のする事を

真似て学ぶものです。


親が身をもって

親にお仕えする親孝行、

亡くなられたご先祖に対しては

まつりごとをする


そんな親の後ろ姿を子供はじっと見ていて、

いつとはなしに縦の人倫の道を学んで

身につけていくのです。

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実践が大事

2015年09月22日 | 禅の心
○仏法について知識があったり、お経を暗記しているのが偉いのではない。

○慈悲の心で毎日の生活を実践できることが偉いのだ。

○妙好人は知識よりも実践をしてきた人々だった。

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澤木興道老師の言葉

2015年09月18日 | 禅の心
○周囲のノボセにノボセにこと。これこそ智慧である。どの思想と、どの組合にもひきこまれてはならぬ。人間みたいな阿呆な奴を相手にせんこっちゃ。

○「グループ呆け」というのがある。そして呆けたのを経験とこころえておる。ひとり透明になって呆けぬことが必要だ。坐禅はこのグループからご免こうむり「シュッケイ」(失敬、出繋、出家)して一人になることである。

○いま時分の奴のやることは、みな集団をつくって、アタマ数でゆこうとする。ところがどこの集団もグループ呆けばかり、金がほしいというのもグループ呆けなら、エラクなりたいというのもグループ呆け。いわんや党派をつくるなど、グループ呆けの代表である。そんなグループ呆けをやめて自分ぎりの自分になることが座禅である。

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烏鷺滝が仏の功徳を語る

2015年09月15日 | 禅の心
○わしは、仏の道を通してわかったことは、自分がバカじゃということじゃ。

○それがわかっただけでももうけもんじゃ。

○自分はスゴいと、天狗になっとるうちはまだ青い。

○他人を見下すのは、青い証拠じゃ。

○自分が何もわかっとらんということがわかれば、それが救いなのじゃ。

○自分がスゴいと思っているうちは、じつは精神的に不安定なんじゃ。

○自分を安定したところに持っていってくれるのが禅なんじゃ。

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