野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

RACERS vol26 KXペリメータフレーム特集 (その2)

2014-04-26 06:31:31 | 二輪事業
RACERS vol26 KXペリメータフレーム特集 (その2)

「カワサキが作り上げたモトクロッサーの新しいスタンダード」 ⇒「MXフレーム形態を一変させたカワサキペリメータフレーム」
           「KX250SR 岡部車」
「ペリメータフレームの開発が始まったのは'88年の夏頃で、新規車体を模索していた主任技術者(安井さん)は担当者のスケッチを見てKXに適用可能と判断した。 試作車の操安性を確認したところ、従来フレームだとウォブリングが発生しスロットルを戻すギャップ路面での安定性が抜群だったとある。つまりスロットルを開けてギャップを通過できる。ただコーナリングが少し重いものの新型フレームにありがちな変なくせもなく、素直な操安性だったとテストライダーの野宮選手は評価した。縦剛性の低いペリメータは路面荷重をサスペンションだけでなくフレーム骨格がしなって吸収している。逆に、この骨格のしなりが、コーナリング侵入時の倒しこみのクイック性を阻害し、ハンドリングの若干の重さにつながっている可能性があるとも判断された。また、Rショック取付のアルミマウントはRショック本来の性能をやや阻害しているようだった。もう一つ、ペリメータを改良していく過程での問題は 重量増だった。」以上が文中に記載されたカワサキペリメータ試作車の初期技術的特徴であるが、レース用フレームとして改良され続け、結果的に適用初年度から全日本チャンピオン獲得という成果を得たことで、試作開発されたペリメータフレームのモトクロス用としての素性はかなり良いものだったと書かれている。

ところで、「RACERS」誌のペリメータ特集をみて本誌を購入した、二輪設計に興味をもつ技術屋や学生などにとって、本誌が取り上げ追求した、ペリメータ特性分析にはかなり不満があるのではなかろうか。ペリメータフレームは、カワサキが考えるMXフレーム設計思想に対し、どの分野で満足しどの分野が課題だったのか等を含め、本誌購読者はたぶん知りたかったと思う。何故なら、フレーム剛性と乗り心地、フレームとサスペンション剛性や作動性(ダンパー特性)はかなり奥が深い技術的課題だ。二輪フレーム、しかも負荷荷重の高いモトクロスフレームの構造とはなんぞやを期待して購入した読者にとって、編集者の技術的観点からの突っ込み不足は正直否めない。

エンジン構成部品であるHFT部品を取り上げた「RACERS vol17」が12ページに渡ってホンダHFT機能解説に費やしたの対し、ペリメータフレームに関する
技術の記述はわずか4ページしかない。学会誌や専門誌に取り上げられる機会の多いエンジンに対し、従来から二輪車体に関する論文の投稿量は少ない。それだけ二輪車体の解析は難しい。かってスーパーバイク担当時、二輪車の操縦安定性に関する文献を探したが残念ながら資料は少なく、結局技術研究所と解析をトライしたことがある。論文が少ない上に要求したものがなく、技術研究所でも新規に解析せざるをえず、その解析に相当時間がかかった。今はどうだか知らないが、当時は、それだけ二輪車体の各要素が操安性に及ばす影響と体感を定量化する難しさがあった。だからフレーム設計では経験と実績を重要視してきたと思うが、その点を考慮しても、読者が期待する、ペリメータフレームの分析や課題等についての記述量が少ないように思える。

たぶん編集者側がそこまで突っ込んだ要求をカワサキ側にしなかったのだろうと思っている。ペリメータフレームは現在も続くモトクロスフレームの基本骨格となっているだけに、その発想からテスト経緯及び課題や改善点を、ライダーを含む実務担当者間の忌憚のない討論を通じて知りたいと思う読者も少なからずいる。特に、設計と実験、そして開発に携わったライダー達、加えてフレームに合わせるべく改良し続けたサス担当のKYB技術者、其々の個性のぶつかり合いは、その心底にH,Y,Sに負けたくないという思いがあり、そこには泥臭い葛藤があったはずと信じられるからだ。レースマシンの開発と言うのは、単にマシンを開発し市場に販売するだけでは終了しない。特に全日本選手権では、日本の二輪企業各社が持つ最高レベルの技術の戦いであり、彼我の戦いに勝ってこそ、開発中のマシンの優位性が認められる。各社ともその思いは同じだけに、勝つことに執念を燃やし続けた開発担当者達の思いが文中には少なかった。カワサキの意地と執念が、その開発過程での泥臭い物語が、読者の興味を引き付けるものであったはずだが、4ページの紙面上には残念ながら読み取れなかった。

(余談だが、本誌を読みながら、複数他社もペリメータフレームに類似したMXフレームを試作しレース実戦で研究したことを知った。当時、某社の担当部長から 某社でもカワサキペリメータを参考にMX車を試作したことを直接教えてもらったことがある。結果はどうだったかは差し控えるが、興味の対象だったことは確か)

話しは変わるが、カワサキがペリメータフレームの開発を承認された理由の大きな一つに、エヤクリーナの埃対策があった。文中、当時のエヤクリーナの写真にある、クリーナボックス横に開閉式弁を埃対策として採用していたほどで、実際のレース時の埃詰まりによる出力低下を問題視していた。改良案の一つに、ゼッケンプレートの直ぐ後にクリーナボックスを設け、埃舞うレースでも常にフレッシュエアーをエンジンに送り込み、かつ吸入量を増加させる事でエンジン出力の安定化を図ると同時に、燃料タンクはできるだけ重心位置に近い場所に設計する計画でスタートした。その構想を具現化するのにはペリメータフレームが最適だった。試作車を野宮ライダーが試乗したところ、ライダーの真下からクリーナボックスの吸気音が気になるというのが第一声で、改良点として指摘された。この構造イラストは文中にもある。一方問題点として、クリーナボックスから2サイクルエンジンのキャブに至る吸気通路が複雑になり、台上での出力向上に時間がかかった。結局満足できるエンジン出力を得るには時間がなく、泣く泣く(開発会議に上程した仕様と異なると叱責を受け)クリーナボックスの件は一時棚上げ先送り、ペリメータフレームだけを'90年モデルに適用となった。ところが、最近発売した新型YZ450にはビックリした。'88年にカワサキが構想した設計思想と類似だったからだ。

「あのころはみんな蛍光色だった」・・・米国の有名デザイナー・トロイリーとダートクール誌浦島編集長のKXデザインに関する談話だが面白い。カワサキがペリメータフレームをMXマシンに採用して以来、アフターマーケット部品市場が拡大した。ペリメータフレーム採用によって、燃料タンクをシュラウドが覆うことでデザイナーの担当分野が広がった事によるが、従来からMXレースではライダーがニーグリップする際、燃料タンクに泥を巻き込み傷が着きやすいという問題があった。こすれ傷があってもレース使用上は何ら問題ないが見栄えが悪い。そこで燃料タンクをシュラウドで完全に覆ってしまうことで高価な燃料タンクを交換することもなく、安価なシュラウドだけの交換で新しいマシンに変えることが可能となった。シュラウドはデザインパーツだった。もうひとつ、当時、蛍光プラスチックをUS Kawasakiのレースチームが多用していた。群を抜いて格好良く素晴らしかったので、是非量産適用してくれと強い要求がきた。数種の蛍光グリーンの樹脂部品を試作してみたが、これが見栄え抜群。しかし、蛍光樹脂部品の問題は色劣化がある事。各種試作し環境テストセルでテストしたが色落ちの経時変化を改良できず、当時は量産採用不可。今思い出しても蛍光グリーンは兎に角格好よく、KXに良く似合っていた。あれから20数年、再度トライする価値はあるように思う。

「巻尾:受け継がれていくカワサキイズム」
モトクロスは昨年KX誕生40周年を祝い、往年の関係者を含む80名が参加する懇親会を開催した。その象徴とするのが「1973年にデビュー以来、数多くの勝利とタイトルを獲得し続け、以来41年、一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともレースを止めることもなかった40周年」に集約される。それは、KXに代表されるコンペティションモデルの宿命として、常に競争相手との戦いに勝つことで、技術力の優位性を保証してきた歴史である。その事実があればこそKXを信じ購入して頂いた多くの顧客への約束でもあった。このことは競合他社の考えも全く同じだから、常に同じ土俵での彼我の競争に晒され息を抜く時間などなかった。 ところが面白い物で、2年間開発中断しても勝てるようしろとか、もうこれ以上は勝つのを望まないとか発言する営業幹部も出て来るようになり、これにはさすがに唖然とした。確かにそんな雑音も一部にあったが、カワサキは勝つことで技術力の優位性をユーザーに保証してきた経緯がある以上、手を緩めれば相手が勝ち我々は負け犬になるだけの世界。結果的に、”一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともレースを止めることもなかった40周年”として、確かな事業性とともに多くのカワサキユーザーに約束を果たしてきたという自負だけで雑音にも気にせず開発とレースにまい進してきた。レースとは、技術レベルの優劣を勝負として競争するものであり、過去、日本企業は極限のレースで勝つことで製品の優秀性をアピールし企業が発展してきた歴史を持つ。「最も技術力を誇示できる場がレースである限り、その場で戦い、そして進化してきたのがKX開発担当者に植え込まれたDNA」だから変えようがない、と言うカワサキ担当者の発言が本文中に記載されている。・・・100%同感である。

ところで、2010年に発行された、「RACERS vol6」の"kawasaki GP Racers特集”に「参戦と撤退を繰り返すカワサキに未来はあるか」という記事がある。本著によると、'82年のKR500は他社の4秒落ちで撤退、X09はタイムが上がらずじまいで'93シーズン途中で撤退、'02年のZXRRは勝てる見込みもないままリーマンショックの金融危機に揉まれてGPから撤退した。何れも特にハード面の失敗が途中撤退の大きな要因であるが、「他社は続けているのに、どうしてカワサキだけが参戦と撤退の歴史を繰り返して来たのか、その根源を分析しようと試みた」と編集長は述べ、「経営レベルが先行不安の情勢下に陥った場合、即効性のある緊急処置を求められると、どうしてもロードレース活動から撤退せざるを得なかった」と編集長は続けている。また、「RACERS vol6」には「モトクロス部隊がうらやましい」との記述もある。「全日本モトクロスに行くと、今シーズンもカワサキワークスのテントが張られ、その中にファクトリーマシンがある。モトクロスにおけるファクトリー活動はここ30年以上途切れることはなかったと思う。ファクトリー活動によってKXの開発が進み、また活動によってカワサキのブランドイメージが向上し、結果KXが売れユーザー層も厚くなり、ファンは喜び、社員の士気も上がって、また新しい技術が投入されたファクトリーマシンが走り出す。そんな図式が連綿と続いている。翻ってロードはどうか。残念ながら、ファクトリーマシンを走らせて結果を残せばバイクが売れる時代ではなくなった。ならば、メーカーにとって、レースに参戦する大義は何だろう。」とカワサキのモトクロスとロードレースを対比させ所感を述べている。

一方、レース活動こそが企業活動に流れるDNAだと言って標榜して止まない企業がホンダとヤマハと言う、世界を代表する日本の二輪企業だ。2013年発行の「 RACERS」誌が’80年代鈴鹿8耐で活躍したホンダ「RVF Legend Part 2」を特集しているが、そこには「ホンダは競争相手に勝って一番になること」とある。これが世界の二輪市場を席捲する企業、ホンダの発想原点であると書かれていた。伊東ホンダ社長は東京モーターショープレスデイで『 モータースポーツはHondaの原点であり、DNAであります』と発言している。とかく、レース参戦と言うと、何ぼ単車が売れるのかとか、どれだけ企業イメージが上がるのかとか、費用対効果はあるのかとか、色々な声があると聞いたこともあるが、レースに参戦し勝つことがホンダ、ヤマハのDNA、つまり遺伝子だから、妙に屁理屈をつけた議論は不要なんだろう。そのためには、例えばMotoGPに勝つために80億近い予算を計上することも厭わないし、さる某会社のレース予算を20数年前に未確認情報だが聞いた時は、こんな企業と戦うのかと正直ビックリしたこともある。化け物企業と戦うのに如何なる戦略を考え勝算を見こむべきだろうか。

「RACERS vol6」にある「参戦と撤退を繰り返すカワサキのロードレースに未来はあるか」の、その歴史の主因をカワサキが「小さい会社」ゆえとする編集長の結論にはもう少し考察すべき事もあると思うが、多くの日本二輪企業との面談を通じて各社の企業文化を見聞してきた編集長の意見は外部から見える企業の一つの姿として謙虚に受け取る必要があるのだろう。しかし、KXの40有余年に及ぶ歴史を繋げている現実と未来がある一方で、参戦と撤退を繰り返してきたカワサキが現実に存在した事実は編集長には特異な現象として映ったに違いない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« RACERS vol26 KXペリメー... | トップ | Congratulations!! Ryan Vill... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

二輪事業」カテゴリの最新記事