
なにかにおう気がする再婚なんだけど・・・
エドワード1世王女 エリザベス・オブ・ルドラン
ホラント伯ヨハン1世夫人/ヘレフォード伯ハンフリー夫人
1282~1316
エリザベスはエドワード1世とエリナー・オブ・カステイルの十一女
です。
彼女の下には弟エドワード(2世)がいます。
年の近いふたりは兄弟姉妹の中で一番の仲良しだったようです。

3歳の時、ホラント伯フローリス5世の息子ヨハン(1世)と婚約しました。
年下のヨハンは1歳で、教育のためにイングランドに連れてこられ
以後ふたりは一緒に成長しました。
エリザベスが15歳になった時、イプスウィッチで結婚式が挙げられました。
式には、父エドワード1世、姉マーガレット、弟エドワードが参列していました。
そしてもうひとり、ハンフリー・ド・ブーン、覚えといてくださいね。
その後ホラントに向かって旅立つ手はずになっていたのですが…
エリザベスが行きたくないと言い出しました。
あらあら、わがままね…でも彼女の言い分は受け入れられて
可哀想なヨハンはひとりでホラントに帰っていきました。
ヨハンだって13歳、男の子だけど親元を離れて来ていたのにね。
とうとうエリザベスがホラントのヨハンのもとへ行く決心をすると
父王エドワード1世が同行して来てました。
エリザベスはエドワード1世と数ヶ月もヘントに滞在して
クリスマスを姉エリナーとメアリーと祝っています。 ヨハンはまた待ちぼうけ?
十何年も一緒にいて情が移ってると思ったら、実は嫌いになってたのかしら?
それとも単に家族といたいだけだったのかしら?
1298年にやっと再会を果たしたエリザベスとヨハンでしたが
2年もたたない1299年11月、ヨハンが赤痢で亡くなってしまいました。
殺されたという噂もたちました。
でも、彼の兄弟は皆若くして亡くなっていますので、やはり病死かも…
ヨハンが嫡子無く亡くなったことで、ホラント伯領はエノー伯家に移っってます。
いろいろと蠢いていた可能性はありそうですけどね…
で、17歳で未亡人になったエリザベスはイングランドに帰りました。
そこで父の再婚相手で継母のマーガレット・オブ・フランスと初対面。
ふたりはすっかり意気投合して、親子というより親友のようになりました。
なんたって年がかわらないんですもの(マーガレットが3歳年上)
1302年、20歳の時ヘレフォード伯ハンフリー・ド・ブーンと再婚しました。
ん? ハンフリー・ド・ブーン?
そうです、結婚式に参列していたハンフリーです。
なんで彼が王家に混じって結婚式にいたのかよくわからんのだが、もしかしたら
その時に恋が芽生えちゃったとか ? それでホラントに行きたくなくなっちゃったとか?
だとしたら面白いんだけどね
おふたりは仲睦まじかったようで12人のお子様が生まれています(5人は10歳までに夭逝)
1315年、エリザベスは11人目のお子様を身ごもっていましたが、クリスマスの間
義理の妹イザベル・オブ・フランスの訪問を受けることになりました。
王妃の訪問は名誉なことだけれども、エリザベスにはものすごいストレスになります。
だってお茶だけ出せばいいってもんじゃないんだもの。
晩餐会はしなきゃいけないだろうし、もしかしたら舞踏会まで開いたかもしれない。
料理に招待客に部屋の用意…女主人はすごく大変ですよね。
エリザベスは原因不明の不調になりますが、子供は無事生まれました。
でもやはり健康を損ねてしまっていたようです。
翌年、12人目の出産の時にはエリザベスも生まれた子も数時間後に亡くなりました。
元気になるまで妊娠しなければ良かったのに…
エリザベスはイザベルと名付けられた最後の子供とともに
エセックスのウォルサム・アベイに葬られました。
(参考文献 Wikipedia英語版)
エドワード1世王女 エリザベス・オブ・ルドラン
ホラント伯ヨハン1世夫人/ヘレフォード伯ハンフリー夫人
1282~1316
エリザベスはエドワード1世とエリナー・オブ・カステイルの十一女

彼女の下には弟エドワード(2世)がいます。
年の近いふたりは兄弟姉妹の中で一番の仲良しだったようです。

3歳の時、ホラント伯フローリス5世の息子ヨハン(1世)と婚約しました。
年下のヨハンは1歳で、教育のためにイングランドに連れてこられ
以後ふたりは一緒に成長しました。
エリザベスが15歳になった時、イプスウィッチで結婚式が挙げられました。
式には、父エドワード1世、姉マーガレット、弟エドワードが参列していました。
そしてもうひとり、ハンフリー・ド・ブーン、覚えといてくださいね。
その後ホラントに向かって旅立つ手はずになっていたのですが…
エリザベスが行きたくないと言い出しました。
あらあら、わがままね…でも彼女の言い分は受け入れられて
可哀想なヨハンはひとりでホラントに帰っていきました。
ヨハンだって13歳、男の子だけど親元を離れて来ていたのにね。
とうとうエリザベスがホラントのヨハンのもとへ行く決心をすると
父王エドワード1世が同行して来てました。
エリザベスはエドワード1世と数ヶ月もヘントに滞在して
クリスマスを姉エリナーとメアリーと祝っています。 ヨハンはまた待ちぼうけ?
十何年も一緒にいて情が移ってると思ったら、実は嫌いになってたのかしら?
それとも単に家族といたいだけだったのかしら?
1298年にやっと再会を果たしたエリザベスとヨハンでしたが
2年もたたない1299年11月、ヨハンが赤痢で亡くなってしまいました。
殺されたという噂もたちました。
でも、彼の兄弟は皆若くして亡くなっていますので、やはり病死かも…
ヨハンが嫡子無く亡くなったことで、ホラント伯領はエノー伯家に移っってます。
いろいろと蠢いていた可能性はありそうですけどね…
で、17歳で未亡人になったエリザベスはイングランドに帰りました。
そこで父の再婚相手で継母のマーガレット・オブ・フランスと初対面。
ふたりはすっかり意気投合して、親子というより親友のようになりました。
なんたって年がかわらないんですもの(マーガレットが3歳年上)
1302年、20歳の時ヘレフォード伯ハンフリー・ド・ブーンと再婚しました。
ん? ハンフリー・ド・ブーン?
そうです、結婚式に参列していたハンフリーです。
なんで彼が王家に混じって結婚式にいたのかよくわからんのだが、もしかしたら
その時に恋が芽生えちゃったとか ? それでホラントに行きたくなくなっちゃったとか?
だとしたら面白いんだけどね

おふたりは仲睦まじかったようで12人のお子様が生まれています(5人は10歳までに夭逝)
1315年、エリザベスは11人目のお子様を身ごもっていましたが、クリスマスの間
義理の妹イザベル・オブ・フランスの訪問を受けることになりました。
王妃の訪問は名誉なことだけれども、エリザベスにはものすごいストレスになります。
だってお茶だけ出せばいいってもんじゃないんだもの。
晩餐会はしなきゃいけないだろうし、もしかしたら舞踏会まで開いたかもしれない。
料理に招待客に部屋の用意…女主人はすごく大変ですよね。
エリザベスは原因不明の不調になりますが、子供は無事生まれました。
でもやはり健康を損ねてしまっていたようです。
翌年、12人目の出産の時にはエリザベスも生まれた子も数時間後に亡くなりました。
元気になるまで妊娠しなければ良かったのに…
エリザベスはイザベルと名付けられた最後の子供とともに
エセックスのウォルサム・アベイに葬られました。
(参考文献 Wikipedia英語版)
私も英語がわかったらなぁ・・・
森護氏『英国王室史話』とかは私も持ってるし読んだことあるんですよ
でも日本人が書くものって、やっぱり有名人しか書かないじゃないですか・・・
だから、ある意味マイナーな人の情報って入りにくいですよね;;
ここで、読めるととっても勉強になって嬉しいです^m^
それから画像もこちらからお借りしましたので
もしご覧になって不都合等ありましたらご連絡ください
すぐに対処いたします
リンクを貼った記事のURLはこちらになります↓
http://blog.goo.ne.jp/labarea55/e/65b26d491775459ebbbddcfba03e7ea0
こちらのブログがとても参考になるので
最近毎日読みに来てしまってます^^;
コメントをたくさん、ありがとうございます。
名前の呼び方は国によって違ったりして面倒くさいですよね
私も度々迷います。
『大聖堂』はルージュさんからのコメントで昨日の2話は録画したのですが、旦那が休みでまだ観れておりません。近々観る予定です。
私は英会話はさっぱりダメなんですが、歌詞カードとか短篇小説を訳すのが昔から好きで、こちらの文章もまったくの独学で四苦八苦しながら訳してます。
だから少し怪しいところがあるかもしれません…
参考文献のあるものはなるべくそちらから引用していますが、歴史上の人物にはエピソードに諸説あったり、研究者の見解で性格などが違う場合があるので、参考までに…という軽い気持で読んでいただけると助かります。
励ましのお言葉に俄然やる気が出ている今日この頃です。
でも、なかなか腰が上がらないという…
また遊びに行かせていただきます。