ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第66号 碧血碑(へっけつひ)

2006年12月07日 | 新撰組

所在地=函館市谷地頭町

明治元年から2年にかけての、箱館戦争で亡くなった旧幕府軍兵士の共同墓地。                         
                          (碑には千羽鶴や花が絶えない)
 

立待岬からの帰り道は一方通行。その道にこの碑の案内標識があるが、幅30cm、高さ3mほどの白い柱のみだから見落とすことが多い。
標識から山方向へ連なる一本道を歩くこと10分、寂しい風景のなかに碑はある。

箱館戦争の市街地戦で戦死した旧幕府(榎本)軍兵士の遺体は、明治政府軍の命令でそのまま放置されていた。
見かねた箱館の侠客・柳川熊吉(江戸・浅草生まれ。大河ドラマ・徳川慶喜で堺正章演じた新門辰五郎の配下)と実行寺住職が収容し、同寺に埋葬した。
明治5年、旧幕府軍の戦犯者が放免され、戦死者の霊を弔う計画が持ち上がった。

7回忌を迎える明治8年、榎本軍の陸軍奉行であった大鳥圭介らが中心となり、伊豆産の石材でこの碑を建てた。
建立者の名、埋葬されている名もなく、明治政府への遠慮が感じられる。
碑が内地へ向いているのがせめてもの慰めかもしれない。
蝦夷地に渡った旧幕府軍の兵士は約3,000名。
この碑には796柱を祀り、毎年6月25日に碑前祭を行なっている。

「碧血」とは、「義に倒れた志士の血は、3年経つと碧になる」という中国の諺から引用された。
徳川家の再興を願い、榎本を信じ、夢達しないまま北の大地に散った兵士達の冥福を心から祈りたい。

冬期間に行かれる方は、市電・谷地頭終点から函館山方向に進むと函館八幡宮に突き当たるので左折。
3分ほどで進入禁止の標識。長靴を履いて10分ほど坂道を登ります。
     
                    ミカエル
                          



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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ミカエルさん、初めまして! (エンゼル)
2006-12-07 15:36:03
春に行ったときも千羽鶴があがっていました。
碑はもう雪の中でしょうね。
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ご訪問、有難うございます。 (ミカエル)
2006-12-07 19:15:09
エンゼルさん、碑のまわりはまだ雪が積もっていません。しかし、間もなくでしょうね。
それにしても、あの千羽鶴、誰が?といつも思っています。「土方歳三最期の地碑」の花は、付近の奥様方と聞いています。
祥月命日は、私も庭の花を持って駆けつけます。
  ミカエル
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ここはぜひ! (せと)
2006-12-07 21:09:39
行ってみたいところです。
地元の方が大切にしているのですね。
ミカエルさんの記事で、函館が身近になります。
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ウエルカム、せと様 (ミカエル)
2006-12-07 22:02:04
遠いところからハルバル有難うございます。
せとさん宅には、たくさんのお客様が訪問していて楽しそうですね。
京都・霊山歴史館に行ったのは、3年前の6月20日。
5時間でも見たりなくて・・・。
木村学芸課長のサイン本を求めました。
京都には、1週間滞在したいですが、夢で終わりそうです。また、ぜひ訪ねて下さい。 
            ミカエル
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今度こそ行きます! (きままMINA)
2006-12-08 15:22:19
とうとうきましたね~「碧血碑」
ミカエルさんの記事をみて、益々今度は必ず自分の眼
でみてみたくなりましたぁ

今度こそ行きます!
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そうですね、今度こそ (ミカエル)
2006-12-08 19:39:57
MINA 様
通り過ごさないようにしましょうね!
この記事、これまでの最高アクセス数になり、顔がほころびました。
皆さんに感謝、感謝です。
            ミカエル


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陰の協力者 (箱館人)
2007-04-28 18:57:14
柳川熊吉は勿論有名ですが、実は五稜郭奉行所の建築、札幌の豊平館、札幌経王寺を建築した大岡助右衛門が発案者と思われます。むしろ日隆との関係は熊吉より濃かったと言われています。
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