●昨日のコマーシャル読んでくれた?
お願いしますよ~。
●昨日は北海道からの患者さんと九州からの患者さんが同じ時間帯となりました。
お二人が色々と話をしているのを見ていて、なぜかうれしかったなぁ。
50歳代、私はどうも 一度やり始めたことは正当な理由が無い限りやめられない性格のようなのですが、これは小学3年生の時の父との会話の結果身についたもののようです。
「dolphinは三日坊主だなあ」
「三日坊主って何?」
「何かを続けようと始めてもすぐやめてしまう人のことを言うんだよ」
「ふーん」
それ以上は何も言われなかったのですが、その時「三日坊主ってのは良くないんだな。 ヨシッ、これからは三日坊主と言われないようにしよう」と子供心に思ったことを覚えています。
で、4年生の時から日記を付け始めました。
そのままずっと書き続け、出産後はそれが育児日記に変わり、子供の成長記録になり、あまりにノートが増えるので40代からは1冊の10年日記に替えました。
そして50歳になった時からは、もう1冊10年日記を購入しそれには「股関節関係」のことを記入することにしたのです。勿論それまでも記録していましたが、1日に書けるスペースが少ないので別にした訳で 今でも毎晩2冊の重い分厚い日記帳を開いています。
その冒頭に書いてあることをご紹介します。(チョット恥ずかしいけど・・・)
~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~
この日記帳は股関節(健康面)に関すること中心の記録帳也。
50歳を迎え、更年期とも重なり変形性股関節症が急に進行したのを感じ、毎日の筋トレ・リハビリの重要性を実感。
病気の進行状況を記録することにする。
すでに骨の一部が完全にくっつき軟骨もない状態ではあるけれど、最低60歳まで
あと10年は現状維持を・・・というわずかな希望を持って、1日、1日を過ごすことを決意!
リハビリ頑張るゾ!
奇跡をおこすゾ!
この日記帳が全て終った時、つまり10年過ぎた時(60歳や)まだ
手術をしない状態でいられますよう!!!
~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~~・~~~~~~~~
と、こんなことを書いておりまする。
で、2冊の日記を書き始めて半年後に、多分私の人生での最大の転機がおこったのです。
☆ 50代 Part 2
夫の母は義父を見送った後一人で住んでいましたが、(近所に夫の姉夫婦・妹夫婦・弟夫婦が、隣の県に兄夫婦がいるので安心でした)83歳の高齢になるし誰かが一緒に住まないとということになり、何と一番遠くに住んでいた次男である夫が後を継ぐことになったのです。
夫は単身赴任中だし、長男は会社の寮にいるし、社会人になって3ヶ月の次男が一人で家に残り私だけが単身赴任のような形で引越すことになりました。
突然のことに私が何を心配したかというと・・・。
その頃友人達が、更年期の症状で悩んでたり、子供が巣立ち寂しくて気力を無くしたり、
夫の単身赴任でうつ病になったり、仕事をやめて脱力状態に陥ったりしている・・・という状態になっているのを見ていたので、それら全てを同時に無くすことになる私は大丈夫だろうか・・ということです。
いいえ、それらにプラス沢山の友人達・沢山の趣味のサークルをも同時に無くすことになる現実・・・さらに新しい土地で高齢の義母との二人暮らしをしなければいけない・・・。
突然残された次男はちゃんとやっていけるのだろうか・・・。
と、不安が山のようにありました。
そうです。 足のこともありますよねぇ。
ところが、友人達は私のことではなく8歳年上の私の大親友のことを心配したのです。
「あなたがいなくなったら○○さん(親友のこと)がどうなるんだろうと心配」と。
「そんなぁ。彼女には私一人がいなくなるだけだよ。私は友達皆だよ。レッスンの子供達も
息子も合唱団も・・・私の心配をしてよォ」
「dolphinは大丈夫だよ」
「どうして?」
「強いし何事も前向きだから。誰も心配なんかしてないよ。お姑さんとも上手くやっていけるよ」
と何人もの友人に言われたのです。
これには本当に驚きました。
私ってそんな風に見られてたのか・・・。
そのことを喜ぶべきなのか、反論すべきなのか・・・。
私は強い?
こんなに悩んでるのに・・・。
でも・・今さらしょうがないな。
ケセラセラや。なるようになるサ。
こうして私は義母のもとへ単身赴任をしたのです。
☆ 50代 Part 3
新しい生活は覚悟はしていたものの やっぱり想像以上に精神・足共に大変でした。
その頃の義母は杖をついてはいましたが、歩く時は私の腕にしがみつき体重をかけてくるので、私は本来と逆の手に杖は持っているものの上手く使えず、患足に二人分の体重がかかる歩き方になってしまうのです。
「お母さん、二人で歩いてるのに足が6本もありますねえ」と顔では笑いつつも必死に痛みと戦っていました。
同居と言っても敷地内に別々の一戸建てに住む形だったので、常は全くの一人っきりの生活で恵まれていました。
が、朝から(6時過ぎのことも)晩まで電話がかかり、その度に出て行くことは、玄関~玄関までわずか30歩くらいのことなのに激痛の時はかなりきついものでした。
特に食事は岡持に入れて運んでいたのですが、雨の日は傘をさすと杖が持てず、岡持が斜めになると汁物がこぼれたりするし、器の重さだけでも結構重いしこれも予想外の苦戦でした。
さらに義母は骨粗しょう症で骨がもろくなっていることもあり、私が同居してから現在までに脊椎圧迫骨折1回・腰椎圧迫骨折4回・鎖骨骨折1回・肩脱臼2回・肋骨にひび2回・それに大腸がん手術・・・その他があり、義母自身も痛みと戦っていました。
義母の痛みがひどい間はベッドから起こしトイレに連れて行くだけでも大変で、私一人では抱えられず限界を感じて、1回だけ私からお願いして入院してもらったことがありますが、大腸がん以外は自宅療養で治しました。(足が弱って歩けなくなることを恐れ、義母が入院を嫌がった為です)
今振り返ってみると 私ってスゲェ!
よく頑張った!(過去形ではなく現在進行形ですが)
心身ともに辛かったことは山ほどありますが、義母も私に対する不満は沢山ある筈なので お互い様だと思うことにしています・・・が、辛さというのは精神的なものより痛みの方がはるかに楽でした。
痛みは何日か我慢すれば必ず楽になることがわかっていたから・・・。
私は足を含めて自分の病気のことで精神的に落ち込んだり泣いたりしたことは一度もありません。
心配・不安はあっても何故かプラス思考になってしまうのです。
その他のことでも楽天的だと自他共に認めていますが、私だって人間ですよ・・・。
時にはがんじがらめになり息苦しい日もありました。(誰にも言わず一人で処理していた為でもあると思いますが)
今まで続けていた趣味のうち何か一つをして息抜きをしないと・・・と思い、混声合唱団に入り少しずつ知り合いが増えましたが、それも義母のことがあって出辛くなり退団せざるをえなくなってしましました。
かわいそうに・・・。
1日中家にいて たった一人でいったい何をしていたの ってか?
ご心配なく。
「一人っきり」には違いないけど、その一人っきりを楽しめる性格・何事も楽しめる特技があるし、私には最大のストレス解消法と小さい解消法がいっぱいあるのです。
散髪に行って・・・出番をお待ちしていますが・・・・つづく
お願いしますよ~。
●昨日は北海道からの患者さんと九州からの患者さんが同じ時間帯となりました。
お二人が色々と話をしているのを見ていて、なぜかうれしかったなぁ。
50歳代、私はどうも 一度やり始めたことは正当な理由が無い限りやめられない性格のようなのですが、これは小学3年生の時の父との会話の結果身についたもののようです。
「dolphinは三日坊主だなあ」
「三日坊主って何?」
「何かを続けようと始めてもすぐやめてしまう人のことを言うんだよ」
「ふーん」
それ以上は何も言われなかったのですが、その時「三日坊主ってのは良くないんだな。 ヨシッ、これからは三日坊主と言われないようにしよう」と子供心に思ったことを覚えています。
で、4年生の時から日記を付け始めました。
そのままずっと書き続け、出産後はそれが育児日記に変わり、子供の成長記録になり、あまりにノートが増えるので40代からは1冊の10年日記に替えました。
そして50歳になった時からは、もう1冊10年日記を購入しそれには「股関節関係」のことを記入することにしたのです。勿論それまでも記録していましたが、1日に書けるスペースが少ないので別にした訳で 今でも毎晩2冊の重い分厚い日記帳を開いています。
その冒頭に書いてあることをご紹介します。(チョット恥ずかしいけど・・・)
~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~
この日記帳は股関節(健康面)に関すること中心の記録帳也。
50歳を迎え、更年期とも重なり変形性股関節症が急に進行したのを感じ、毎日の筋トレ・リハビリの重要性を実感。
病気の進行状況を記録することにする。
すでに骨の一部が完全にくっつき軟骨もない状態ではあるけれど、最低60歳まで
あと10年は現状維持を・・・というわずかな希望を持って、1日、1日を過ごすことを決意!
リハビリ頑張るゾ!
奇跡をおこすゾ!
この日記帳が全て終った時、つまり10年過ぎた時(60歳や)まだ
手術をしない状態でいられますよう!!!
~~~~~~~~・~~~~~~~~・~~~~~~~~~・~~~~~~~~
と、こんなことを書いておりまする。
で、2冊の日記を書き始めて半年後に、多分私の人生での最大の転機がおこったのです。
☆ 50代 Part 2
夫の母は義父を見送った後一人で住んでいましたが、(近所に夫の姉夫婦・妹夫婦・弟夫婦が、隣の県に兄夫婦がいるので安心でした)83歳の高齢になるし誰かが一緒に住まないとということになり、何と一番遠くに住んでいた次男である夫が後を継ぐことになったのです。
夫は単身赴任中だし、長男は会社の寮にいるし、社会人になって3ヶ月の次男が一人で家に残り私だけが単身赴任のような形で引越すことになりました。
突然のことに私が何を心配したかというと・・・。
その頃友人達が、更年期の症状で悩んでたり、子供が巣立ち寂しくて気力を無くしたり、
夫の単身赴任でうつ病になったり、仕事をやめて脱力状態に陥ったりしている・・・という状態になっているのを見ていたので、それら全てを同時に無くすことになる私は大丈夫だろうか・・ということです。
いいえ、それらにプラス沢山の友人達・沢山の趣味のサークルをも同時に無くすことになる現実・・・さらに新しい土地で高齢の義母との二人暮らしをしなければいけない・・・。
突然残された次男はちゃんとやっていけるのだろうか・・・。
と、不安が山のようにありました。
そうです。 足のこともありますよねぇ。
ところが、友人達は私のことではなく8歳年上の私の大親友のことを心配したのです。
「あなたがいなくなったら○○さん(親友のこと)がどうなるんだろうと心配」と。
「そんなぁ。彼女には私一人がいなくなるだけだよ。私は友達皆だよ。レッスンの子供達も
息子も合唱団も・・・私の心配をしてよォ」
「dolphinは大丈夫だよ」
「どうして?」
「強いし何事も前向きだから。誰も心配なんかしてないよ。お姑さんとも上手くやっていけるよ」
と何人もの友人に言われたのです。
これには本当に驚きました。
私ってそんな風に見られてたのか・・・。
そのことを喜ぶべきなのか、反論すべきなのか・・・。
私は強い?
こんなに悩んでるのに・・・。
でも・・今さらしょうがないな。
ケセラセラや。なるようになるサ。
こうして私は義母のもとへ単身赴任をしたのです。
☆ 50代 Part 3
新しい生活は覚悟はしていたものの やっぱり想像以上に精神・足共に大変でした。
その頃の義母は杖をついてはいましたが、歩く時は私の腕にしがみつき体重をかけてくるので、私は本来と逆の手に杖は持っているものの上手く使えず、患足に二人分の体重がかかる歩き方になってしまうのです。
「お母さん、二人で歩いてるのに足が6本もありますねえ」と顔では笑いつつも必死に痛みと戦っていました。
同居と言っても敷地内に別々の一戸建てに住む形だったので、常は全くの一人っきりの生活で恵まれていました。
が、朝から(6時過ぎのことも)晩まで電話がかかり、その度に出て行くことは、玄関~玄関までわずか30歩くらいのことなのに激痛の時はかなりきついものでした。
特に食事は岡持に入れて運んでいたのですが、雨の日は傘をさすと杖が持てず、岡持が斜めになると汁物がこぼれたりするし、器の重さだけでも結構重いしこれも予想外の苦戦でした。
さらに義母は骨粗しょう症で骨がもろくなっていることもあり、私が同居してから現在までに脊椎圧迫骨折1回・腰椎圧迫骨折4回・鎖骨骨折1回・肩脱臼2回・肋骨にひび2回・それに大腸がん手術・・・その他があり、義母自身も痛みと戦っていました。
義母の痛みがひどい間はベッドから起こしトイレに連れて行くだけでも大変で、私一人では抱えられず限界を感じて、1回だけ私からお願いして入院してもらったことがありますが、大腸がん以外は自宅療養で治しました。(足が弱って歩けなくなることを恐れ、義母が入院を嫌がった為です)
今振り返ってみると 私ってスゲェ!
よく頑張った!(過去形ではなく現在進行形ですが)
心身ともに辛かったことは山ほどありますが、義母も私に対する不満は沢山ある筈なので お互い様だと思うことにしています・・・が、辛さというのは精神的なものより痛みの方がはるかに楽でした。
痛みは何日か我慢すれば必ず楽になることがわかっていたから・・・。
私は足を含めて自分の病気のことで精神的に落ち込んだり泣いたりしたことは一度もありません。
心配・不安はあっても何故かプラス思考になってしまうのです。
その他のことでも楽天的だと自他共に認めていますが、私だって人間ですよ・・・。
時にはがんじがらめになり息苦しい日もありました。(誰にも言わず一人で処理していた為でもあると思いますが)
今まで続けていた趣味のうち何か一つをして息抜きをしないと・・・と思い、混声合唱団に入り少しずつ知り合いが増えましたが、それも義母のことがあって出辛くなり退団せざるをえなくなってしましました。
かわいそうに・・・。
1日中家にいて たった一人でいったい何をしていたの ってか?
ご心配なく。
「一人っきり」には違いないけど、その一人っきりを楽しめる性格・何事も楽しめる特技があるし、私には最大のストレス解消法と小さい解消法がいっぱいあるのです。
散髪に行って・・・出番をお待ちしていますが・・・・つづく
私は子どものように泣いてしまったというのに・・・
ドルフィンさんは
いったい何者なんだ・・・
この強さはどうみてもフツーじゃない気がするけど、でも・・でも・・
私と年齢的に近い感じもするし
こりゃあタイヘンダ!
泣いたらダメよ、あっぷっぷ!
またまた元気もらっちゃいました。
ありがとうございます