行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝が「死」について語る

2011年10月28日 | 禅の心
○死ぬことが怖いから宗教が生まれたと言っても過言ではない。

○宗教は「死」を一つのテーマとして、いかによりよく生きるかを考えている。

○エピクロスの言葉
死は、もろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、実はわれわれにとって何ものでもないのである。なぜかと言えば、われわれが存する限り、死は現に存せず、死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである。
そこで、死は、生きているものにも、すでに死んだものにも、かかわりがない。なぜなら、生きているもののところには、死は現に存しないのであり、他方、死んだものはもはや存しないからである。

○博多の仙涯和尚の言葉
「死にとうない」


烏鷺滝の吠え方

2011年10月25日 | 禅の心
○自分が不幸なのを人のせいにしても仕方がない。

○周囲は変わらないのだから、自分が変わる努力をしなければならない。

○反骨精神とは、ダダをこねたり、わがままを言うことではない。

○筋が通らないことに対して意見するのが反骨精神である。

○自分が何かやろうとしなければ、何も変わらない。

○禅とは、自分のこころを見つめ、生かすことである。

○他人を批判したり攻撃するのは禅ではない。

仏の真似をして生きる

2011年10月21日 | 禅の心
○仏教は、仏の真似をして生きることだと思う。

○人として正しい道を生きることでもある。

○人として正しい道とは、道徳的に生きるということではない。

○人に優しく、生命を大切に、人を傷つけないなどの人徳を養っていくことである。

○道徳とは、「○○しなければならない」ということであるが、宗教的な生き方は「○○しようとしてもできない」ということである。

○だから、「人に優しくせずにはいられない」「生命を大切にせずにはいられない」「人を傷つけることができない」などが仏教的な生き方である。

烏鷺滝が義務について語る

2011年10月07日 | 禅の心
○いつの時代でも、権利ばかり主張して、自分のやるべきことをやらないやつはいるものだ。

○ただ、文句ばかり言っているやつもいる。

○仕事のしすぎもよくないが、仕事を怠けるやつは困る。

○何事もほどほどにやるのがよい。

○自分の今やるべきことを一生懸命やることが大事なのだ。

立花大亀老師が義務について語る

2011年10月04日 | 禅の心
権利と義務ということについては、今はあまりにも権利を主張しすぎ、義務の方がおろそかになっていると言えましょう。義務の義という字は、我れ羊のごとし、と書きます。すなはち義務とは、われ羊のごとく努める、という意味です。つまり羊は、おとなしく群れをなし、孜々営々と草を食べ、そして決して人に害を与えない。しかも自分の体を全部人に供給してしまいます。ところがこの羊は、年々地上に増える。逆にあの強いライオンや虎は、しだいにこの地上から姿を消している。強いものが滅び、弱いものが残るという原則を羊に見ることができるのです。

【言葉を味わう】
 社会的には義務と言えば、「納税の義務」とか、子どもを学校に通わせる義務とかというものです。しかし宗教的には、神の思いに生きること、仏の願いに生きることが義務なのであって、言い換えれば人間として正しい生き方をすることが、神仏から与えられた義務なのです。
 社会的には、義務を果たさないものは、信用を失い自ら滅んで行きますが、宗教的にも、人間的に正しい生き方をしない人は自滅していくのです。
 宗教に癒しを求める人は多いですが、ただ、甘えるのではなく、神仏に与えられた、人間として正しい生き方をするという義務を果たして行かなければなりません。自分を甘やかしてくれるだけの宗教なら、その人を堕落へと導いて行くことでしょう。


【立花大亀老師の略歴】

1899年 大阪府堺市に生まれる
1921年 堺市の南宗寺にて得度
1968年 大徳寺住職
1982年 花園大学学長
2005年 遷化(享年107才)