メールマガジンを見ていたら「日本人の笑いは世界の笑いと違う」と言う記事を見た、日本人の笑いはボケと突っ込みと言う形をとるが海外ではこの手法は殆ど通用しない、僅かに韓国が其れに近い笑いがある、と言う記事だった、
偶々今日の東京新聞に「吉本興業が品川駅前から撤退」と言う記事があった、最後の方に「東京に大阪の笑いは合わない様だ、ベタな笑いよりウィットが受ける」と言うコメントが有った。
お笑いの世界に(この言い方も今ひとつしっくり来ないのだが)数十年前から関西ブームと言うような空気が広がって関西弁まで若者の中に使われるようになったが東京の笑いとはやはりかなり違うと言う印象はずっと持っていた、非難を恐れずに言わせて貰えばあの関西系の笑い、それも吉本喜劇の笑い文化は我々の年代の多くは違和感があったと思う、同じ様な形態の浅草喜劇で一世を風靡した「デンスケ劇場」と吉本新喜劇を見比べてもいわゆる「ベタ」と言うくすぐりが基本になっている様な気がする、此方にその素養が無い為かも知れないのだがその言葉や仕草だけで笑いを取るのはウィットとはかけ離れている気がする、
其れが関西の全てではないし吉本でもしゃべくりのヤスキヨと言う様な漫才もあったし関西落語はどちらかと言えば関東以上に人情者が多い、しかし何時の間にか売れ筋は舞台で相手を叩いたり酷い時は飛びけりをする、女性も肌を露にする事で笑いを取ったりする、
お笑いブームと言う時期に出て来たコンビはやはり決まったフレーズか行動が「持ちネタ」と言われてそれだけで暫く売れる、無論其れは直ぐに淘汰されるのだが此れに受けているのは大半が中学生以下の年齢だ、はっきり言えば幼児クラスが直ぐ笑う様な笑いはその程度だと言うことだ、
落語も漫談もある程度の素養が無ければその話のおかしさは解らない、そこが解ってこそ笑いの本質が出てくる、
下ネタもフランス小話の様なウィットはある程度の異性関係を覚えてから笑える、直接的な下ネタは幼児が「うんこ!」とか「おしっこ」と行って笑うのに等しい、
来れはテレビの影響が大きかったのだろうが相手が困る、痛がる、恥ずかしがる、といった事を笑いにする傾向も多い、「The我慢」と言う番組が有った、出演者が承知で行う事だったろうが此れを小学生が見て面白かったと言う事になると学校で真似をする、この時我慢させる側は苛めっ子と言うパターンになるのは眼に見えている、
笑っていいともと言う長寿番組がある、あの放送は職場の同僚が見ていたので昼飯時に見る事があったが内容は司会者が素人を弄り回すだけの物で見ていてあまり愉快な物ではなかった
出る者は招致で出てきているのだから其れは構わないのだが、あの頃は「文学青年」と言われたタイプはたもりの「暗い!暗いね~」と言う評価を随分受けていた、
「笑いに知的な笑いも下品な笑いもあるか」と云われるかも知れないが「笑う」と言う事は全生物の中で人類だけが手に入れた知的行為である、遊ぶ動物は何種類か居るが本当の意味で笑う動物は人間以外にはいない。
本来日本の笑いは落語や講談、演劇ももっとウィットの有る物だった、低俗になった日本の笑いを「世界とは違う」と論評するのは少々的外れだと言いたい
偶々今日の東京新聞に「吉本興業が品川駅前から撤退」と言う記事があった、最後の方に「東京に大阪の笑いは合わない様だ、ベタな笑いよりウィットが受ける」と言うコメントが有った。
お笑いの世界に(この言い方も今ひとつしっくり来ないのだが)数十年前から関西ブームと言うような空気が広がって関西弁まで若者の中に使われるようになったが東京の笑いとはやはりかなり違うと言う印象はずっと持っていた、非難を恐れずに言わせて貰えばあの関西系の笑い、それも吉本喜劇の笑い文化は我々の年代の多くは違和感があったと思う、同じ様な形態の浅草喜劇で一世を風靡した「デンスケ劇場」と吉本新喜劇を見比べてもいわゆる「ベタ」と言うくすぐりが基本になっている様な気がする、此方にその素養が無い為かも知れないのだがその言葉や仕草だけで笑いを取るのはウィットとはかけ離れている気がする、
其れが関西の全てではないし吉本でもしゃべくりのヤスキヨと言う様な漫才もあったし関西落語はどちらかと言えば関東以上に人情者が多い、しかし何時の間にか売れ筋は舞台で相手を叩いたり酷い時は飛びけりをする、女性も肌を露にする事で笑いを取ったりする、
お笑いブームと言う時期に出て来たコンビはやはり決まったフレーズか行動が「持ちネタ」と言われてそれだけで暫く売れる、無論其れは直ぐに淘汰されるのだが此れに受けているのは大半が中学生以下の年齢だ、はっきり言えば幼児クラスが直ぐ笑う様な笑いはその程度だと言うことだ、
落語も漫談もある程度の素養が無ければその話のおかしさは解らない、そこが解ってこそ笑いの本質が出てくる、
下ネタもフランス小話の様なウィットはある程度の異性関係を覚えてから笑える、直接的な下ネタは幼児が「うんこ!」とか「おしっこ」と行って笑うのに等しい、
来れはテレビの影響が大きかったのだろうが相手が困る、痛がる、恥ずかしがる、といった事を笑いにする傾向も多い、「The我慢」と言う番組が有った、出演者が承知で行う事だったろうが此れを小学生が見て面白かったと言う事になると学校で真似をする、この時我慢させる側は苛めっ子と言うパターンになるのは眼に見えている、
笑っていいともと言う長寿番組がある、あの放送は職場の同僚が見ていたので昼飯時に見る事があったが内容は司会者が素人を弄り回すだけの物で見ていてあまり愉快な物ではなかった
出る者は招致で出てきているのだから其れは構わないのだが、あの頃は「文学青年」と言われたタイプはたもりの「暗い!暗いね~」と言う評価を随分受けていた、
「笑いに知的な笑いも下品な笑いもあるか」と云われるかも知れないが「笑う」と言う事は全生物の中で人類だけが手に入れた知的行為である、遊ぶ動物は何種類か居るが本当の意味で笑う動物は人間以外にはいない。
本来日本の笑いは落語や講談、演劇ももっとウィットの有る物だった、低俗になった日本の笑いを「世界とは違う」と論評するのは少々的外れだと言いたい