梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

違和感のある言い回しと用法

2011-11-06 09:11:07 | 雑記
最近気になる言葉が幾つかある、若い世代から始まったが最近は御同輩の年代、特に女性にも聞かれるがどうもこれは娘さんが使うのでそうなったのではないかと思う
一つは「~貰って良いですか?」と言う言い回しだ、例えばテーブルの上の物を取って貰うのに「その新聞取って貰って良い?」とか「少し前の方に詰めてもらって良いですか?」とかいう言い方で本来「お願いします」と言う部分を曖昧な良い方にする、「すみません、少しづつ詰めていただけますか?」が「”すいません、”すこしづつ詰めてもらって良いですか?」となる、じゃあ「詰めなくても良いのか」と言う事は言わないが「お願いします」と言う美しい日本語は消えて来てしまった、
因みに「すいません」は「すみません」が正しいのだがテレビのCMではご丁寧に文字で書いている物もある、言葉はその国、民族文化の根源をなす物だ、英語を国際語として持て囃すのは良いが母国語を疎かにしたら文化も内容も虚しい物になる
もう一つは若い母親が子供に使う「何々しないよ」と言う良い方だ、「何々をしたら駄目よ」或いは「いけないよ」という言葉がこの言葉に置き換わってしまっている、「何々しない」と言うのは会話に使う言葉としては正しくない、状態を表す形容詞か意思を表示する仮定形だ、これに「よ」を付けると言うのは言語として成り立たないので非常に違和感が有る、
恐らくこれは一時幼児教育学で「なんでも駄目と言うのは子供を委縮させ、可能性を摘み取る事になるので成るべく子供に駄目を多く使わない方が良い」と言う事が喧伝されたせいだと思うが
当然言葉の形が「駄目」から「しないよ」に変わったら良いと言う話ではない、「否定を多用しないで行動を見守り駄目な時はなぜ駄目かを言い聞かせましょう」と言う様な趣旨だったがどうも言葉の表現のみを捉えている様だ、其れこそ「話の内容を聞いていない」最たるものである
幼児期から生きた英語を、と言う広告や小学校の低学年からの英語をと言う話も聞くが基本的に思考は日本語で組み立てて居る、単語をそのまま英語に直せば通じると言うものでは無い事は当然で英語圏と日本語では文脈が逆になっている部分が有る、正確に構文が出来なければ余計に訳の解らない英訳が出来るだけだろう、
英語が世界標準になったのは単純に使う人数が多かった事に拠るだけだ、東京弁が共通語になったのと似通っているが根本的に違う、言語と食生活は民族の文化の根源である、「母国語を英語にしよう」と言う様な事は歴史と文化を無視した愚かしい論だ、前文の「~貰って良いですか?」と言う日本語を英文にして見たら一体どういう言い回しになると言うのか、第一この会話のシチュエーションが解らないだろう