”いな取り”の日は、茂平の子供にとって夏休み後の最大の楽しみだった。
内海(うちうみ)はポンプ場から海に水を吐き出し普段よりいくらか水深を浅くしていた。・・・水深は20cm~50cmくらいか・・・。
竹篭(ウダと呼ぶ)を自転車や自動二輪車につんで茂平に来る。
9月の第一日曜日、茂平の土手は見物と参加者であふれた。
消防団は制服すがたで内海全域を見回りする。
土手には茂平婦人会が模擬店を出す。そこでラムネなどを販売する。
いちばんの見所はヨーイ・ドンで一斉に内海に入っていくとき。
壮観だった。
ザブザブと足音とウダの音で獲る人、見る人、みな興奮していた。
2時間前後で参加者は思い思いに終了していた。
堤防の向かい側の外海(ソトウミ)で汚れを落としたり、泳いだり(およいで落とす)していた。
塩はツテを頼って茂平の民家の井戸水で落としていた。
イナ取りに来る人は、ほとんどが自転車。普通サイズかやや大きめの自転車。
荷台にウダを逆さにして紐でくくって固定していた。
イナ取りに来る人は、駅家~神辺~井原~矢掛の人たちで
溜池の池干しで漁にウダをもっていた。
茂平や野々浜のイナは貴重な海魚となっていたと思われる。
【当ブログ・2014年12月14日】
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(父の話)
ワシの子供の頃にゃもうやりょうた。(昭和ひとけた、または大正には)
やりかたは変わった。
(主催者が変わった)最初のうちは土地をもっとったひとがやっとった。(主催していた)
そのうちの一人に責任持ってやらしょうた。
途中から消防団が(主催)するようになった。
消防がして(その利益を)消防のものを買うようにしだした。
そりゃぁ、ワシが消防におる時からしだした。((昭和20年代か、管理人)
(福山市大門町「野々浜むかし語り」)
茂平の次の日曜日に野々浜で開催。
内海(うちうみ)の魚
内海にはイナやボラの他うなぎやエビやいた。
「イナ取り」を除いた、1年364日は”りょうやん”の漁場だった。
りょうやんは小舟を内海に浮かべ、仕掛けをして、漁をしていた。
りょうやんは内海の所有者でも権利者でもなかったが、その親の代から村人の公認で自由に漁をしていた。
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