野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

モトクロス黄金時代

2011-12-26 06:48:10 | モータースポーツ
先月のカワサキモトクロスOB会で、阪口君が「モトクロス黄金時代」という雑誌の表紙にカワサキ社員が二人も写っていると見せてくれた。聞くと、秋の「on any sanda」でカワサキの安井さんと和田さんが紹介された時、阪口君が「モトクロス黄金時代」の表紙を飾った人ですと観客に紹介していたので、何のことか分からなかったが、この表紙の事だったそうだ。

「モトクロス黄金時代」は、1980年代~1990年代後半の全日本モトクロス界が克明に記述されており、カワサキでチャンピオンをとった山本隆さんや岡部篤史君のインタビューや、モトクロスOB会員の飯原さんが青野ヶ原で出場した時の写真、そして、カワサキワークスの野宮、立脇、伊田君等の活躍シーンが載っていると、丁寧に教えてもらった。

で、表紙は1972年の全日本モトクロス選手権第1戦谷田部大会で、ゼッケン9番はヤマハの瀬尾勝彦選手、そして、右のゼッケン28番の赤タンクがカワサキワークスライダー安井隆志選手で、その後の水色ジャケットがカワサキテストライダーである斉藤昇司選手でモトクロスのエキスパートジュニア時代との事。斉藤君は安井選手のメカニックではなく、セニアレースのスタート場面に偶然立ち寄った時の写真だそうだ。これ等の情報は阪口君が教えてくれた。

「モトクロス黄金時代」の表紙をカワサキ社員が飾ったことは何かの縁だろう。
         
斉藤君は現在カワサキテストライダーの大将であるが、若かりし頃はオフロードマシンのテストも担当しており、カワサキのモトクロステストコースで、特にKDX等のテストを繰り返し他社マシンとの比較評価をしていた。

一度だったと思うが、一緒にUSテストに参加して、慣れない現地のエンデューロコースを現地カワサキR&Dライダーと互角に勝負していた。カリフォルニアのエンデューロコースは、モトクロスコースのように整備されたコースではなく、アチコチに障害物や突然出現する穴ポコ等、よほどの熟練ライダーでないと怖くてライディング出来ないものだが、砂漠のど真ん中で、マーカーの意味ぐらいの照度しかないヘッドライトの明かりを頼りに暗闇の中、遅くまでテストしていた事を覚えている。ピットに帰って来るなり、R&Dライダーは斉藤君の運転技量を高く評価していた。こんな勇敢で技量の優れたテストライダーがカワサキに居るからこそカワサキらしい製品が生まれてくるのだろう。

今は、オンロードマシン主体に試乗評価していると、たまたま会った時に話してくれた。そして、2012年の14Rは素晴らしいマシンに仕上がったとのことだ。市場環境が今一つなので不透明だが販売が伸びることを期待している。

安井君は、モトクロスの学士ワークスライダーとしてカワサキマシンでレース参戦し、その後、川重に入社した。
入社後一貫してモトクロスやロードレースの開発/レース運営の中枢で活動し、カワサキレースの歴史を実体験した数少ない貴重な人材である。カワサキが世界のトップを邁進していた時代や他社の後塵を浴びていた時代をともに経験し、つまりカワサキの欠点を最も熟知している。逆にいえば、どのような戦略そして組織にすればカワサキが勝てるかを肌で知った経験者だ。

世界のモトクロスフレームの基本となった、「ぺりメータフレーム」の開発責任者でもあり、優れた設計者である。ぺりメータフレームは世界のモトクロスマシンの標準設計仕様となっている。カワサキがBrad Lackeyと契約し世界モトクロス選手権参戦時、派遣技術者として大変な苦労を経験し、レースにおける支援体制の重要性、本社の役割のあり方を経験した。ハードウェアの設計者でありながら、カワサキレーシングチームの監督として全日本選手権を駆け回るソフト活動も上手に展開した。ロードレース運営にも深く関与し、93年からモトクロス開発陣がロードレース運営や開発も統合して見ることになった時期以来、ロードレース活動の中心人物でもあり続け、鈴鹿8耐でカワサキが初優勝し、その後もカワサキが8耐の表彰台を守り続けた時代の現場責任者でもある。カワサキが世界のレース界で最も輝いていた時代を含めて、中心にいた人物だ。このような人物がカワサキにいて活躍したからこそ、カワサキレースの歴史が守り続けられたと思う。


●ところで、モトクロス黄金時代の意味するところは何だろうか。
 全日本選手権への出場台数は減少傾向にあると聞いたが、 一歩転じて現実には、ローカルでのビンテージクラス、ベテランクラス等多彩なレースが開催されている。 「on any sanda」もそうだが、関東では頻繁なローカルレースが開催されていると聞くと、MFJ主催とは違った楽しむレースが増えていることだろう。 このようなオープンで背伸びしないレースをサポートしていくことも、新車販売減少となっているメーカーにとって重要視すべき時期にあるのかも知れない。方法は色々あるんだと思うが、今現在もモトクロス黄金時代は底辺で息づいていることは確かだ。 米国のプロゴルフ観客動員数が減少時、打った策はシニアゴルフだったと聞くと、方法論はある。ただ、MFJ方式一辺倒からの脱却は必要かもしれない。
           
●強いチームを構成するために、経験的に少し付け加えるなら、
「失敗の本質」という単行本に、旧日本軍の敗北分析の一項目、組織戦略/資源で述べられているが、技術には兵器体系というハードウェアのみならず、 組織が蓄積した知識・技能等のソフトウェアの体系の構築が必要だと指摘している。 組織の知識・技能は、軍事組織でいえば、組織が蓄積してきた戦闘に関するノウハウと言っても良い。 組織としての行動は個人間の相互作用から生まれてくるとある。 この指摘から言えば、 戦いのなかで蓄積された人的・物的な知識・技能の伝承が最も必要なレース運営組織は経験的に企業グループ内で実質運営されるべきであり、 レース運営を外部団体に委託すること等は組織技術ソフトウェアの蓄積から言えば絶対に避けるべき事であろう。 往々にして、マシンの開発まではするが、実際の戦いの場であるレース運営を外部委託し、 勝てない理由を相互に非難する事例を雑誌等でよく見受ける、と以前に書いた。 マシン開発の経験しかない管理者がレースを担当すると、「よいマシンが開発できたのに何故勝てないのか」と発言する人を見かけることがある。 量産車の開発では、他社の前年度マシンより少し上にくればOKだが、各社が凌ぎをけずるレースマシンの場合はそうではない。 実際の戦いの場面を通じて他社動向の動きを正確に分析した上で、自社の設定レベルを考えた結果、組織として戦いに如何勝つかである。

そして、勝つ事の難しさはレース戦う事による経験でしか達成することが出来ない代物であるので、 組織は常に彼我の状況を把握しておく必要があり、自社組織内は常に共有し語り継ぐべきであろう。 自社に運営経験が乏しい時期に、既存チームにレース運営を委託したり、他社の経験者を呼び込む術もあるが、成功した例は少ない。 従って、戦いの過程で蓄積された人的知識・技能の伝承が最も必要なレース組織は自社内で教育し育て上げるべきであると思う。実戦経験者がどんどん少なくなっている現状、真剣に考えておくことだと思う。 米国のボーイングやロッキード・マーティン社が世界最高の航空機企業であるのは米国が世界最高の軍を持っているからだろう。
 

**追記:
  阪口君が写真をスキャンしてメイルしてくれたのは3週間程前なんだが、メイル写真をブログ用に変換する方法が分からず、
  色々トライしていたら偶然にも出来た。そのため、メイルを貰ってから相当の時間を要してしまったので、今の時期になった。
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2 コメント

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私にとっても・・・・・ (sam-wd3)
2011-12-26 23:39:11
73年全日本第1戦谷田部はKX250のデビューレースでもあり、私にとっても忘れられないレースです。当時のエンジン設計担当は岐阜工場から変わってきたばかりの、今はタイに出向中の内西君が担当、エンジン実験は私が担当していました。私も入社3年目、内西君の最初の言葉が「岐阜でヘリコプターの設計をしてました、単車の設計は全く初めてです」その言葉を聞いた時はショックでした。ベテラン設計者と組めると思っていたのに、全く単車未経験の内西君と入社3年目の2人でKX250のエンジン開発を任されたからです。しかしレースは待ってくれない。YAMAHAはモノクロサス、SUZUKIはワールドGPチャンピオンマシンのRH、おまけにHONDAが本格参戦。それからは必死でした。2人で試行錯誤の連続・・・そしてなんとか第1戦谷田部のスタートラインに並ぶことが出来たからです。それだけにこのレースは感慨深い思いがあります。また車体開発担当の的野さんや、元ライダーの飯原さん、赤タンク時代からの松尾さん、今は亡き私の先輩であった榎本さん達の協力も忘れることは出来ません。ちなみにレースの時は表紙に写っている安井選手のメカニックを担当していました。当然この時も。当時も少人数で転戦していたので会社ではエンジン開発でベンチテスト、シリンダーのポーティングや手作りでテストチャンバー制作、レースではメカニックと、とにかくいろんな事をさせてもらった時代でした。しかし、その経験が後のロードレーサーKRシリーズの開発に大いに役立つことが出来たと思っています。
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歴史が繋がっています (mohtsu)
2011-12-27 16:01:30
samさん
歴史とは、昨日の事を明日に繋げることです。
KX250がKR250に繋がって、KRは世界チャンピオンになりました。
我々も先輩諸氏の業績を次に繋げましたので、一応の責任は果たしましたね。
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