行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

博学という愚者

2014年05月09日 | 禅の心
心高如山嶽 人我不伏人

解講韋陀典 能談三教文

心中無慚愧 破戒違律文

自言上人法 称為第一人

愚者皆讃歎 智者撫掌笑

陽炎虚空花 豈得免生老

不如百不解 静坐絶憂悩




心高きこと山嶽(さんがく)のごとく      人我(にんが)人に伏せず

韋陀(いだ)の典を講ずることを解し     能(よ)く三教の文を談ず

心中に慚愧(ざんき)なく            戒を破りて律文に違(たが)ふ

自ら上人の法と言ひ               称して第一人と為(な)す

愚者は皆、讃歎(さんたん)すれど      智者は掌を撫(う)って笑ふ

陽炎虚空の花                  豈(あ)に生老を免るを得んや

如かず百不解                  静坐して憂悩を絶たんには




自分の心は山のごとく高く 我執が強くて負けず嫌いである。

ヴェーダの聖典を講釈することもでき、儒教、仏教、道教の三教の語句を丸覚えしていて暗唱することなど得意である。

心の中には恥じる気持ちなどなく、戒律を破り背いている。

自分では優れた人のために説く者だといい、自分こそ第一人者だと思い込んでいる。

愚かな人はすべて彼を賞賛するが、物事の本質のわかる智恵のある者は手をたたいて冷ややかに笑っている。

このような人は陽炎かかすんだ目で見る花のように空しいものだ。

どうして、生死や輪廻の迷いの世界を免れようか。

そんな、博学を鼻にかける馬鹿を相手にするよりは、むしろ何もわからないで坐禅して苦悩を絶つことの方がよい。




これは寒山誌の227番です。

寒山が知識が豊富なだけで中身のない人を痛烈に批判しています。

現代人もそうです。東大を出ていても何も中身のない人もいます。知識だけなら広辞苑の方が優秀ですし、頭の良さならコンピューターの方がいいのです。知識ではなく哲学する心、自分の頭で考えることが大事なのです。

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