設復有人
若有罪若無罪
械枷鎖檢繋其身稱観世音菩薩名者
皆悉斷壊即得解脱
若三千大千國土
満中怨賊
有一商主
将諸商人
齎持重寳
經過險路其中一人
作是唱言
諸善男子
勿得恐怖
汝等應當一心稱観世音菩薩名號
是菩薩
能以無畏
施於衆生
汝等若稱名者
於此怨賊
當得解脱
衆商人聞倶發聲言
稱其名故
即得解脱
無盡意
観世音菩薩摩訶薩
威神之力
巍巍如是
設え復た人有りて、若しくは罪あり、若しくは罪無きも、
ちゅう械枷鎖にその身を檢繋せられんに、観世音菩薩のみ名を稱せば、
皆悉く断壊して、即ち解脱することを得ん。
若三千大千國土の中に満つる怨賊あるに、
一人の商人ありて、諸々の商人を将いて重宝をつみ持ちて
険路を経て過ぎんに、其の中に一人、
是の唱えを作して曰く、「諸々の善男子よ、
恐怖を得ること勿れ、汝等応当に、一心に観世音菩薩の名号を称すべし。
是の菩薩は能く無畏を以って衆生に施したもう。
汝等若しみ名を称せば、この怨賊に於いて当に解脱を得べし」と。
衆の商人、聞いて倶に声を発して
「南無観世音菩薩」と言わん、
其のみ名を稱するが故に、即ち解脱することを得ん。
「たとえある人が、罪があるにしろ
罪がないにしろ
手かせ、足かせ、首かせ、鎖で
牢獄につかまっていたとする。
しかしここでもまた
観世音菩薩の名前を称えると、
すべては粉々にくだけ、
その難からのがれられるのじゃ。」
「もし、世界の中に盗賊だらけの地があったとする。
一人の商人がたくさんの商売仲間をつれて
その危険な土地をとおり過ぎようとしたときに
その中のひとりが
「おいみんな、まったく怖がる必要はないんじゃよ。
みんな一心に「観世音菩薩」の名前を称えんさい。
観音様は偉大な力でそれに答えてくれるけえ。
みんなで観音様の名前を唱えりゃあ
山賊が出ても平気じゃよ。」
みんあで、声をだして
「南無観世音菩薩」と唱えると、みんな無事なのだ。
観音経の一節でした。私たちは、様々な恐怖の中で生きています。病気になる恐怖、死の恐怖、盗賊に会う恐怖など様々な恐怖があります。それらの恐怖に対して、「南無観世音菩薩」と唱えれば、解決するというのです。
すべては心の持ちようです。死に対する恐怖や病気の恐怖からは逃れることはできないと思います。仏教は「今をどう生きるか」ということがテーマなのです。死や病気は現実には迫ってきます。しかし、いまここをしっかりと生きて、死や病気を忘れることが、肝要だというのです。そのために、「観世音菩薩」を唱えてもいいし念仏「南無阿弥陀仏」や題目「妙法蓮華経」を唱えてもいいのです。
若有罪若無罪
械枷鎖檢繋其身稱観世音菩薩名者
皆悉斷壊即得解脱
若三千大千國土
満中怨賊
有一商主
将諸商人
齎持重寳
經過險路其中一人
作是唱言
諸善男子
勿得恐怖
汝等應當一心稱観世音菩薩名號
是菩薩
能以無畏
施於衆生
汝等若稱名者
於此怨賊
當得解脱
衆商人聞倶發聲言
稱其名故
即得解脱
無盡意
観世音菩薩摩訶薩
威神之力
巍巍如是
設え復た人有りて、若しくは罪あり、若しくは罪無きも、
ちゅう械枷鎖にその身を檢繋せられんに、観世音菩薩のみ名を稱せば、
皆悉く断壊して、即ち解脱することを得ん。
若三千大千國土の中に満つる怨賊あるに、
一人の商人ありて、諸々の商人を将いて重宝をつみ持ちて
険路を経て過ぎんに、其の中に一人、
是の唱えを作して曰く、「諸々の善男子よ、
恐怖を得ること勿れ、汝等応当に、一心に観世音菩薩の名号を称すべし。
是の菩薩は能く無畏を以って衆生に施したもう。
汝等若しみ名を称せば、この怨賊に於いて当に解脱を得べし」と。
衆の商人、聞いて倶に声を発して
「南無観世音菩薩」と言わん、
其のみ名を稱するが故に、即ち解脱することを得ん。
「たとえある人が、罪があるにしろ
罪がないにしろ
手かせ、足かせ、首かせ、鎖で
牢獄につかまっていたとする。
しかしここでもまた
観世音菩薩の名前を称えると、
すべては粉々にくだけ、
その難からのがれられるのじゃ。」
「もし、世界の中に盗賊だらけの地があったとする。
一人の商人がたくさんの商売仲間をつれて
その危険な土地をとおり過ぎようとしたときに
その中のひとりが
「おいみんな、まったく怖がる必要はないんじゃよ。
みんな一心に「観世音菩薩」の名前を称えんさい。
観音様は偉大な力でそれに答えてくれるけえ。
みんなで観音様の名前を唱えりゃあ
山賊が出ても平気じゃよ。」
みんあで、声をだして
「南無観世音菩薩」と唱えると、みんな無事なのだ。
観音経の一節でした。私たちは、様々な恐怖の中で生きています。病気になる恐怖、死の恐怖、盗賊に会う恐怖など様々な恐怖があります。それらの恐怖に対して、「南無観世音菩薩」と唱えれば、解決するというのです。
すべては心の持ちようです。死に対する恐怖や病気の恐怖からは逃れることはできないと思います。仏教は「今をどう生きるか」ということがテーマなのです。死や病気は現実には迫ってきます。しかし、いまここをしっかりと生きて、死や病気を忘れることが、肝要だというのです。そのために、「観世音菩薩」を唱えてもいいし念仏「南無阿弥陀仏」や題目「妙法蓮華経」を唱えてもいいのです。