私は従来は朝食抜きだったが、血液凝固阻止剤を服用し始めてから朝食を摂る様になった。
この薬は胃腸障害の副作用があり空腹時服用には適さない。服用15ヶ月になるが幸い病気の再発の兆しなどない。次の発作があれば私が何となるか分からないから副作用があっても服用し続けなければならない。それで一日一食から二食に変更した。
私は原則的に料理はしない。いざとなれば台所に立つ覚悟はあるがいまは必要がない。朝食は6:00amから一人で摂る。いわゆる孤食である。朝食は少量でよく、内容は淡白なのを好むが、それほど拘りがないから前日の夕食の残り物をチンして食べる。
先日の事、カレーが残っているはずなのでそこにあった小鍋をガスのとろ火にかけ、昨夜私が食べきれなかったサイコロ状のステーキ片を数ヶ鍋に追加して暖めた。冷凍ご飯70gほどをチンして皿に盛り、用意出来たカレーソースをかけ、福神漬けを乗せて出来上がった。
一口頬張った時点で、カレーではなく汁粉用の小豆であった事に気づいた。朝の出勤前の事でいろいろ準備もあり、台所で温まり具合を見ていたわけでなかったので口に入れるまで気がつかなかった。確かに温まって湯気を上げていたが、その割にカレーの香りが乏しいと思ったが、カレーなのだ、という思い込みがあったためかまさか別もの?とは考えなかった。
味は・・・カレーの期待には遠く及ばなかったが、割り切って考えればそう悪くはなかった。朝食としては甘過ぎたし、皿盛りのご飯に小豆をかけ、さらに福神漬けを乗せたと言う不自然さはあったが、もともと汁粉には餅を入れるのであり、それがご飯であった、だけである。料理のバリエーションの一つと考えればあり得ない組み合わせではない。
私の食事のコンセプトの一つに「食べられる食材は調理をして食べられなくなる事は無い」と言うのがあるから小豆ご飯は許容範囲であった。例外は小豆まみれになったサイコロ状のステーキ肉であった。どう擁護しても美味しいとは言えない味であった。肉の味と脂が小豆とが私の口の中で喧嘩していた。私はそのとばっちりを受けた形であったが、貴重な食材であるから牛さんに感謝しつつ有り難くいただいた。
「違いが分からない人ね・・」、家族には驚かれ、呆れられた。
この薬は胃腸障害の副作用があり空腹時服用には適さない。服用15ヶ月になるが幸い病気の再発の兆しなどない。次の発作があれば私が何となるか分からないから副作用があっても服用し続けなければならない。それで一日一食から二食に変更した。
私は原則的に料理はしない。いざとなれば台所に立つ覚悟はあるがいまは必要がない。朝食は6:00amから一人で摂る。いわゆる孤食である。朝食は少量でよく、内容は淡白なのを好むが、それほど拘りがないから前日の夕食の残り物をチンして食べる。
先日の事、カレーが残っているはずなのでそこにあった小鍋をガスのとろ火にかけ、昨夜私が食べきれなかったサイコロ状のステーキ片を数ヶ鍋に追加して暖めた。冷凍ご飯70gほどをチンして皿に盛り、用意出来たカレーソースをかけ、福神漬けを乗せて出来上がった。
一口頬張った時点で、カレーではなく汁粉用の小豆であった事に気づいた。朝の出勤前の事でいろいろ準備もあり、台所で温まり具合を見ていたわけでなかったので口に入れるまで気がつかなかった。確かに温まって湯気を上げていたが、その割にカレーの香りが乏しいと思ったが、カレーなのだ、という思い込みがあったためかまさか別もの?とは考えなかった。
味は・・・カレーの期待には遠く及ばなかったが、割り切って考えればそう悪くはなかった。朝食としては甘過ぎたし、皿盛りのご飯に小豆をかけ、さらに福神漬けを乗せたと言う不自然さはあったが、もともと汁粉には餅を入れるのであり、それがご飯であった、だけである。料理のバリエーションの一つと考えればあり得ない組み合わせではない。
私の食事のコンセプトの一つに「食べられる食材は調理をして食べられなくなる事は無い」と言うのがあるから小豆ご飯は許容範囲であった。例外は小豆まみれになったサイコロ状のステーキ肉であった。どう擁護しても美味しいとは言えない味であった。肉の味と脂が小豆とが私の口の中で喧嘩していた。私はそのとばっちりを受けた形であったが、貴重な食材であるから牛さんに感謝しつつ有り難くいただいた。
「違いが分からない人ね・・」、家族には驚かれ、呆れられた。