ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第317号 恐ろしかった洞爺丸台風(後編)

2008年09月30日 | 町の話題

家からきしむ音がして怖い怖い夜もようやく明るくなってきて一安心でした。
それとともに台風もおさまり、疲れがどっと出て眠りに。
「学校だよ!」の声で目が覚め、登校。
台風一過の青空が広がっていました。

通学路の電線は切れ、電柱、樹木は倒れていました。
民家の屋根が最も被害を受け、屋根本体が吹き飛ばされた家、トタン、柾が飛ばされた家など無残な姿。
雨でなく本当によかったと思いました。

教室に入って先生から臨時休校とともに、連絡船が沈んだことを知らされました。
携帯ラジオがない時代、停電でラジオが聞けず、また、電話とて事業所、裕福な家以外にはありませんでしたから完全に情報不足。
同級生のなかに、乗組員のお父さんがいて、涙を浮かべていたのを今でも思い出されます。

ご遺体はだいだい色の日本通運のトラックにムシロをかけられ、大森町の大火慰霊堂前広場に運ばれ仮安置されました。
そこでもやはりムシロの上におかれ、せめて毛布はなかったものかと。
検死は堂の中で行われ、火葬場は函館市内だけでは対応できなく、近郊町村の応援を得たようです。

台風のなか、どうして船長は出航したのか?
いろいろな噂が飛び交いました。
この事故がきっかけになって、青函トンネルの着工が急がれたのでした。