行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

誰にでも認知の歪みがあることを自覚する

2025年03月14日 | 仏の心
フランシス ベーコンの言うイドラとは、まさに認知の歪み(認知バイアス)のことでしょう。
認知の歪みがひどくなると、いわゆるネトウヨ思考や陰謀論にはまることになります。
種族のイドラ
洞窟のイドラ
市場のイドラ
劇場のイドラ
はどれも現代人にもよくあてはまります。
陰謀論を信じる人は、自分はマトモだと言いますが、その他のバイアスも大きいので生きづらいのです。



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自己顕示欲 自己承認欲求はほどほどに

2025年03月11日 | 仏の心
強すぎる自己顕示欲や自己承認欲求で潰れてしまうのが人間というものです。
『老子』第24より
企者不立
跨者不行
自見者不明
自是者不彰
自伐者無功
自矜者不長
其在道也

餘食贅行
物或惡之
故有道者不處
企(つまだ)つ者は立たず
跨ぐ者は行かず
自ら見ゆる者は明あきらかならず
自ら是しき者は彰(あきらか)ならず
自ら伐(ほこ)る者は功(いさを)無し
自ら矜む者は長をさたらず
其れ道に在る也
曰く
餘りに食ひ贅(いたづら)に行ふと
物或ひは之を惡む
故に道を有つ者は處らず
つま先立つ者は長くは立てない
大股で歩く者は遠くへは行けない
自分から見えると言う者は実は何も見ていない
自分からこれが正しいと断定する者はじつはわかっていない
自分から誇る者は褒められない(というか、陰で馬鹿にされている)
自分を偉いと思っている者はかしらになれない。(尊敬されないから)
これらのことはタオ(道)から見ると
余計なものを食べ無駄なことを行うと言う
「道」の作用の結果生まれた物質は、このようなことを嫌うので
「道」に従う者はこんな愚かなことをしない

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宗教と哲学は目指すものが違う

2025年03月07日 | 仏の心
「生きる意味などない」といえば虚無主義ですが、
多くの宗教では、生きる意味はあるけど、それを考えなくていい、神仏に丸投げすればいいのです。
生きる意味を考えるのは哲学の役目です。
「真理」という言葉もそうです。
「真理などない」といえば虚無主義ですが、
「真理」がわからなければ神仏に丸投げすればいいのです。
「真理の追究」は哲学の仕事です。
「真理に目覚めた」「悟った」というのは大体において目覚めていないし、悟っていません。
「真理に目覚めた」人や「悟った」人はそれを口に出して言わないでしょう。
宗教と哲学は目指しているものが違うのです。



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本当の意味での主体性とは

2025年03月04日 | 仏の心
主体性はワガママとか自分勝手なことではありません。
自分で自分の人生を生きることです。
常に当事者意識をもつことです。
お茶の言葉に「主客一如」がありますが、
ゲストはホストの気持ちで
ホストはゲストの気持ちで
ということです。
主人の粗相は客の粗相
客の粗相は主人の粗相です。
当事者意識があれば建設的に物事を考えていくことができます。
が、そう簡単なことではありません。



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他人を裁く前に

2025年01月07日 | 仏の心
他人を批判するのも、マウントをとるのも、裁くのも、その前にまず、自分はどうなのかと振り返ってみなければ、成熟した大人とは言えません。
閻魔大王はお地蔵様の化身ですが、死者を裁く前後に熱く融けた鉄を呑むそうです。
世の中を正すという気持ちは必要かもしれませんが、その前に自分をきちんと育成していくことが必要だと思います。



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