行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

寛容の精神

2016年02月26日 | 禅の心
多くの宗教はおのれの信ずるものが素晴らしいので、他の人にも勧めようといって広がっていったのじゃ。

特にキリスト教はそうじゃ。

キリスト教を他に勧めることが神の愛に応えることになるからじゃ。

仏教はどうか。

一緒に悟りの世界に行こうという態度じゃ。

ただし、無理強いはしない。

他人の信ずるものも大切にしていきたいという態度じゃ。

他の宗教を攻撃したり排除するのは仏教徒にあるまじき行為なんじゃ。


病気は修行

2016年02月23日 | 法句経
この世は常に 燃えさかるを

何の笑い 何の喜びぞ

おん身は

いま幽冥(やみ)につつまれたるに

なんぞ光を求めざる


(法句経146)

人は病気になり、死んで行くわけですが、若くても病気とつきあっていかなけばならない場合もあります。

病気になってみないとわからない人生の妙もあります。

病気になって人の優しさがわかったり、人生の意味がわかることもあります。

逆に、病気になって心がどんどんすさんでいく場合もあります。

これは縁によるものです。

できれば病気から何かを学んだり、人としての徳を身につけていきたいものです。

「病中も山野」病気は人生の修行だということです。

人間として価値ある生き方

2016年02月19日 | 法句経
たとえ百歳の寿命を得るも

無上の教えに会うことなくば

この教えに会いし人の

一日の生にも及ばず


(法句経第115番)

くら長生きしても、真理に近づくことがなければ、

真理に近づいた人の1日にも及ばないということです。

もっと簡単に言えば、長生きしても中身がなければ意味がないということでしょうか。

私は、中身のある人生とは、

金持ちになるとか、偉くなるとかということではなく、

人間としてまともな考え方ができたり、行動することが大事だと思っています。

人徳とか、人間としての当たり前の優しさを持ち合わせていることです。

社会的な地位が高くても、冷酷であったり、人徳のない人はよくありません。



自分も他人も大切にしよう

2016年02月16日 | 法句経
人に生まるるは難し

いま 生命あるは難し

世にほとけあるは難し
           
ほとけの法を聞くは難し


(法句経182番)

私たちがこの世に生まれてきた確率は極めて小さいです。

奇跡的に生まれてきた命はかけがえのないものです。

この人生は二度とない人生です。

自分の命も他人の命も大切にしなければなりません。

運命も神も認めない釈尊の教えは、因縁、因果による生命の厳粛さを語っています。



幸せになるのも無常のなせるわざ

2016年02月12日 | 法句経
「すべての行(もの)は無常なり」

と かくのごとく

智慧もて知らば

彼は その苦をいとうべし

これ清浄に入るの道なり


(法句経第277番)


「すべての行(もの)はくるしみなり」

と かくのごとく

智慧もて知らば

彼は そのくるしみを厭(いと)うべし

これ清浄に入るの道なり


(法句経第278番)

無常とは、自分の周りの世界や他人が変わっていくことばかりを言うのではありません。

自分の心もまた移り変わっていくのです。

いろいろなものが移り変わっていくことが苦痛になるのです。

年をとって、体が弱くなり、病気になって、死んで行く

これだけみれば、無常は苦しみのもとです。

しかしこれでは単なる虚無主義です。

幸せになっていくというのもやはり無常なのです。

人生のどん底から這い上がっていくのも無常なのです。