悲運の皇帝たちの母君
アレクセイ妃 マリーヤ・イリイチナ・ミラスロフスカヤ
1625~1669/在位 1648~1669
アレクセイは18歳になると100人ほどの貴族の娘たちから花嫁を選ぶことにしました。
以前のお妃オーディションに比べると小規模になってるようですが
そろそろ釣り合いの取れた家柄なんかを厳選し始めたのかもしれませんね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/cc/647f4beb784ac2f32323fc168d304416.jpg)
こちらお妃選考会の様子
どれがマリーヤかは分からんが…
このお妃選びはアレクセイの家庭教師だったボリス・モロゾフが主導で行い
マリーヤが選ばれました。
モロゾフはマリーヤの妹アンナと結婚していますので、何か狙いがあっての人選ですね。
結婚式もモロゾフとマリーヤの父イリヤ・ミラスロフスキーが取り仕切っています。
たぶんお互いの力を見せつけようと躍起になったことでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/69/abcdedab0a4a96ecfc4043a3a22a0671.jpg)
マリーヤは5男8女を生んでいますが、成長した男の子はフョードルとイヴァンだけです。
このふたりは後に皇帝になりますが幸福とは言いきれない人生を送りました。
マリーヤは44歳の時に13人目の子を出産した後亡くなりました。
皇后という輝かしい地位にいながら、しかも皇帝をふたりも生んでいながら
本人のエピソードはほとんど残っていないんですよね。
歴史に残るには絶世の美女か稀代の悪女か…選択肢はあまり多くなかったようです。
(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)
アレクセイ妃 マリーヤ・イリイチナ・ミラスロフスカヤ
1625~1669/在位 1648~1669
アレクセイは18歳になると100人ほどの貴族の娘たちから花嫁を選ぶことにしました。
以前のお妃オーディションに比べると小規模になってるようですが
そろそろ釣り合いの取れた家柄なんかを厳選し始めたのかもしれませんね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/cc/647f4beb784ac2f32323fc168d304416.jpg)
こちらお妃選考会の様子
どれがマリーヤかは分からんが…
このお妃選びはアレクセイの家庭教師だったボリス・モロゾフが主導で行い
マリーヤが選ばれました。
モロゾフはマリーヤの妹アンナと結婚していますので、何か狙いがあっての人選ですね。
結婚式もモロゾフとマリーヤの父イリヤ・ミラスロフスキーが取り仕切っています。
たぶんお互いの力を見せつけようと躍起になったことでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/69/abcdedab0a4a96ecfc4043a3a22a0671.jpg)
マリーヤは5男8女を生んでいますが、成長した男の子はフョードルとイヴァンだけです。
このふたりは後に皇帝になりますが幸福とは言いきれない人生を送りました。
マリーヤは44歳の時に13人目の子を出産した後亡くなりました。
皇后という輝かしい地位にいながら、しかも皇帝をふたりも生んでいながら
本人のエピソードはほとんど残っていないんですよね。
歴史に残るには絶世の美女か稀代の悪女か…選択肢はあまり多くなかったようです。
(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)