福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

靖国問題をどう考えるか(2) 靖国神社とは

2014年01月11日 06時50分52秒 | 政治・経済 国際関係
 1869年新政府軍、旧幕府群で戦われた戊辰戦争軍人をまつるために建立された神社で、1879年に靖国神社と改称された。
 正規な神社となった後も神社行政を総括した内務省が職員の人事権を有し、同省と陸軍省、海軍省によって管理され、運営の主導権は財政を担った陸軍省であった等、神社としては特殊な存在ではあった。明治維新から太平洋戦争までの国事に殉じた軍人、軍属等を英霊と称して戦没者240万人余をまつっている。1946年に国の管理を離れて単立宗教法人となり日本政府との直接的な関係は無くなった。

 当時青少年は成長した際には軍人あるいは兵士として働くように、戦死したときには靖国にまつられると教育されていた、我々には伺い知れないが当時はほぼ当たり前の考え方であった。歴史的にみて負の考え方かもしれない。だからといって靖国の存在を否定するものではない。

 国のためにという大義のもとに、後ろ髪を引かれる思いで親兄弟、妻子から引き裂かれれ、仕事を捨て戦地に赴いた若者たちは何か精神的よりどころがなければならなかったはずである。送り出す側も同様であっただろう。戦地で命をかけて戦った仲間たちに生まれた連帯感での合い言葉「靖国で会おう」も分かる様な気がする。何か共通の寄り所がなければやっていけなかった、と思う。

 靖国神社は焼却されそうになったことがある。
 戦後に日本を占領したGHQは1945年靖国神社を焼き払う計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなった。GHQは高名な宗教者であった上智大学学長B・ビッテル神父らに意見を求めた。ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務がある。靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言する」と述べ、結果として焼却は免れた。
 靖国を焼却しようとする考え方は戦勝国側の報復であり、英霊への冒涜であり、民族の否定につながる考えだったと思う。

 軍人が祭神とされることから、日本の首相の公式参拝に対して中韓が激しく反発し、中韓や米との外交問題がクローズアップされているが、これは副次的な問題である。A級戦犯合祀もふくめ、また靖国神社が歴史的に果たした役割について、日本の国民がどう考えるのかが本質的な問題である。
 靖国神社の意義を考えること、歴史を振り返ることはその時代感覚に戻ることではなく、正当に評価し、それを未来に結びつけることである。

 中韓米が反発するから首相は靖国神社を参拝してはならない、は短絡である。歴代の首相ごとに考えが異なることの方がおかしい。
コメント (1)
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