まりっぺのお気楽読書

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イングランド王エドワード2世妃 イザベル

2008-10-15 01:47:49 | イングランド王妃・王女
王を処刑においやった王妃
エドワード2世妃 イザベル・オブ・フランス


1292~1358/在位 1308~1327

イングランド王国史上一番の愚王といわれるエドワード2世の妃イザベルを
稀代の悪女と見るか境遇の犠牲者と見るかは意見の分かれるところです。

私は女なので、やはり夫によって人生を変えられてしまった哀れな女性じゃないかな
なんて思います。
       
慈愛たっぷりの前王妃マーガレット・オブ・フランスの姪にあたりながら
彼女を “ フランスの女豹 ” と言われてしまうほどの蛮行に駆り立てたものは
いったいなんだったのでしょうか?

エドワード2世には結婚前から、父王に反対されようが議会から追放を言い渡されようが
離れられない寵臣(男ね)がいました。
前王が亡くなると、エドワードはそのピエール・ギャブスタンに高位の爵位を与えるわ
摂政に指名するわの大盤振る舞いで、貴族から反感をかっていました。

結婚後もそれは変わらず、イザベルの宝石をピエールが欲しがった時には
ピエールに味方して彼女から取り上げてしまいます。
また二人で着飾って旅行気分で戦場に出かけたり遊び歩いてイザベルをないがしろにします。

フランスのカトリーヌ・ド・メディシスとよく似てるパターンだけど
相手が男なだけにやりきれないですね

追放になったピエールと王が一緒に逃げ出したり、スコットランドに大敗したりして
とうとう国内が反国王に傾き始めた頃、イザベルは愛人マーチ伯と、
皇太子を伴ってフランスに渡り、エドワード2世廃位の機会をうかがいます。

1326年にイングランドに攻め込んだイザベル一行は
待ちわびていた反王派の助けもあって、2ヶ月ほどで王を廃位に追い込みます。

さて、廃位となったエドワード2世ですが、幽閉中に謎の死を遂げてしまいます。
これはイザベルとマーチ伯の差し金だったことが明白でした。

15歳の王エドワード3世の母イザベルとマーチ伯は
王が幼いのをいいことに女王と国王のように振る舞っていました。
しかし、エドワード3世が18歳の時無断で処刑をしたとして怒りをかい
マーチ伯は極刑、イザベルは幽閉となり、以後28年間閉じ込められたまま暮らしました。

もしエドワード2世が父王のように愛情深く頼もしい夫だったら?
イザベルはこんな風にならなくてすんだのかもしれませんね。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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夫に嫌われたヨーロッパ1の美姫・イザベル (メリエンダ)
2018-08-09 20:52:59
今更ながら‥私は、職業、近所の内科病院の看護師。高校時代は、史学部志望で、歴史を学べる職業に就きたいと思ってましたが、だんだん現実を見るように(?)なり、食いっぱぐれない仕事に就こうと思い、二年生の冬休みに看護学部志望に‥ 私は図書館巡りが大好きで、とりわけ、伝記や歴史のコーナーが大好きです。ハプスブルクの情報元ですが、特にこの方の、と言うものはなく、強いて言えば、「ハプスブルクの女たち」「ハプスブルクの子供たち」くらいですかね。 今回は、“イングランド王妃”のコーナーにお邪魔させていただきます。
イザベル・フランス王妃。あの美男子で有名なフィリップ4世の一人娘(嫡出では)にして、ヨーロッパ1美貌と謳われた佳人イザベル王女。その美しさ、高貴な出自ゆえか、おそらく気位が高くて、夫が自分を顧みず、愛人、しかも、男!に溺れるのが屈辱で、我慢できなかったのでしょうね。堪忍袋の緒が切れ、夫を幽閉し、残酷非道なやり方で殺害。これまで、日陰に追いやられていた反動からか、愛人と共に国政を牛耳った、までは順調だったけれど、可愛い可愛い息子が謀叛を起こし、愛人は惨殺され、自身は幽閉されてしまうなんて、つめが甘かったのですね‥だが、しかし、イングランド王妃って、この方もそうですが、フランス王妃に比べて強烈な女性が多い気がします。
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