函館の上水道の供用開始は、明治22年と横浜市に次いで国内2番目の歴史を誇る。
ただ、日本人の設計という点から見れば国内最古だ。
工事に使われた鉄管は、イギリスの商社が納入、赤レンガ倉庫群前に陸揚げされた。
当時は、横津岳を源とし市中心部を流れる亀田川から直接取水配水していた。
やがて、水需要が増え、これに応えるためこのダムの建設に着手、大正12年に完成した。
設計・工事監理は、後に東京市水道局長に就任した小野基樹氏。
氏は、建設費が安く、しかも工期が短い「バットレスダム(扶壁式ダム)」を採用、これは我が国初の工法であった。
もとは、細いコンクリートの骨組みの外観だったが、老朽化のため、昭和58年~60年にかけて、在来の躯体を包み込むような大規模補修工事が行われ重量感あふれる外観になった。
ダムの上を歩くと広く深い貯水池が眺められ、これからは紅葉が水面に映え心を和ませてくれる。
ダム下の広場は公園として市民の憩いの場になっている。
下の写真の小川はダムから流れ出る清流。
これからは、炊事遠足などの調理場として大いに賑わう。
ジンギスカン鍋、豚汁などの美味しい匂いが立ちこめ、大きな笑いも間もなく聞こえてきそうだ。
家族全員でハイキング
小学校時代の炊事遠足
おめかしして、ジンギスカンも
自転車に虫カゴ乗せて蝉取り
懐かしい
最近は行ってません。
リクエストに応えてくださって。
ここで友だちと一緒にチェロを弾いたこと、
育てていたかたつむりのための
落ち葉を取ってきたこと、
散歩したこと、
・・・・・
こんなに美しいダムはありません。
ここでの音や香りを思い出します。
私は小学校を転々、中島小の時には学校から歩いての遠足でした。
気象台周辺は田畑が広がって農家が点々。
今の風景は想像もつきませんね。
社会人になっても親睦会でたびたび行ってました。
やはり、ジンギスカンでしたよ。
ミカエル
どういたしまして、お安い御用でした。
ここでの絵になるミニグリーンコンサートを聴いてみたかったですね。
この場所がよほど気に入っていたのがよく伝わってきました。
いつまでもここでの思い出は心に残ることでしょうね。 ミカエル
本当にご無沙汰してました。
ここ行きましたよ。
内地の人間にとっては北海道の風景はどれも雄大で日本離れした光景に見えるのですが、ここも正にその通り。
半円状の窪みが連続する様式的な美しさは、どこかヨーロッパの水道橋のような佇まいで本当に圧倒されっぱなしでした。
上にも登れるんですね。 知らなくて窪みに入って下から見上げるばかりでしたが、今度は上にも登ってみたいと思います。
補修工事が行われる前は、梁と柱がむき出しで美しさは感じられませんでした。
ダムの上に行くには右の小道を登ればOK。
空の色によって水面の色が変化します。 ミカエル
私も今年の2月に笹流ダムに行ってきました。このとき初めての訪問だったのですが、その存在感に圧倒されました!
でも大正10年代にコンクリート製のダムが竣工したというのは凄いことですよね!、このころ帝都・東京には土を盛ったダムしかなかったんですから・・・・。
そういえば竣工当時、設計者の小野基樹さんは30代の若さだったそうです。当時の函館って若くて才能がある人たちが多く集まっていた時代だったんでしょうね。
そういえばここへ訪れた時は湖面が凍っていました(笑)。もっと温かい季節に再度訪れたいと思っています。
そして、お久しぶりです。
函館はコンクリート製の工作物の先駆けの地。
電柱(葛西民也設計)、寺院(伊藤平左衛門設計)などがあります。
この地を訪れるなら5月上旬。
桜が見ごろですよ。 ミカエル