行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

松原泰道 先生

2010年07月30日 | 禅の心
我が師、松原泰道先生は、明治40年(1907年)11月23日にお生まれになり、昨年の7月29日に満101歳で、遷化(お坊さんが亡くなること)されました。昨日が満一周忌だったわけです。先生は東京・港区の臨済宗妙心派の龍源寺の住職をされ、妙心寺派の教学部長を務められたのち、宗派を越えた南無の会の会長を務めてこられました。
 お話しはとてもわかりやすく、お人柄がこもっていました。祥伝社の『般若心経入門』が大ベストセラーになり、仏教が一般の方に大きく広がるきっかけになりました。
 松原泰道先生はしばしば中国地方にも来られてお話しをされていましたが、お嬢さんが鳥取県のお寺に嫁がれたので、ますます縁が深くなりました。
 著書の数は100冊はゆうに越え、先生のお話は永遠に人々の心を癒し続けることでしょう。



心頭を滅却すれば火自ずから涼し

2010年07月27日 | 禅の心
今年の夏は猛暑が続いています。それでも山には登っています。
どんなに暑くても、夢中で登っていると暑さを忘れる瞬間があるものです。暑さを忘れると言うよりも、暑さと一体になってしまうといったらいいのかもしれません。ゴルフでもスキーでも暑いこと、寒いことが苦でも楽でもない瞬間があります。
 「心頭を滅却すれば火自ずから涼し」は碧巌録の「評唱」にある言葉で、甲斐の国の快川和尚が、織田信長の軍勢に恵林寺を焼かれる時に、末期の言葉として引用したのが有名な逸話になっています。心が安定していれば、熱さが熱いままで涼しいのだと。「おのずから涼し」なのです。


仏説 父母恩重経

2010年07月23日 | 禅の心
父母恩重経は、中国でできたお経ではないかと言われています。私たちが、この世に生まれてきた不思議さと有り難さがわかるお経です。このお経はまさに感謝の2文字に尽きます。
《1》このとき、仏、すなわち法を説いて曰(のたま)わく。
 一切の善男子(ぜんなんし)・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。その故は、人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらされば生まれず、母にあらざれば育たず。これをもって、気を父の胤(たね)に受け、形を母の胎(たい)に託す。

《2》 この因縁(いんねん)をもってのゆえに、悲母の子を思うこと、世間に比(たぐ)いあることなく、その恩、未形(みぎょう)におよべり。はじめ胎(たい)に受けしより、十月(とつき)を経るの間、行・住・坐・臥(ぎょう・じゅう・ざ・が)、ともにもろもろの苦悩を受く。苦悩休(や)むときなきがゆえに、常に好める飲食(おんじき)・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、ただ一心に安く産まんことを思う。

《3》 月満ち、日足りて、生産(しょうさん)のときいたれば、業風(ごうふう)吹きて、これを促(うなが)し、骨節(ほねふし)ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、その苦しみ耐えがたし。父も身心戦(おのの)き恐れて、母と子とを憂念(ゆうねん)し、諸親眷属(しょしんけんぞく)みな悉(ことごと)く苦悩す。すでに生まれて、草上(そうじょう)に墜(お)つれば、父母の喜び限りなきこと、なお貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいじゅ)を得たるがごとし。その子、声を発すれば母も初めて、この世に生まれいでたるが如し。

《4》 それよりこのかた、母の懐(ふところ)を寝床(ねどこ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳(ちち)を食物となし、母の情(なさけ)を性名(いのち)となす。飢えたるとき、食を求むるに、母にあらざれば喰らわず。渇(かわ)けるとき、飲み物を求めるに、母にあらざれば喰らわず、渇けるとき、着物を加えるに、母にあらざれば着ず。暑きとき、衣(きもの)を脱(と)るに、母にあらざれば脱(ぬ)がず。母、飢えにあたるときも、含めるを吐(は)きて、子に喰らわしめ、母、寒さに苦しむときも、着たるを脱ぎて、子に被(かぶ)らす。

《5》 母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。その揺籃(ゆりかご)を離れるにおよべば、十指(じゅつし)の爪の中に、子の不浄を食らう。計るに人々、母の乳を飲むこと、一百八十解(こく)となす。父母の恩重きこと、天のきわまりなき如し。

《6》 母、東西の隣里(りんり)に傭(やと)われて、あるいは水汲み、あるいは火焚(ひた)き、あるいは臼つき、あるいは臼挽(ひ)き、種々のことに服従して、家に帰るのとき、未だ至らざるに、今やわが児(こ)、わが家(いえ)に泣き叫びて、われを恋い慕(した)わんと思い起こせば、胸さわぎ、心驚き、ふたつの乳流れいでて、忍びたうることあたわず。すなわち、去りて家に帰る。


全体的に平易な文章ですが、特に、第《3》段落目を現代語訳してみると、次のようになります。

母は、受胎して十月(とつき)のあいだ、日常の、歩く、坐る、寝るなど生活すべてに苦痛を受ける。その苦痛はつねにやむことがなく、好きな食物や衣服を得ても楽しむこともなく、ただ一心に、無事に出産することを祈るのみである。
 月日がすぎ、出産の時には、陣痛の嵐が吹き、身体の骨節(ほねぶし)がことごとく痛み、汗と油がともに流れて、その苦しみは堪えがたいものである。
 父も、心身おののきおそれ、母と子の無事を祈る。親族その他の者も、皆ことごとく無事を祈るのである。
 そして、子は産まれれば、父母(ちちはは)の喜びの限りなきことは、
貧女(ひんによ)が高価な宝物、如意宝珠(にょいほうじゅ)を得たような喜びである。子が声を発すれば、母も自分がこの世に生まれたかのように喜ぶのである。

眼横鼻直

2010年07月20日 | 禅の心
私は、事故で車いすの生活をしていたときに、概ね回復して、立って歩く練習をする段階になったときに、二本の足で立つことが恐かったのを覚えています。人間が二本の足で立って歩いているのはとても大変なことなのだと、しみじみ思いました。

 二本の足で歩いているのは当たり前のようで、実は大変有り難いことなのです。赤ちゃんが、言葉を話すようになるのと、立って歩くことができるようになるのは、家族の大ニュースになるのは言うまでもありません。ふだん、当たり前にできることが実はとても有り難いのです。

 道元禅師は、「眼横鼻直」と表しましました。当たり前のことがとても有り難いと。




自動車が悪い

2010年07月16日 | 禅の心
山田無文老師が41年前に次のようなお話をされていました。
「今日の社会の混乱は・・・・・自動車が悪いのだ。
 あの冷たい車という機械の中に入ると、人間の心も機械のごとく冷却し、人間性を喪失せざるを得ないだろう。
 自動車に乗って、高速道路に出て、規定の料金さえ払えば、人間はみな平等の権利を持つのである。
前の車も、後ろの車も横の車も敵である。車に乗れば四方八方敵ばかりである。
これが今日の社会人の習慣づけられた性格ではなかろうか。一部過激学生に言わすと、教授も敵、学長も敵、理事会も敵、文部省も敵、佐藤内閣も敵である。
 いったい味方はどこにおるのであろうか。マイカーだけ。横に座っておる助手の妻と、後ろに乗せた子どもたちだけが味方である。マイホーム主義というのは、畢竟マイカー生活から割り出されたものではなかろうか。
 車の中は狭いのだから、両親や兄弟も別の車に乗ってもらわねばならぬ。両親が別の車に乗られるとたちまち敵になってしまう。なんと味気ない世相であることよ。」

車社会に限らず、文明とは、日本人の持っていた「和」の精神までも失わせるのでしょうか。