子どもの頃、毎日のおやつは、ほぼ【ふかし芋】だった。
それで母に、
いったい「皇太子(現在の上皇さま)は、どんなものをおやつに食べているのか?」
と問うと、母は
「そうじゃなあ、リンゴのようなもんじゃろうかなあ」という返答で、
自分も、そうじゃなあ、となんとなく納得した気持ちになった。
そのことは昭和30年代で、普通の親子の会話だが、もし
昭和10年代の会話で、うっかり巡査の耳にはいれば、不敬罪であると逮捕されていたかも知れない。
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旅の場所・東京都千代田区・皇居外苑
旅の日・2018年3月9日
書名・若い人
著者・石坂洋次郎
発行・「日本現代文学全集35」 講談社 昭和44年発行
(原作発行・1933年 三田文学)
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(管理人記・「不敬罪である」と軍から告訴されたのは、太字の箇所と思える)
「若い人」
宮城前で一同下車する。
掃き淨められた平坦な廣場には陽の光が眩しく照り返し、内濠の水面に影を映す老松の並木には、霞のような青い氣があいたいとなびいて居た。
石垣の色、素朴なその形、写真などで子供の頃から馴染みになって居る二重橋。
晴れ上がった秋空もその一劃だけが特別に高く浅緑に澄みわたって居るかのように感じられる。
まことに此處こそは 彼女等のすべての薫育教養の大本に照臨し給う高く尊き現し神のまします神域であるのだ。
「髪が亂れぬように・・・・服装もキチンと整えるんですよ」
山形先生の改まった注意など要らないことだった。
生徒は思いつく儘に靴をこすったり鼻をかんだりスカートの折れ目を正したりした。
間崎もネクタイの曲りをなおした。
「氣をつけ。 ・・・最敬禮!」
間崎は次の號令まで少し長すぎる位に間を置いた。
頭を上げさせる機會が容易につかめなかったからである。
「なおれ」
ホッと呼吸をついて互に見合す顔には赤く血がさして居た。
そして大きな仕事を果した後のような慾も得も無い放心の表情が御面のように誰の顔にもかぶさって居た。
間崎はふだんから斯うした瞬間の生徒の顔を見るのが好きだった。
何と云うか、賢愚美醜を全く超絶した我的な顔、類型。
... 二重橋の前から楠正成の銅像がある芝生の方に引き上げながら、間崎はそんなことを取り止めなく考えふけつて居た。
彼の両腕には生徒が二三人ずつ縋つて居た。
間崎は仰向けに寝轉んで汗くさい帽子を陽よけのために顔にかぶせた。
と、寝不足して居るので、一分も経たないうちにクラクラと眠氣が萌した。
夢うつつの間に、足許の方で山形先生を中心に一團の生徒がをひそめて語り合ってるのを聞くと
「.........先生。天皇陛下は黄金の箸で食事をなさるってほんとですか?」
「いいえ。そんなことはありませんでしょう。 やはり普通の御箸で ......。
貴女方歴史で御習いしたように歴代の天皇様はどなたも御質素でいらっしゃいました。
醍醐天皇様でも仁徳天皇様でも・・・・・・そうでしたね」
「憶えてますわ・・・・第二十八課『寒夜に御衣を脱し給う』......」
「しつ、しつ、・・・・先生。天皇様と皇后様は御一所に御食事をなさいますか?」
「そうだろうと思います。私達の家庭と同じことでしょうね」
「先生。そしてどんな話をなさいますか?」
「それはですね。人民達が安らかにその日その日を送れるように、いろいろそんな事の御話だろうと思います」
「それから?」
「それだけです」
「あら。そんな事ないと思うわ。ね、何かもつと...」
「しつ、しつ」
「いけません!」
間崎は帽子の汗臭い日陰の中で思わずグスリと吹き出してしまつた。
それに刺激されて足もとの一團は急にはじけるような勢いで一斉に笑い出した。
屈託の無い朗らかな混聲が、色の絹絲を選り分けるように一つ一つ心よく聞き分けられた。
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