しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

城の崎にて  (兵庫県城崎温泉)

2024年06月12日 | 旅と文学

「城の崎にて」は、読者によっていろんな感想がわかれると思える。

自分の感想は、
東京に住む作者が「熱海」でも「草津」でもなく、わざわざ「城崎」という地に温泉療養に行ったこと。
大正時代の「城崎」が、東京からどれほど遠方か。
現在でも、京都・大阪から特急電車で3~4時間もかかる。


それほど遠い城崎温泉だが、温泉情緒がすばらしい。
温泉の街を流れる川、橋、柳、山。少し離れた海(日本海)。
温泉は「外湯めぐり」も楽しいが、
作者のように生き物観察も風情がある。

「城崎」のことを「城の崎」と書いているのは、「少し作り話があります」というように感じるが、
作者もそうだが、湯治客もまた「城崎温泉」のことをほめる人はいるが、けなす人はいない。
いい温泉だと思う。

 

 

 

・・・

旅の場所・兵庫県豊岡市城崎温泉
旅の日・2016年12月1日 
書名・城の崎にて
著者・志賀直哉
発行・「ふるさと文学館第34巻兵庫県」 ぎょうせい 平成6年発行

・・・

 

城の崎にて
志賀直哉

山の手線の電車にはね飛ばされてけがをした、
そのあと養生に、一人で但馬の城の崎温泉へ出かけた。
背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者に言われた。
二三年で出なければあとは心配はいらない。とにかく用心は肝心だからといわれて、それで来た。
三週間以上――がまんできたら五週間ぐらいいたいものだと考えて来た。

頭はまだなんだかはっきりしない。物忘れが激しくなった。
しかし気分は近年になく静まって、落ちついたいい気持ちがしていた。
稲のとり入れの始まるころで、気候もよかったのだ。
一人きりでだれも話相手はない。
読むか書くか、ぼんやりと部屋の前の椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた。
散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった道にいい所があった。
山のすそを回っているあたりの小さな潭になった所に山女がたくさん集まっている。
そしてなおよく見ると、足に毛のはえた大きな川蟹が石のようにじっとしているのを見つける事がある。
夕方の食事前にはよくこの道を歩いて来た。 

自分はよくけがの事を考えた。
一つ間違えば、今ごろは青山の土の下に仰向けになって寝ているところだったなど思う。
青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷もそのままで。 祖父や母の屍骸がわきにある。

 

 

 

(志賀直哉が宿泊した「三木屋」)

 

自分の部屋は二階で、隣のない、わりに静かな座敷だった。 
読み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た。 
わきが玄関の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になっている。
その羽目の中に蜂の巣があるらしい、
虎斑の大きな太った蜂が天気さえよければ、朝から暮れ近くまで毎日忙しそうに働いていた。
蜂は羽目のあわいからすり抜けて出ると、ひとまず玄関の屋根におりた。
そこで羽根や触角を前足や後ろ足で丁寧に調えると、少し歩きまわるやつもあるが、すぐ細長い羽根を両方へしっかりと張ってぶーんと飛び立つ。 
飛び立つと急に早くなって飛んで行く。 
植え込みの八つ手の花がちょうど咲きかけで蜂はそれに群がっていた。
自分は退屈すると、よく欄干から蜂の出はいりをながめていた。 
ある朝のこと、自分は一匹の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。
足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。

 

 

 

三週間いて、自分はここを去った。
それから、もう三年以上になる。
自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。

 

 

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コメント
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