梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

映画の話、昭和30年代

2011-11-16 16:47:19 | 雑記
中学に入った頃掛川の町には3軒の映画館が有った、2本の道筋に1軒づつとその間を結ぶ路地に面して1軒あり、それぞれ掛かる映画会社が決まっていた、
掛川座が日活、中央劇場と言うのが松竹系と東宝系、この時は新東宝が出来た頃だった。もう一軒が東映系で子供の自分は此方が主だったがどう言う訳か名前が思い出せない。日活も見に行った記憶が有るが殆どは東映時代劇だった、
上は姉だったので松竹か東宝を見ていたが最初に連れて行かれたのは確か「雪崩」と言う映画だった、看板に「雪(なだれ)崩」と書かれていたのを「雪なだれ崩れる」と読んで大笑いされた記憶が有って忘れないのだ、
映画館でしょっちゅう見る程小遣いは貰えなかったが田舎に一軒だけある何でも屋と言う様な店があって、ここに映画のポスターが出ているのだが貼り出しのお礼にポスターの裏側に2枚の入場券が付いて来る、
「ビラ下」と言っていたこの無料券は店主の夫婦が映画に興味が無いのと子供が居ないので近くの子供に払い下げてくれるのだ、この店に来る子供達は小学校から中学まで入れても12~12人程度で低学年は行けないので更に人数は少ない、お陰で映画に興味がある自分が貰う確立が高く映画が変る度に貰っていた。その内もぎりの女性に顔を覚えて貰って券が無くても入れてくれる様になった、
東映・日活・東宝松竹と随分見る事が出来た、しかしその後東京に出てからも手当たり次第に見ていたので記憶とデータを整理しないと前後が解らなくなって来た、
取りあえず掛川には洋画館が無く浜松まで出ないと見られなかった筈だから邦画だけなんだが、駅前シリーズや社長シリーズが田舎で見たのか東京で見たのかが解らなくなっている、後で時代を調べてみるが東京で古い映画を安く掛ける映画館も有ったのでそれでも少しあやふやの所もありそうだ、
その他にも小学校の終わり頃から中学校の頃「映画鑑賞の時間」という奴が有った、「ノンちゃん雲に乗る」と言うのは多分見ていない、此れと「オズの魔法使い」が下の姉が学校で見たのを家で話してくれて其れが頭に残っているのだと思う、
間違いなく自分が見たのは「千羽鶴」だった、そしてどう言うわけか「明治天皇と日露大戦争」と言う奴を見たが今考えると未だ終戦から15年程度の日本でよくあんな映画を作ったもんだなと思うがGHQはもう無かった筈だからかな、力道山と共に敗戦で失った日本人に自信を持たせたのかもしれない。
明治天皇は嵐勘十郎だったと思う、203高地と白瀬中尉の印象が強かった、
中学3年は「アラビアンナイト」だったがこの時にアラビアンナイトが「千一夜」と書くのを知った、余談だが17歳の頃1つ下の同僚の女の子から「バートン版アラビアンナイト」を借りて読んだが16歳の女の子が読む本としては結構刺激的でそれを男の自分に貸すのも今考えると凄い、それでも何にも起きなかったのも充分変だが