戦前の日本軍は何にも増して”勇ましさ”が優先した。
その行きつく先は、戦果よりも、勇ましく”死ぬ”方が優先された。
魚雷に人を乗せた回天は、
訓練中の殉死、親船もろとも戦死は数知れず伝えられ、
戦果は何一つ報告されていない。
旅の場所・山口県周南市大津島
旅の日・2014年7月12日
書名・出口のない海
著者・横山秀夫
発行・講談社 2004年発行
「出口のない海」
人間魚雷・・・・・カイテン。
だが、「甲標的」のように敵艦に向かって魚雷を発射するのではない。
自らがその魚雷なのだ。
爆薬を満載した改造魚雷に人が乗り込み、たったひとり暗い海の中を操縦し、
敵の艦船の横腹めがけて搭乗員もろとも突っ込む。
それは筆舌に尽く しがたい壮絶な特攻兵器だった。
「でかい......」
魚雷だ。
形そのものは魚雷には違いない。だが、それは巨大な棺桶に見えた。
鉄の棺桶。
十四、五メートルはある。
傍らにいた佐久間が、回天の上方を指差した。
潜望鏡がついていた。魚雷の上部に波切りがあり、そこから小型の潜望鏡が突き出している。
「貴様らには、これに乗ってもらう」
馬場大尉が重々しく言った。
天を回し、戦局の逆転を図る。
名付けて回天である。
弾頭に搭載する一六トンの炸薬は、いかなる戦艦、空母といえども一撃で轟沈可能だ。
並木はすべてを悟った。
―そういうことだ。
俺たちは魚雷の目になって敵艦に突っ込むんだ。
大尉が回天の解説を始めていた。
並木は改めて回天を見つめた。
それは想像を絶する水中特攻兵器だった。
人間を歯車の一つとして呑み込んでしまうだけの威感と不気味さを兼ね備えていた。
母艦となる潜水艦の甲板に、五、六基の回天をバンドで固定し戦闘海域へ赴く。
回天は海中で母艦から発進する。
途中で一旦浮上し、潜望鏡で敵艦の位置を確認 後は深度数メートルの海中を、ただひたすら命中するまで回天を走らせる――。
長い説明が終わった。
最後にこう付け加えた。
「回天に脱出装置はない」
並木は声をなくした。
佐久間も他のみんなも沈黙した。
「訓練始め!」
馬場の声が響いた。
並木は弾かれたように動いた。
回天に覆い被さるような格好で上部ハッチを開き、その丸い空洞に腰と足を滑り込ませる。
すとんと腰が座席に落ちた。
ひんやりした硬い椅子だった。
狭い。
第一印象はそうだった。
胴直径一メートル。その数字以上に狭く感じる。前も後ろも酸素タンクの壁が迫り、頭の上は僅か数センチの空間しかない。
身動きもままならない。
右足に至 っては機械につかえて伸ばすことすらできなかった。
――これが回天か......。
並木は改めて衝撃を受けた。
人が乗るスペースは、ぴったり人の大きさの分だけしかない。
人が機械の歯車として組み込まれるようにちゃんと設計されているのだ。
訓練は「航行艦襲撃法」に多くの時間が割かれていた。
動く標的に突っ込む。
航行艦襲撃は回天搭乗員に極めて高い技能を要求した。
シミュレーションはこうだ。
敵艦を発見後、回天は母艦である潜水艦から敵艦の方向と距離の情報を得て発進する。
途中で一旦浮上し、特眼鏡で数秒間、敵艦を観測。
この数秒間にすべての状況を把握し、次の行動を決定する。
「すべての状況」の項目は多岐に及ぶ。
まず第一に敵艦の種類を判別する。
空母か、戦艦か、重 巡洋艦か、大型輸送船か。
同時に艦の高さを知る。これは特眼鏡の分割目盛りで敵艦の見かけの 高さを読み取る。
次いで、読み取った目盛りの数値を換算式に当てはめ、敵艦との距離を知る。
さらに敵艦の航行速度を、艦首や艦尾にできる波の形で推測する。
そして最後に、敵艦と自分の回天との方位角、つまり、敵艦と回天がどういう角度で向かい合っているかを特眼鏡で見て判断する。
これらすべての情報をもとに一つの結論を導き出す。
「射角」の決定だ。
回天が敵艦にぶつかるように、最終的な突撃の方向を定めるということだ。
射角を決めたら、速力三十ノット、深度四メートルを維持してひたすら突っ込む。
敵艦は動いているが、こちらは動いたその先を読んで射角を決定しているわけだから、観測と計算に間違いがなければ、数分後、回天と敵艦の二つの線は交わる。
だが観測と計算に一つでも誤りがあれば、襲撃は空振りに終わる。
訓練中の事故は回天の宿命と言えた。
元々が魚雷を無理やり膨らませて造った代物だし、研究開発期間などと呼べる時間もほとんどなかった。
搭乗訓練に使いつつ、それと並行して機械の精度を高めていく。
要は、搭乗訓練がそのまま回天のテスト運転という自転車操業的な状態だったのだ。
兵舎を出て桟橋を見た。
並木らの乗る六基の回天は、母艦である伊号潜水艦の甲板に特殊バンドで固定されていた。
前甲板に二基、後甲板に四基。百メートルからある潜水艦の背に乗った回天は、大木にしがみつく蝉のように見えた。
午前十一時。
厳粛な雰囲気の中で出陣式が挙行された。
「頑張れよ!」
「おう!」
「空母を頼んだぞ!」
「おうとも!」
「六万トン、ボカチンだ!」
「任せとけ!」
並木らがボートに乗り込み伊号潜水艦へ向かうと、見送る基地隊員は岸壁に鈴なりだ。
「帽ふれ!」の合図で一斉に何百もの帽子が打ち振られる。
並木らを乗せた伊号潜水艦は、浅い深度で潜航しながら沖縄を目指していた。
本土では「国民総武装」の決定がなされ、女性も子供も竹槍で敵を突き刺す訓練を始めているという。
「いざ本土決戦」のスローガンは、今や「一億玉砕」にエスカレートし、日本という国そのものが、生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれていた。
沖縄では既に血が流されている。それは戦う術を知らない島民を巻き込んだ凄惨な戦いだった。
回天戦用意! 搭乗員乗艇!
「敵は船団だ。五隻いる。 絶好の目標をとらえて必中撃沈を期すように」
「成功を祈る。心から......」
艦長の唇が震えた。
並木は背筋を張った。
「敵厳戒の中、ここまで連れてきていただき感謝の言葉もありません。艦長以下、乗員一同の武運長久をお祈りします」
「ん........」
「行きます!」
並木はラッタルを駆け上がり、五号艇に乗り込んだ。レシーバーをつける。
≪方位角右八十度、距離八千。 発進用意のうえ待機せよ》
昭和二十年八月十五日。
日本は連合国に無条件降伏した。
軍部は最後まで「一億総玉砕」を叫んだが、既に国内は疲弊しきっていた。
沖縄では血みどろの敗北を喫し、街という街は連日連夜の空襲で焼け野原となり、
広島、長崎は原爆で壊滅させられていた。
遅きに失した降伏だった。
戦争は終わった。
日本は負けた。
国民は現実を受け入れた。
大隊は解散された。
昭和十九年十一月から終戦までの出撃回数は三十一回を数え、出撃隊員、事故による殉職者、搭乗整備員ら百四十五名が回天と運命をともにした。
その戦果ははっきりしない。
明らかに回天特攻によって沈没した輸送船が、米軍の発表では沈没はおろか、攻撃すら受けていないことになっていたりした。
日本側もすべての戦果を掴みされなかった。
戦果を挙げた隊員が戻ることのない特攻作戦だから、確かな資料が作れるはずもなかった。
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