数々の作品がある村山由佳氏が「ラ・ヴィアン・ローズ」で、家庭内暴力(DV)、倫理や道徳に反した嫌がらせ(モラルハラスメント)の実態を小説の上で明らかにした。私は美しい薔薇の表紙につられて本書を手にとったが、読んだあと、DV、モラルハラスメントに対する知識、考え方を勉強し直し修正した。
村山氏の作品は好んで読んでいる。一つ一つの作品にテーマがあり単なる小説以上の価値を見出している。自身の経験、優れた感受性、調査を背景に、美しい文章で綴られるから私は好きである。
先日、「 フェルマータ・イン・ブルー」を読んだ。
この作品の主たるテーマをキーワードであげれば、イルカ、海のブルーカラー、フェルマータ、老チェリスト、楽器チェロ、心の癒し、自閉症の子、などである。
村山氏が音楽に詳しいことは他の作品からも読み取ることができる。実際にチェロを嗜むか否かはわからない。この楽器について、演奏法、歴史のほか、奏者しか味わえない感動などについて、ヴァイオリンやチェロに親しんだことのある私は興味深く読んだが、その記述に違和感を感じなかった。かなり周到に準備を重ねたのであろう。
小説の筋は単純。
音大の付属高校を目指してチェロを習っていた中学生の主人公は、もともと不和であった両親の仲が自分の所為で決定的崩壊を招いたことで、声を完全に失った。父の赴任先であるオーストラリアに行き、とある島でイルカやイルカを取り巻く人々と触れ合を介しつつ、自分自身を取り戻そうとする。グレートバリアリーフの透明な海、サンゴが織りなす砂浜の様子が目に浮かぶような文体である。
イルカ研究所で飼育されているイルカたち、自然界のイルカたち、とのふれあいの表現がいい。海の情景やイルカと一緒に泳ぐシーンなどはとても美しく表現されている。主人公の心理描写やオーストラリアの風景描写は秀逸で、安定感がある。
PTSDに関連して、悲しいエピソードが幾つか交ぜられているが、全体を通してみると、海、イルカ、現地での人間を通じて心が暖まる作品となっている。
地元の老チェリストからチェロを習う。
この老チェリストは現役の時にカラヤンともなんども共演したことがある名手だったらしいが、神経の病気に罹患してから当地で余生を送っている。彼が語るギトリスとの共演、ロストロポービチの逸話、デュプレとの思い出などのシーンは興味深い。レッスンをつける時の様子の描写もいい。
そのチェリストは主人公の弾くチェロを高く評価し「フェルマータ・イン・ブルー」と言う曲を贈ってくれた。曲は技術的には優しいが、音符にも休符にもフェルマータが、おびただしく付けられおり、解釈や表現がとても困難な曲だった。フェルマータは音楽記号の一つであるが、その意味するところは時代や作曲家によってニュアンスが異なり、型にはめられない自由さがある。この曲全体をフェルマータが支配し、この小説をフェルマータが支配する。この曲のフェルマータは作曲者は「青の永遠」だ、といった。
「フェルマータ・イン・ブルー」の演奏を作曲者は完壁だと評したが、主人公のいくつもの経験とオーストリアでの時間とがフェルマータの解釈に役立った。
村山氏の作品は好んで読んでいる。一つ一つの作品にテーマがあり単なる小説以上の価値を見出している。自身の経験、優れた感受性、調査を背景に、美しい文章で綴られるから私は好きである。
先日、「 フェルマータ・イン・ブルー」を読んだ。
この作品の主たるテーマをキーワードであげれば、イルカ、海のブルーカラー、フェルマータ、老チェリスト、楽器チェロ、心の癒し、自閉症の子、などである。
村山氏が音楽に詳しいことは他の作品からも読み取ることができる。実際にチェロを嗜むか否かはわからない。この楽器について、演奏法、歴史のほか、奏者しか味わえない感動などについて、ヴァイオリンやチェロに親しんだことのある私は興味深く読んだが、その記述に違和感を感じなかった。かなり周到に準備を重ねたのであろう。
小説の筋は単純。
音大の付属高校を目指してチェロを習っていた中学生の主人公は、もともと不和であった両親の仲が自分の所為で決定的崩壊を招いたことで、声を完全に失った。父の赴任先であるオーストラリアに行き、とある島でイルカやイルカを取り巻く人々と触れ合を介しつつ、自分自身を取り戻そうとする。グレートバリアリーフの透明な海、サンゴが織りなす砂浜の様子が目に浮かぶような文体である。
イルカ研究所で飼育されているイルカたち、自然界のイルカたち、とのふれあいの表現がいい。海の情景やイルカと一緒に泳ぐシーンなどはとても美しく表現されている。主人公の心理描写やオーストラリアの風景描写は秀逸で、安定感がある。
PTSDに関連して、悲しいエピソードが幾つか交ぜられているが、全体を通してみると、海、イルカ、現地での人間を通じて心が暖まる作品となっている。
地元の老チェリストからチェロを習う。
この老チェリストは現役の時にカラヤンともなんども共演したことがある名手だったらしいが、神経の病気に罹患してから当地で余生を送っている。彼が語るギトリスとの共演、ロストロポービチの逸話、デュプレとの思い出などのシーンは興味深い。レッスンをつける時の様子の描写もいい。
そのチェリストは主人公の弾くチェロを高く評価し「フェルマータ・イン・ブルー」と言う曲を贈ってくれた。曲は技術的には優しいが、音符にも休符にもフェルマータが、おびただしく付けられおり、解釈や表現がとても困難な曲だった。フェルマータは音楽記号の一つであるが、その意味するところは時代や作曲家によってニュアンスが異なり、型にはめられない自由さがある。この曲全体をフェルマータが支配し、この小説をフェルマータが支配する。この曲のフェルマータは作曲者は「青の永遠」だ、といった。
「フェルマータ・イン・ブルー」の演奏を作曲者は完壁だと評したが、主人公のいくつもの経験とオーストリアでの時間とがフェルマータの解釈に役立った。