行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

山田恵諦師が人生を語る

2011年05月31日 | 禅の心
○内需拡大とは贅沢をしろということだ。人間はいちど贅沢の癖がつくと直らない。とんでもないことだ。

○名も知れぬ草でも、何か役に立つから生えている。この世にあるものはすべて価値があるから存在している。

○目の前の欲望を満たすことばかり考えていると、結局は欲に溺れる。いつの間にやら、欲を満たす仕事に縛られ、自由を奪われ、仕事に支配される。理想とするものがないから、自己を発揮し、自己を示すことができずに、むなしい思いをする。

○社会的地位や名声のある人よりもずっと偉いのは、己の道を究めようとする人たち。自己の利益よりも他の利益を重んずる人たち。自らの光でもって周囲を明るく照らす人々。


○ある人がお釈迦様に「あなたに悪心はありますか」と尋ねると、「悪心はあるがそれを使わないのを仏というのだ」と答えられました。



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今東光の吠え方

2011年05月27日 | 禅の心
○理解が先で同情が生まれるんで、理解しなけりゃあ同情なんか湧かないよ。この「理解と同情」が幅広くでき、どういう問題にも同情できるっていうのが男のやさしさなんだ。

○自分にとっての人生で、自分がこれが正しいと思って闘って、勝つか負けるか、これだけだよ、人生なんて。あくまでその人の人生であって、客観的な価値観なんていうものはあり得ないんだ。

○オレが本を読め、本を読めとすすめるのは、本を読めばいかに世の中にバカが多いかということがわかるからでね。本を読んでいても自主的に物を考えるんでないと逆効果になるんだ。本読んで、その本に負けて、その著者の考えに捉われたらもうおしまいだよ。いつでも“自分”が読んでる意識を忘れたらダメなんだ。

○わがままして 嫌われて くたばる方が得だねあまり いい人になるというのは 考えもんね

○人生なんて、あくまでその人の人生であって、
客観的な価値観なんていうものはあり得ないんだ。



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内山興正師が教育を語る

2011年05月24日 | 禅の心
子どもというのは、親の生き方、人生観の審判者であるとね。もし親の生き方が少しでも歪んでいると、子どもは大きくなってから、必ずそのひずみを指摘し、審判する。(略)
いったいどう育てるのか。大学に出すために、と答える親がいる。これは白痴的回答です。大切なのは生きる態度だ。金が大切という態度を教えれば、子どもは親よりも金を選ぶ。立身出世を示せば、そのことのみに懸命になって人を傷つける。そうではなくて、本当の自分の生命を自覚し、その生命を発現しようとする態度を教えなきゃならん。

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朝比奈宗源老師の言葉

2011年05月20日 | 禅の心
○「雑念や妄想はなくならない。なくならないものをなくそうとするからまたひとつ煩悩になる。煩悩は、整理すべきもの。煩悩は、整理すべきもの。」

○「怒りはこれ心中の火。よく功徳の林を焼く」とも、「腹が立ったら納まるまで何もするな(つまり、しゃべるな動くなということ)」

○「でもなぁ、あんたみたいに厳しくしたら、世の中何もなくなってしまうぞ」



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尾関宗園師の『今こそ出発点』

2011年05月17日 | 禅の心
今こそ出発点

人生とは毎日が訓練である
わたくし自身の訓練の場である
失敗もできる訓練の場である
生きているを喜ぶ訓練の場である

今この幸せを喜ぶことなく
いつどこで幸せになれるか
この喜びをもとに全力で進めよう

わたくし自身の将来は
今この瞬間ここにある
今ここで頑張らずにいつ頑張る

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