婚活の時はそばにいてほしい・・・
ミゲル1世妃 アデライデ・デ
ローウェンシュテイン=ウェルトハイム=ローゼンベルグ
1831~1909/在位せず
ちょっと順番が前後してしまいますけど…
ミゲルは王子の時に母后カルロッタ・ジョアキナとクーデターをおこして追放になり
その後マリア2世から王座を奪いました。
ミゲルは超保守派で、王座につくと憲法を廃止して絶対王政で統治しようとしました。
しかし、リベラルなペドロの帰国で自由主義戦争がおこってミゲルは敗戦、
全ての権利を剥奪されて再びウィーンへ追放の身になります。
その間ずっと独身だったようですけど、49歳の時20歳のアデライデと結婚しました。
アデライデはハプスブルク帝国のレーヴェンシュタイン公女です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/f9/4d352ec0f09d89447887222111a0ffff.jpg)
なんで年ごろの若い娘を追放中の、しかも若くもない男性に嫁がせるかね? と
不思議に思いません?
追放中とはいえ、ミゲルは絶対王政主義と保守派のシンボルみたいになってまして
保守派の王家はけっこう手厚くもてなしたみたいです。
結婚後、一家はアデライデの故郷に身を寄せていたみたいで
1666年にミゲルはバーデンで亡くなっています。
アデライデには6人の幼い子が残されました。
ここからアデライデの活躍が始まります。
生家の名とブラガンザ家の名を借りて、子供たちに立派な縁談を与えますよ!
ほぼ10年の月日を費やしています。
娘たちの嫁ぎ先は、ブルボン=スペイン家、ハプスブルク家、ヴィッテルスバハ家、
ナッソウ=ルクセンブルク大公家などそうそうたる家柄です。
息子ミゲルはトゥルン=ウント=タクシス家から妃を迎えています。
二人目の妻はアデレイドの姪マリア・テレジアです。
名家とはいえ追放された父を持つ子女としてはすごくいい縁談!
残っている王家でお相手の奪い合いという状況の中、すごく頑張ったと思います。
こんな方だったら仲人も安心して任せられるわね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp05.gif)
なぜか分らないんですけど、イギリスのワイト島で亡くなっているのよね。
1909年でしょう? ドイツはまだ王国だし…亡命じゃないですよね?
子供たちの嫁ぎ先でもないし…病気療養とかかしら?
ちなみに、イギリスは自由主義戦争でペドロ側について
最終的にミゲルを敗退にいたらしめた国でございます。
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
ミゲル1世妃 アデライデ・デ
ローウェンシュテイン=ウェルトハイム=ローゼンベルグ
1831~1909/在位せず
ちょっと順番が前後してしまいますけど…
ミゲルは王子の時に母后カルロッタ・ジョアキナとクーデターをおこして追放になり
その後マリア2世から王座を奪いました。
ミゲルは超保守派で、王座につくと憲法を廃止して絶対王政で統治しようとしました。
しかし、リベラルなペドロの帰国で自由主義戦争がおこってミゲルは敗戦、
全ての権利を剥奪されて再びウィーンへ追放の身になります。
その間ずっと独身だったようですけど、49歳の時20歳のアデライデと結婚しました。
アデライデはハプスブルク帝国のレーヴェンシュタイン公女です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/f9/4d352ec0f09d89447887222111a0ffff.jpg)
なんで年ごろの若い娘を追放中の、しかも若くもない男性に嫁がせるかね? と
不思議に思いません?
追放中とはいえ、ミゲルは絶対王政主義と保守派のシンボルみたいになってまして
保守派の王家はけっこう手厚くもてなしたみたいです。
結婚後、一家はアデライデの故郷に身を寄せていたみたいで
1666年にミゲルはバーデンで亡くなっています。
アデライデには6人の幼い子が残されました。
ここからアデライデの活躍が始まります。
生家の名とブラガンザ家の名を借りて、子供たちに立派な縁談を与えますよ!
ほぼ10年の月日を費やしています。
娘たちの嫁ぎ先は、ブルボン=スペイン家、ハプスブルク家、ヴィッテルスバハ家、
ナッソウ=ルクセンブルク大公家などそうそうたる家柄です。
息子ミゲルはトゥルン=ウント=タクシス家から妃を迎えています。
二人目の妻はアデレイドの姪マリア・テレジアです。
名家とはいえ追放された父を持つ子女としてはすごくいい縁談!
残っている王家でお相手の奪い合いという状況の中、すごく頑張ったと思います。
こんな方だったら仲人も安心して任せられるわね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp05.gif)
なぜか分らないんですけど、イギリスのワイト島で亡くなっているのよね。
1909年でしょう? ドイツはまだ王国だし…亡命じゃないですよね?
子供たちの嫁ぎ先でもないし…病気療養とかかしら?
ちなみに、イギリスは自由主義戦争でペドロ側について
最終的にミゲルを敗退にいたらしめた国でございます。
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)