何年か前から、「空気読め」という言葉が使われるようになりました。
まわりの雰囲気を考えなさいということでしょう。
しかし私は、この「空気読め」に危険なものを感じています。
たとえ間違っていることでも、「空気」の方が優先される可能性があるからです。
明治以降、昭和20年までの戦争はまさにそうだったと思うからです。
人を殺すということは間違ったことなのに、肯定されてしまうからです。
「みんな戦争に向かっているのに空気がよめないのか」
ということになります。
感性であるとか、感覚的に物事をとらえることは必要なことだと思います。
ある意味「空気を読む」ことも感覚的に物事をとらえることになるでしょう。
「感性」「感覚」「本能」という言葉の対極にあるのが、「理性」「理屈」「論理」と言った言葉になるでしょうか。
感性を伸ばすことは必要ですが、それだけでは人間らしく生きていくことができません。
それを理性によって補完する必要があります。
感性と理性は車の両輪のようなものです。
バランスを保ってこそ、幸せな生活が送れるのです。
「つべこべ理屈を言うな」ではなく、理屈を考えてみることも大切なのです。
まわりの雰囲気を考えなさいということでしょう。
しかし私は、この「空気読め」に危険なものを感じています。
たとえ間違っていることでも、「空気」の方が優先される可能性があるからです。
明治以降、昭和20年までの戦争はまさにそうだったと思うからです。
人を殺すということは間違ったことなのに、肯定されてしまうからです。
「みんな戦争に向かっているのに空気がよめないのか」
ということになります。
感性であるとか、感覚的に物事をとらえることは必要なことだと思います。
ある意味「空気を読む」ことも感覚的に物事をとらえることになるでしょう。
「感性」「感覚」「本能」という言葉の対極にあるのが、「理性」「理屈」「論理」と言った言葉になるでしょうか。
感性を伸ばすことは必要ですが、それだけでは人間らしく生きていくことができません。
それを理性によって補完する必要があります。
感性と理性は車の両輪のようなものです。
バランスを保ってこそ、幸せな生活が送れるのです。
「つべこべ理屈を言うな」ではなく、理屈を考えてみることも大切なのです。