行雲流水

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理性と感性

2010年03月30日 | 禅の心
何年か前から、「空気読め」という言葉が使われるようになりました。

まわりの雰囲気を考えなさいということでしょう。

しかし私は、この「空気読め」に危険なものを感じています。

たとえ間違っていることでも、「空気」の方が優先される可能性があるからです。

明治以降、昭和20年までの戦争はまさにそうだったと思うからです。

人を殺すということは間違ったことなのに、肯定されてしまうからです。

「みんな戦争に向かっているのに空気がよめないのか」

ということになります。

感性であるとか、感覚的に物事をとらえることは必要なことだと思います。

ある意味「空気を読む」ことも感覚的に物事をとらえることになるでしょう。

「感性」「感覚」「本能」という言葉の対極にあるのが、「理性」「理屈」「論理」と言った言葉になるでしょうか。

感性を伸ばすことは必要ですが、それだけでは人間らしく生きていくことができません。

それを理性によって補完する必要があります。

感性と理性は車の両輪のようなものです。

バランスを保ってこそ、幸せな生活が送れるのです。

「つべこべ理屈を言うな」ではなく、理屈を考えてみることも大切なのです。

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2 コメント

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失礼いたします。 (tenjin95)
2010-03-30 05:24:05
> 管理人様

先日は、アドレス変更のご案内を戴きまして、ありがとうございます。とりあえず、今後はこちらにコメントいたします。

理性と感性、この辺、我々はあと1つ「議論の可能性を奪う」ということも自覚しなくてはならないところです。理性であれば、お互いにある程度の基盤がありますから議論も出来ますが、感性的なことは、それこそ各個人で違うので、議論になりません。にもかかわらず、さも全員に当て嵌まるような感性的なことがあるように振る舞う人がいることは、拙僧にとって1つの謎です。
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ありがとうございます (きたろう)
2010-03-31 18:40:19
感性はあくまでも個人によって違うものだと思いますね。
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