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RACERS vol14 の記事は面白い

2012-03-31 06:38:50 | モータースポーツ
 「RACERS vol14」

天気が良かったので西明石駅まで歩いた。
時には、車の多い歩道や遊歩道を歩くのも気分転換になるので、西明石駅までウォーキングして二階の書店で立ち読みした。雑誌「RACERS」をぱらっとめくっていると、「やって来た部長はレース素人」、これは面白い表題。早速購入した。

企業でモータースポーツを担当すると、社内から色んな声が聞こえてくるのが普通で、「レース参戦するなら勝って当たり前だろう」とか「何故勝てないんだ」言う声だ。別に不思議なことでも何でも無く、素直な発言だろうと思う。その声は、モータースポーツを一度も担当していないか、あるいは遊びでレースをやった経験のある人から聞こえてくることの方が多い。下位の企業が収益トップの大企業に何故勝てないんだとの質問と同じ言質なんだが、回答するのに窮することがある。資金力や技術力の蓄積そして経験値をもった企業が参戦目的を明確にして戦えば、同じ戦場で下位企業が勝つのは至難の事。昔はどうか知らないが、現在のモータースポーツ界ではレース戦績と掛ける資金力は比例するので、資金力のない弱小企業が勝つには、戦う土俵を選ばないと、何時もトップ企業の後塵を浴び、引き立て役を担う事になる。大東亜戦争と同じで、その場の空気とか精神力だけではレースに勝てない。

RACERS vol14では、自らを弱小チームと称するヤマハMotoGP開発母体であるMS開発部が、失われた苦節10年を取り返して勝利を掴む物語。ヤマハ50周年の記念の年に、グランプリ最高峰のレースで勝つ事を目的として、チャンピオン獲得命題に取り組んだ策の一つが「レース素人のMS部長」だった。結果的にヤマハは目的を達成するのだが、素人MS部長が玄人レース集団をどのように纏めてきたかは、ものすごく興味を惹かれた。レース界は単なる設計開発作業と異なり、色んな職種の人が社内人脈との絡みもあって複雑なので、泥臭い人間模様が一般的にはある。そこを期待して読んでみたが、この雑誌はハードウエアに主眼をおいているのか、期待していた部分はあっさりと纏めてあった。その中から、ヤマハもそうなんだと思わせている部分を転載してみた。

『「ヤマハはマシンを無償で貸与し、チームサポート要員を派遣する」と言うスタイルでグランプリを’83年以来実施してきた。 この事は、マシンの開発だけをしていればいいから、仕事はやり易い面もあったが、問題も大きかった。 スポンサーも、メカニックも、ライダーも、皆チームオーナーに帰属していて、我々は単なる御用聞きだった。 「ピストンは足りてますか」程度のメッセンジャーボーイに成り下がっていた。』

『マシン開発を進めねばという使命感を強く持っても、チーム側のクルーチーフやエンジニア達には「ヤマハは何を言っているんだ」と鼻であしらわれ、 「勝てばチームとライダーのお陰、負ければヤマハのせい」そういうジレンマを常に抱えていた。 使う予算の多さや実績から肩で風を切る開発部門の花形、MS開発部は社内で孤立していた』

『’99年、ヤマハは自社チームを立ち上げ、直接グランプリチームを運営した。 スタッフの衣食住を含めて、一から十まで自分たちでやらねばならない。』

『ヤマハにとって、勝つことは「社員としての仕事」であって、それ以上でもそれ以下でもない。 会社は、より精度の高い情報を、より多く蓄積せねばならない。 それはあくまでもヤマハの資産であって、個人のものではない。 それは、ヤマハと言う後ろ盾があっての引出であって、連綿と続く数字の蓄積、ノウハウの塊が困難解決のための確認材料となる。 その資料はヤマハのものであって、自分のものではない。 一方、ヨーロッパのエンジニアは経験を積むと独立するケースが多い。』

『レース経験など皆無の素人部長は、先行技術開発とレース部門を統括するMS開発部を統合した。 従来の経験に頼るのではなく、レースを科学的、技術的の視点からリニューアルした。』

『当時のMS開発部は実戦機と違う形式のプロジェクトを同時進行していたが、迷走状態の職場環境であった。 100人以上いたスタッフを適正人数までに削減し、「勝つために何が必要か」を問うた。 結果、勝つために当時最高レベルライダーだったV・ロッシ獲得を目指した。』

『足りなかったの技術ではなく、適正で明確な指針と理念。  先端技術に賭けるのでなく、実績と経験を基本にマシンの再見直しを行った。』
 
『勝つための算出予算は75億円。 天才ライダーV・ロッシの獲得を含めた運営や開発の総費用だが、営業担当重役(後の社長)が後押ししてくれた。』 等々・・・・・。


あのヤマハですら、勝つための葛藤があったのか。
素人部長の素晴らしいさは勿論ながら、総費用80億前後に近い費用で体制を再構築し、最高峰ライダーのバレンチーノ・ロッシを獲得出来たことも大きな主因ではあるが、それに加えて、ヤマハという組織にロイヤリティを高くもつ経験豊富な技術者が残っていたこと、そして彼らを組織内に集約化できたことが勝利に結びついた。往々にして、レースの玄人集団が、それが過去の栄光を引きずっている集団だと尚更、自我意識が強烈にでてくる可能性もあって、レースを知らない素人部長が来ると、組織を纏め上げるのは至難のことだろうなと邪推しているが、素人部長だから可能だったとするのは一寸賛同しかねるも、逆に面白い。再びヤマハの栄光を復活させるために、他チームにレース運営を外部委託する御用聞き開発部から脱却し、MS開発部自らレースを運営することで蓄積したノウハウを社内に残し、歴史として後輩に伝えるという記述はおおいに共感できるものがあった。

V・ロッシは、ヤマハでチャンピオンを獲得した後、イタリヤのドゥガティに移籍したが、レース戦績は散々なる結果に終始している。ハードウエアの完成度が勝敗に大きな影響を持っている証左でもあり、失われた10年と言えどヤマハマシンの完成度は既に高いレベルに達していて、切っ掛けさえあれば爆発する状態にあったことかもしれない。


ところで、「往年の河島(ホンダ)・長谷川(ヤマハ)・清水(スズキ)監督の座談会」を読むと面白い。日本の二輪企業黎明期、世界に打って出たホンダ、ヤマハ、スズキの世界選手権レース参戦時の苦労話が記載されている。これを読むと、本社社長の強い思いが後押したこともそうだが、ホンダ、ヤマハ、スズキの技術者の心意気には感服させられる。ホンダやヤマハには、それぞれの時代に合せて若干のふら付きもあったのかもしれぬが、基本軸はぶれず、先人達の培った歴史を守り伝える伝統があるようだ。

一方、以前のブログに、MotoGP参戦についての個人的雑感を書いたのを思い出したので参考までに再記載しておきたい。
『MotoGpに参戦することによって、技術の引き出しが増え将来の技術開発に勝利することが可能と判断されるなら、是非とも参戦すべきであろうし、 開発部門は強力に参戦要求をすべきだと思うが、余りも費用対効果が高いように判断される可能性もある。従って、MotoGpは資金的に弱小メーカが参戦するには二輪事業トップの強い意志と覚悟が必要とされる。 レース参戦は、二輪事業トップがレース好きだからとか、優れたマシンを開発する技術力があると言う単純な図式ではない。 二輪企業にとって、「MotoGpレース参戦は経営的効果がある、だからレースに勝利する事を目指す」と成らねばならないと思う。 その意志が明確でないと、レース費用は年毎に増加する一方で、しかも勝てないことが続くことになる。 経営的勘定で企業のレース活動を決断すべきだろう。そうしないと、レースに勝つ事を目的として多額の費用を掛ける競争相手に勝つことは困難であるし、レース担当者にも無益な負担が常に掛ってくるので、ますます負の連鎖となっていく事例も多い。』

『技術レベルの高さの優劣を、勝負として競争するのがレースであり、過去、日本企業はレースで勝つことで優秀性をアピールし企業自体が発展してきた歴史がある。 二輪ユーザーが求めるものは多様化しつつあるが、最も技術力を誇示できる場がレースであることは現在も何等変わらない。 ましてや、一般二輪市場で誰もが購入できる車でレースを競い、誰が一番早いか、どの車が一番早いかを決めることは、これからも続くはずである。 欧米のレース場での観客の駐車場をみていると、観客の関心度合いが良く分かる。』

『もう一点、「失敗の本質」の中で指摘された「ゼロ戦」、「ゼロ戦」の戦闘能力は世界最強水準であることに疑いはない。「失敗の本質」では、「ゼロ戦」は日本の技術陣の独創というよりか、それまでに開発された固有技術を極限まで追求することによって生まれたイノベーションであると分析され評価されている。この分析は、戦時中に纏められた冨塚清著の「航空発動機」にも通じ、 「制空権獲得という国家の生存目的に追求がある以上、最大の目的は「必勝」の追求である。  具体的にいえば、公知の性能工夫の向上を図り、質を落とすことなく多量に生産すること。  従って、新規の発明・考案の採用は十分なる実証による確認を得ずに採用すべきでは無い」とある。

この事象は、レースマシンの開発にも通じ、レースに勝利するためと称して新規の発明や考案を優先して走ることを諫めている。その「ゼロ戦」も、量産体制で生み出された米軍の「ヘルキャット」の二機編成に、多大な資金を投入して育成したパイロットと機体を消耗させてしまった。 戦争は消耗戦であるので、大きな経済的バックアップ(資金力)がないと全面戦争(全面競争)などすべきではない。更に加えるなら、技術には兵器体系というハードウェアのみならず、組織が蓄積した知識・技能等のソフトウェアの体系の構築が必要と指摘している。 組織の知識・技能は、軍事組織でいえば、組織が蓄積してきた戦闘に関するノウハウと言っても良い。 組織としての行動は個人間の相互作用から生まれてくるとある。

この指摘から言えば、戦いのなかで蓄積された人的・物的な知識・技能の伝承が最も必要なレース運営組織は経験的に企業グループ内で実質運営されるべきであり、 レース運営を外部団体に委託すること等は組織技術ソフトウェアの蓄積から言えば絶対に避けるべき事であろう。 往々にして、マシンの開発まではするが、実際の戦いの場であるレース運営を外部委託し、勝てない理由を相互に非難する事例を雑誌等でよく見受ける。』

ところで、丁度この時期に、「優秀な技術者と無能な経営者」と題したブログが投稿してあった。日本の半導体がだめになった原因は技術ではなく無能な経営者だという話であるが、ヤマハの事例とは逆に失敗した事例だったので、参考にすると面白い。

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