函館の上水道の供用開始は、明治22年と横浜市に次いで国内2番目の歴史を誇る。
ただ、日本人の設計という点から見れば国内最古だ。
工事に使われた鉄管は、イギリスの商社が納入、赤レンガ倉庫群前に陸揚げされた。
当時は、横津岳を源とし市中心部を流れる亀田川から直接取水配水していた。
やがて、水需要が増え、これに応えるためこのダムの建設に着手、大正12年に完成した。
設計・工事監理は、後に東京市水道局長に就任した小野基樹氏。
氏は、建設費が安く、しかも工期が短い「バットレスダム(扶壁式ダム)」を採用、これは我が国初の工法であった。
もとは、細いコンクリートの骨組みの外観だったが、老朽化のため、昭和58年~60年にかけて、在来の躯体を包み込むような大規模補修工事が行われ重量感あふれる外観になった。
ダムの上を歩くと広く深い貯水池が眺められ、これからは紅葉が水面に映え心を和ませてくれる。
ダム下の広場は公園として市民の憩いの場になっている。
下の写真の小川はダムから流れ出る清流。
これからは、炊事遠足などの調理場として大いに賑わう。
ジンギスカン鍋、豚汁などの美味しい匂いが立ちこめ、大きな笑いも間もなく聞こえてきそうだ。