しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

足摺岬  (高知県土佐清水市)

2024年06月10日 | 旅と文学

「足摺岬」は二十歳くらいの時読んだ。
当時、若者の読むべき本とか言われていた。
他にもいろいろあった。
新潮文庫などは大々的に「夏の100冊」とか称して宣伝して、読むのを脅迫(?)していた。
今は、新潮社に限らず、ああいう宣伝がないのがさみしい。


「足摺岬」を読んだ当時は、若者らしく本に共感した。
年を経て今読むと、昭和初期の「大学は出たけれど」の暗い世相の方を強く感じる。

 

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旅の場所・高知県土佐清水市足摺岬
旅の日・2018.10.2
書名・足摺岬
著者・田宮虎彦 
発行・旺文社文庫  昭和42年発行

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「足摺岬」 田宮虎彦

それは、もう十七、八年も前のことになる。
その時、私は自殺しようとしていた。
なぜ、自殺しようと思いつめていたのであろうか。
死のうとしたその時でも、理由ははっきりとは言えはしなかっただろう。
何となく死にたかった。
理由もなく死にたかった。
身体も弱かったし、金もなかった。
父親とは憎みあっていた。
母が死んだ直後であった。
しいて理由といえば、母を追って死のうとしたのかもしれぬ。

私はまだ大学をあと二年近く残していた。
それまでも私は父から学資を貰っていたのではなかったけれども、それまで苦しみながらつづけて来た大学もやめようと思っていた。
やめれば数年の苦しみも無駄になるとはわかっていたが、大学を出たところでむなしい人生しか残されていはしないことが、
既にのぞき見ていた世の中から私にははっきりわかっているように思えていた。
私はあてどもなく東京の町をあるき、生きて行く仕事をさがしもとめようとした。
私には休息が必要だったけれども、休息をあがなう金は一銭もなかったのだ。
死のうと思いたったのはその頃だが、そんなことが死ぬ理由になるかどうかは私は知らぬ。
一度死ぬことを思いたった私は、一途に死にた い思いに誘われつづけたのであった。

 

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清水の町に辿りついた翌日にでも、東京の下宿で思いつめたとおり私は死んでいたにちがいなかったのだ。
私は死にたかった。
死ぬ以外に自分を支えるものがなかった。
だが、あの時、私はなぜ足摺岬などを死場所にえらんだのだろう。
数十丈の断崖の下に逆巻く怒濤が白い飛沫を上げて打ちよせ、投身者の姿を二度と海面にみせぬという。
八、九日もすぎた後だっただろうか。
雨はまだ悲しく降りつづいていたが、待ちきれずその雨の中を私は濡れて足摺岬の方へあるいていった。

しかし、その日は私は死ぬつもりではなかった。
格好の死場所を探しに行くつもりであったといえばいいだろうか。
私は清水の町並から、その日、二里近くもあるいたようにも思う。
雨に洗われた白い県道が馬目樫の林をぬい、たぶや榕樹の大樹のかげを曲折しながら上り坂になった。
人一人 会わなかった。
幾つめかの淋しい部落をすぎ、道が崖肌を通って左に折れた時、ふいに、暗い雨雲におおいつくされた怒濤の果てしないつらなりが、私の眼の前にくろぐろとよこたわっていた。
重たく垂れこめた雨雲と、果てしない怒濤の荒海との見境いもつかぬ遠いから、荒波のうねり が幾十条となくけもののようにおしよせて来ていた。そのうねりの白い波がしらだけが真暗い海の上にかすかに光って見えた。
それはうねりの底からまき上がり、どうとくずれおち、吼えたてる海鳴りをどよませながら、深い崖の底に噛みついては幾十間とわからぬ飛沫となって砕け散った。
にぶい地ひびきがそのたびに木だまのように尾をひいて共鳴りを呼んでいた。

 

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