行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

雨の日には雨の日の生き方

2014年05月30日 | 禅の心
これは堀口大學の『自らに』という詩です。



雨に日は雨を愛さう
風の日は風を好もう
晴れた日は散歩をしよう
貧しくば心に富まう




これと対比されるのが宮沢賢治の有名な詩です。







雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい






 宮沢賢治は、法華経に親しんでいたわりには、この詩には法華経の根幹である諸法実相の考え方がありません。宮沢賢治がいつも法華経に基づいて作品を書いているいるわけではないので仕方のないことなのですが、私は堀口大學の詩の方が仏教的だと思っています。

  雨の日には雨が降っているというありのままの事実を認める。

病気の時には病気であるという事実を認める。雨の日に晴れの日のことを考えるから苦しくなるし、病気の時に元気な時のことを考えるから苦しくなるのです。雨の日には雨の日の生き方、病気の時には病気の時の生き方をすればいいのです。

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