行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

悩みはなくならない

2014年07月29日 | 禅の心
朝比奈宗源老師の言葉です。

 雑念や妄想はなくならない。なくならないものをなくそ

うとするからまたひとつ煩悩になる。煩悩は、整理すべ

きもの。煩悩は、整理すべきもの。


 悩みがなくなるのは死んだときです。生きている限り悩

みはあります。悩みをなくすのではなく、悩みを整理して

みることです。

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不立文字

2014年07月25日 | 禅の心
柴山全慶老師の言葉です。

体験のない表現はどこか足りないものを感じますが、体験はいっさいの表現に生命を与えてゆくものなのであります。
 表現を生かす命ともいうべき内的な体験を持てば、文字や表現はおのずから生きたものとなるのが自然でありましょう。また、文字は体験に立ち返って読む力があって、初めて真に読んだと言えるのであって、文字を文字からのみ読むのは、読めていないということになると言うべきでありましょう。禅が「不立文字」を標榜する理由であります。

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自尊感情ではなく

2014年07月22日 | 禅の心
山田無文老師の言葉です。

 今日、「自我を尊重せよ」とか「個性を尊重せよ」ということがよくいわれますが、わたくしは、自我は尊重しなければならないかも知れませんが、けっして尊厳ではないと思います。自我は未完成な、恥ずかしいものだと思うのであります。個性も尊重しなければなりませんが、そんなに権威のあるものだとは思います。それはわずかな経験と知識と出積み上げたものであって、ひとりびとり違うものであります。ひとりびとりが違うようなものは、普遍的真理ではないと思うのであります。自我の奥に、個性のもう一つ奥に、自我を越え、個性を越えた、人間だれでもそうなくてはならない、普遍的な人間性というものがなくてはならんと思うのであります。

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山田恵諦師の言葉

2014年07月18日 | 最澄・天台宗・比叡山
躾という語は、身を美しくすると書きます。身を美しくするというのは、飾り立てるということとは逆で、裸のままで美しくなければならない。つまり、性質を丸出しにして美しくなければならない。本当のところを隠しておったり、装うておったりしたら、ちょっと汚いものになってくる。性質丸出しで美しいのが、なんといっても一番です。そうなるようにするのが、本当の意味での躾なのです。

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友松圓諦師が中道を語る

2014年07月15日 | 禅の心
釈尊が説かれた教えの根本は中道。中道とは正しい道。それだけではない。実際の人間生活に役立つ正しい道、現実に即した、空理空論ではない正道、それが中道。ところが、釈尊が亡くなって百年も経つと、仏教は思弁化した。坊さん達が暇になったんだね。これで釈尊の努力がふいになった。釈尊は形而上的、思弁的、観念的で抽象的になったウパニシャッド(古代インドの宗教)哲学を、形而下的、実践的、現実的にするべくつとめられたのにね。またひっくり返してしまった。それを見事に、再び現実化した人は誰か。知る人ぞ知るだね。法然上人です。
膝をつねって無理に目を覚まして念仏をしろというのではない。眠かったら寝なさい。目覚めたら念仏せよ。すばらしいね。ここに無碍(こだわりのなさ)がある。自然法爾です。中道とは、これをいう。

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