賢夫人の娘、けっこうわがままに育つ
ジョージ2世王女 アメリア・オブ・グレートブリテン
1711~1786
ステュアート家の血をひくプロテスタントということでアン女王の後を継いだ
ハノーヴァー家のジョージ1世は、王妃ゾフィア・ドロテアをずっと幽閉していたもんで
嫡出子はジョージ2世と、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世妃になった
ゾフィア・ドロテアしかいませんでした。
ジョージ2世の王妃キャロライン・オブ・アーンズバックは賢夫人の誉れ高い方ですが
育児はいかがだったんでしょうね?
長男フレデリックは一生反抗期みたいな人で、王も王妃も手を焼きましたが
(幸い?)即位前に亡くなっています。
フレデリックの王子が後のジョージ3世です。
長女アンはオラニエ公ウィレム4世夫人に、
六女ルイーズはデンマーク王フレデリク5世妃になっています。
この二人は母キャロラインのような政治的才覚が少なからずあったようですが
さて、次女アメリアは?

生まれはハノーファーですが、祖父ジョージ1世の即位に伴い
1701年にイングランドのセントジェームス宮殿に移りました。
幼い頃は病気がちだったようで、たぶんあまやかされたんじゃないかしら…
こころなしか肖像画も気が強うそうな顔をしてません?
大人になってからはたいそう健康になりまして、乗馬と狩猟に熱中しました。
叔母にあたるプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世妃ゾフィア・ドロテアは
王太子フリードリヒ(2世)の相手にアメリアがいいんじゃないかしら…と考えましたが
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、王太子をブラウンシュヴァイク=ベーヴァン家の
エリーザベトと無理矢理結婚させました。
母親が推す相手と結婚していたらフリードリヒ2世も妻を大事にしただろうに…
ともあれアメリアはこの後結婚することなく、父王ジョージ2世が亡くなるまで
親元で暮らしていました。
ただし、29歳の時にお子様を生んでます。
アメリアの息子と言われているのは、ヘンデルのディレクションも手がけたという音楽家の
サミュエル・アーノルドで、父親は下院議員のトマス・アーノルドだということです。
アメリアは40歳の時、リッチモンド・パークの管理人になりました。
管理人と言ったって入口で見張ったり見回りをしたりするわけじゃないですよ、もちろん。
リッチモンド・パークというのは宮殿に属する公園でしたが、一般人の通行は可能でした。
しかしアメリアはすぐに庶民を閉め出して、王族とお友達、そして許可を与えた人々にしか
解放しませんでした。
反対は多かったものの、アメリアが在任中の7年間はこの措置が続きました。
アメリアは後年、自分の領地で浴場の拡張を行っています。
愚かなことよのぉ…と言われたこの事業ですが、現在では “ アメリア王女の浴場 ” として
国家遺産になってるそうでございます。
思えば人の手による世界遺産とか観光名所って、けっこう愚かしい浪費の賜物なのよね。
アメリアはジョージ2世の8人のお子様の中で一番長生きしまして
1786年にロンドンのキャベンディッシュ・スクエアで亡くなりました。
まさに独身貴族、ストレスが少なかったのかしらね?
(参考文献 Wikipedia英語版)
ジョージ2世王女 アメリア・オブ・グレートブリテン
1711~1786
ステュアート家の血をひくプロテスタントということでアン女王の後を継いだ
ハノーヴァー家のジョージ1世は、王妃ゾフィア・ドロテアをずっと幽閉していたもんで
嫡出子はジョージ2世と、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世妃になった
ゾフィア・ドロテアしかいませんでした。
ジョージ2世の王妃キャロライン・オブ・アーンズバックは賢夫人の誉れ高い方ですが
育児はいかがだったんでしょうね?
長男フレデリックは一生反抗期みたいな人で、王も王妃も手を焼きましたが
(幸い?)即位前に亡くなっています。
フレデリックの王子が後のジョージ3世です。
長女アンはオラニエ公ウィレム4世夫人に、
六女ルイーズはデンマーク王フレデリク5世妃になっています。
この二人は母キャロラインのような政治的才覚が少なからずあったようですが
さて、次女アメリアは?

生まれはハノーファーですが、祖父ジョージ1世の即位に伴い
1701年にイングランドのセントジェームス宮殿に移りました。
幼い頃は病気がちだったようで、たぶんあまやかされたんじゃないかしら…
こころなしか肖像画も気が強うそうな顔をしてません?
大人になってからはたいそう健康になりまして、乗馬と狩猟に熱中しました。
叔母にあたるプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世妃ゾフィア・ドロテアは
王太子フリードリヒ(2世)の相手にアメリアがいいんじゃないかしら…と考えましたが
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、王太子をブラウンシュヴァイク=ベーヴァン家の
エリーザベトと無理矢理結婚させました。
母親が推す相手と結婚していたらフリードリヒ2世も妻を大事にしただろうに…
ともあれアメリアはこの後結婚することなく、父王ジョージ2世が亡くなるまで
親元で暮らしていました。
ただし、29歳の時にお子様を生んでます。
アメリアの息子と言われているのは、ヘンデルのディレクションも手がけたという音楽家の
サミュエル・アーノルドで、父親は下院議員のトマス・アーノルドだということです。
アメリアは40歳の時、リッチモンド・パークの管理人になりました。
管理人と言ったって入口で見張ったり見回りをしたりするわけじゃないですよ、もちろん。
リッチモンド・パークというのは宮殿に属する公園でしたが、一般人の通行は可能でした。
しかしアメリアはすぐに庶民を閉め出して、王族とお友達、そして許可を与えた人々にしか
解放しませんでした。
反対は多かったものの、アメリアが在任中の7年間はこの措置が続きました。
アメリアは後年、自分の領地で浴場の拡張を行っています。
愚かなことよのぉ…と言われたこの事業ですが、現在では “ アメリア王女の浴場 ” として
国家遺産になってるそうでございます。
思えば人の手による世界遺産とか観光名所って、けっこう愚かしい浪費の賜物なのよね。
アメリアはジョージ2世の8人のお子様の中で一番長生きしまして
1786年にロンドンのキャベンディッシュ・スクエアで亡くなりました。
まさに独身貴族、ストレスが少なかったのかしらね?
(参考文献 Wikipedia英語版)