しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「平家物語」先帝身投げ   (関門海峡・壇ノ浦)

2024年06月13日 | 旅と文学

天皇制は長く続いているが、近現代でも危機は大きい。
終戦時の危機は最大で、
”ご聖断”の際、天皇自ら「自分のことはどうなってもよい」との発言が伝わる。
昭和20年、21年、連合軍占領下で天皇制の存亡は相半ばした。

令和以降の危機も大きい。
そもそも論であるが、天皇や将軍が男性であることが必須というなら、側室が要る。
歴代の天皇や将軍や殿様は、正室の息子は少数派。

2024年の世界男女格差指数が発表された。(2024.6.12)
日本は146ヶ国中118位。
国家君主に限れば、毎年というか永遠の最下位だ。

 

天皇が二人いた時代もある。
源平の戦い、
南北朝の時代、

源平の戦いでは”先帝身投”があり、平家方天皇の安徳天皇が崩御した。
平家滅亡で、二人天皇は解消された。

 

山口県下関市

 

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旅の場所・福岡県北九州市門司~山口県下関市
旅の日・2015年2月20日
書名・平家物語
原作者・未詳
現代訳・「日本の古典⑦平家物語」 瀬戸内晴美  世界文化社  1976年発行
現代訳・「平家物語」 長野常一  現代教養文庫 1969年発行

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福岡県北九州市門司・門司城跡から古戦場を見る。

 

「日本の古典⑦平家物語」 

先帝身投げ 瀬戸内晴美

さしも栄華をほこった平家も運命つきはてては力及ばず、次第に義経のひきいる源氏の軍に追いつめられ、
西海を西へ西へと流れ、長門の国壇の浦まで追いつめられてしまった。
源氏の軍船三千余艘、平家の船は千余艘で 海面三十余町を隔てて対陣した。
時は寿永三年三月二十 四日のことであった。
この日、平家は全軍死力をつくして闘ったが、三ヵ年の間、忠誠をつくしつづけてきた阿波民部重能が、子息の教能を源氏に生けどりにされ、急に心変りし源氏に寝がえってしまった。
それをみて、四国、九州の兵も次々平家にそむき、君にむかって弓をひき、主に対して刀をぬく。 
源平の天下争いも、今日をか ぎりと見えてきた。

 

福岡県北九州市門司

 

 

源氏の兵たちがすでに平家の船に乗り移ってきて船頭や子たちも殺されて、
今は船をあやつることも出来ない。
新中納言知盛は小舟に乗って帝の御座船に乗り移り、 
「もはや最後と思われます。見苦しい物はみな海へ捨ててしまいなさい」と、自分から船中をかけまわって片づ けた。
二位殿はかねて覚悟していたことなので、喪服の純色の二つ衣をかずき、
練袴の股立を高くとって、三種の神器の神璽(しんじ)を脇にはさみ、
宝剣を腰にさし、帝を抱きたてまつって、
「私は女ではあるが敵の手にはかかりませぬ。帝の御供をしてまいります。
志のある人々は、後におつづきなさい」
といい、船ばたへ出ていった。
帝は今年八歳になられたが、お年よりはるかに大人びていられ、御容貌は美しく、 あたりも照り輝くようであった。
御髪は黒くゆらゆらとお背中までたれていられた。
途方にくれたお顔で、
「尼ぜ、私をどこへつれていくのか」
おおせになる。
小さい帝にむかって、涙をおさえていう。
「帝はまだ御承知にはなりませんか。 前の世の十善戒行のお力によって、この世に一天万乗の天子とお生れになりましたけれど、
前世での悪業の縁によって、御運はもはやつきはてました。
さあ、まず東にむいて、伊勢大神宮にお別れを申し上げなさいませ。
それから西方浄土にお迎え下さいますように、西にむかってお念佛をおとなえなさいませ。
この国はいやなことばかりあるところでございますから、
これから極楽浄土というすばらしいところへお供してまいりましょう」

帝は山鳩色の御衣にみずらにお結いになっていたが、 涙をとめどなくあふれさせ小さくかわいらしいお手を合わせ、
まず東をおがみ、ついで西にむかいお念佛をとなえられる。
二位の尼はすぐしっかりと抱きあげ、
「波の下にも都がございますよ」
とおなぐさめして、身をおどらせ千尋の波の底へ沈んでいった。
悲しいかな、無常の春の風は、たちまち花の御姿をちらし、なさけなきかな、荒き浪は玉体を沈め奉る。

 

山口県下関市

 

 

「平家物語」 長野常一  


壇ノ浦・水底の都

「こわい!」
天皇は八歳で今がかわいい盛り、髪は黒くふさやかに背中にかかり、その先を海風が軽くなぶっている。
にわかに広々とした船ばたへつれ出されたので、物珍しそうにあたりをながめておられる。
しかし、自分を抱いている二位の足の様子に、ただならぬけはいを感じられたものであろう。

「尼は私をどこへつれて行くのか。」
「ここは栗散辺土と申して、みにくく、きたない所でございますゆえ、極楽浄土という、それはそれは美しく楽しい国へおつれいたします。」
「そこには母上や乳母も行かれるのか。」
「参りますとも。そこは仏様のおいでになる国ですから、こんなみにくいいくさなどはございません。みなが笑って仲よく暮らしておりますよ。
さ、伊勢の大神宮と仏様に、ごあいさつをなさいませ。」
二位の尼は、手で天皇の髪をなでつけてあげる。

天皇は小さなかわいらしい手を合わせて、まず東の方、伊勢大神宮を拝み、つづいて、西の方、 極楽浄土の仏様を拝まれる。
「まあ、お利巧さまでございますこと。」
二位の尼はそう言って、涙にぬれた目でもう一度天皇のお顔を見つめた。
その時、一本の流れ矢が、うなりを立てて天皇のすぐそばを通った。
びっくりして、天皇は尼にしっかりと抱きつかれる。ぐずぐずすべき時ではない、と尼は思った。
「さ、参りましょう。波の底の都へ。極楽浄土へ!」
というが早いか、ざんぶとばかり海の中へ飛び込んだ。
船の中では、女たちの泣き声がひときわ高くなる。
「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と、 念仏をとなえている者もある。
つづいて多くの女たちも、海の中へ飛び込んだ。

 

山口県下関市

 

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