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まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『零落者の群』貧しき者たちの英雄

2016-09-26 20:02:04 | ロシアの作家

1897年 マクシム・ゴーリキー

この物語は、じつは『ゴーリキー短篇集』の中におさめられている一編なのですが
かなり長いお話で、印象深かったので、一編として紹介しようと思います。

舞台はウェズジャヤ街という、山の手の下にある貧民街で
そんな中でも、特に落ちぶれた感が強い、木賃宿の住人が主人公です。

クヴァルダという、退役騎兵大尉が主人を務める木賃宿があります。

木賃宿というのは、どうやら宿泊費が日払いのようで、一晩寝泊まりするだけの人もいれば
住みついちゃってるような人もいますが、描かれているのは、主に後者の方です。

クヴァルダ以外は、もと教師で現在記者をやっているインテリのチトーフ
もと林務官の60歳の老人シムツォフ、もと監守のマルチャノフ
もと機械工ソーンツォフ、おとなしいキセリニコフ、もと百姓の老人チャパー
破門されたもと補司祭タラス、といった人々が登場します。

クヴァルダとチトーフ以外は、ほとんどが行商人かくず屋で日銭を稼いでいます。
行商するといっても、がらくたみたいなものとか、商店でも買えるものばっかり…
だから、彼らはギリギリの稼ぎしかないし、這い上がれる見込みもありません。

で、あらすじはおいといて、彼らがどうしてこんな身分でいるのかっていうことなんだけど
酒で身を持ち崩した人はさておき、あとは、病人・老人・学問が授けられなかった若者
前科者・出稼ぎに出て来たけど仕事が見つからない… などで
結局、そういう人間は落ちぶれるしかないのだ、という、当時の階級意識と無保証ぶりが
垣間見える内容になっております。

それでも前半は、彼らの哀しくもいきいきした生活ぶりが描かれているような気がします。
もしかしたらチトーフはここから抜け出せるかもしれない…
チャパーは本当に金持ちで、皆を救えるのかもしれない… なんて
夢みがちな考えが浮かんだりもしました。

なんだけど、木賃宿の持ち主の商人ペトゥンニコフが、その辺り一帯を工場にしようと考え
木賃宿を取り壊そうと目論んだところから、物語はガラガラと破滅に向かっていきます。

貧乏人たちの溜まり場の酒場の無学な主人ヴァヴィロフは、せっかくクヴァルダとチトーフが
知恵を授けてやっても、ペトゥンニコフ親子にさっさと丸め込まれてしまいます。

でも、勝負は最初からわかってんのよね。
持てる者と公権が、貧乏人に負けるわけないもの。
それに、貧民街があるよりは、工場がいくつか建つ方が、求人も増えて生産的だしね。

ゴーリキーは、凛とした貧乏人を描きたかったのかしら?
貴族や兵隊たちの中にではなく、貧しい人々の中に英雄を作りたかったのかもしれません。
何も持たなくても臆することなく、負けると知っていても立ち向かい
全てを失っても嘆くことをしないクヴァルダたちを見て、そんな風に思えましたが…


読み応え十分の短篇集です
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね




ひとことK-POPコーナー
f(x)ソルリ、2NE1のMINZYの脱退、KARA、4Minuteの解散と、女性グループにもいろいろ動きがあって
一抹の寂しさを感じておりましたが、Secretのソナもですかぁ…
Secretはららぽーとでイベントも見たりしたんだけどな… これからの活動も頑張ってほしいですね
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『ゴーリキー短篇集』時は革命20年前

2016-09-20 16:51:50 | ロシアの作家

マクシム・ゴーリキー

ゴーリキーは、『世界短編名作選 ロシア編』を読んで
絶対他の物語を読もうと思っていて、以前、長篇『母』を読んだのですが
短篇集も一緒に買っておきざりにしていました。

20代の頃の短篇が、7篇おさめられているのんですが
『零落者の群』というお話しはかなり長いので、別でご紹介します。

ゴーリキーが、いったいどの階級に属していたのかは知らないんですが
そして今後もたぶん調べないのですが、労働者、それもどちらかというと、季節労働者や
日雇いの貧しい労働者、放浪者などをテーマにしたものが多かったです。

その他6篇の中で『秋の一夜(ある秋のこと)』は、『世界短編名作選』で読んでいますが
やはり、とっても良い話しでした。

その他印象に残ったお話しをいくつか…

『イゼルギリ婆さん/1895年』
仕事を終えて次の仕事へ移動する間、ベッサラビヤの夜の海岸で
干からびたようなイゼルギリ婆さんの話しを聞く。
何千年も生き続けなければならない暴漢ラルラ、若い頃の婆さん、愛したポーランド人
青い炎になった若者の英雄など、婆さんの話しは尽きない。

解説によると、ゴーリキーは若い頃放浪したそうで、こういう不思議な話しや
土地に伝わる話しをたくさん聞いたのでしょうね。
そういうのはいいのだが、老人の若い頃の話しを聞いてあげるなんて… エラいわぁ…

『チェルカッシ/1895年』
埠頭の中を、ボロを纏って歩き回るチェルカッシは、名うての泥棒で
その夜の相棒を探していた。
そんな彼に、やはりすり切れた服を着た若者が声をかけてくる。
金持ちの農家の娘が待つ田舎へ帰って結婚するために、大金を手に入れたいと言う。

この話し、前半はあんまり好きじゃなかったんですよね。
でも後半、チェルカッシの男前ぶりが炸裂します。
ある意味、英雄伝と言えそうですが、その後の彼がどうなったか気になるところ…

『二十六人の男と一人の少女/1899年』
暑く暗い地下室で、一日中機械のようにパンをこしらえる、貧しい二十六人の男たちの
唯一の光は、毎朝パンをもらいにくる、十六歳の小間使いターニャだけだけで
誰もが彼女を崇め、敬い、言うことを聞いてあげた。
ある日、待遇のいい白パン製造場に、兵隊上がりの洒落者が入ってきた。

うぅぅぅむ… 女性側から言わせてもらうと、ターニャを責められない気がします。
自分を崇拝してくれるからって、付き合うのにいい人とは限らないものね。
まぁ、そのオシャレな男もどうかと思うけれども、何事も経験ということで…

たぶん、ゴーリキーは、貧しい人々の怒りや哀しみとともに
逞しさと崇高さを描く作家のように思えます。
私が読んだ数少ない作品にに限っていえば、ということになりますが、
面と向かって、政府や社会に反感をぶつけているようには思えません。

それが、検閲とかそういう政治的理由に因るものか、あるいは
ゴーリキーの作風に因るものかはわかりませんが、私は、それがかえって好きですね。

ドストエフスキーみたいに、いきなり内容に関係なく、延々と改革論とか語られたりすると
どうしてもそこを飛ばして読みたくなっちゃうのよね。
当時の庶民には、切実で重要なことだったのかもしれないですけど…

これらの物語が書かれた約20年後にロシア革命がおこって、帝政は倒れます。
若きゴーリキーは、そんな空気を感じ取っていたのかしら? どうかしら?


読み応え十分の短篇集です
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね





ひとこと通販コーナー


運動神経悪い芸人で見てからものすごく踏んでみたくて、とうとうAmazonで買ってしまった! ブツブツマット
まさかあそこまで… と思っていましたが、芸人さん並みに苦しむだんなさんを見て、嘘じゃなかったんだと納得しました



効果があるのかどうかは別として…




そんな痛い思いをしてみたいという勇気ある皆さんは上の画像をクリックしてね


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『結婚披露宴 新チェーホフ・ユモレスカ2』反省がいかされず…

2016-08-23 12:40:13 | ロシアの作家

1882年~1887年 チェーホフ

『新チェーホフ・ユモレスカ1』に続き読んでみました。
つくづく作品が多いなぁ、と改めて思っているところです。

1同様、主に『破片』『ペテルブルク新聞』『目ざまし時計』という三紙に
掲載された作品が抜粋されています。

三紙の特徴はよくわかりませんが、私なりに、ざっっっくりと傾向をわけてみると

『破片』に掲載されたものが一番わかりやすく、役人根性や貴族根性を皮肉って
笑い話にしているような気がします。
私はあまり好きなラインではないんですけどね。

『ペテルブルク新聞』は、悲喜こもごもの人間模様みたいなものを描いているのかな?
少し可笑しかったり、哀しかったりするのですが、ちょっとだけ社会問題なんかにも
言及しているあたり、新聞の読者を意識してのことでしょうか?

『目ざまし時計』は、けっこう哀しい、The 短編って感じのお話しが多いと思います。
私が好きなのは『目ざまし時計』から抜粋したものが多い気がします。

では、好きだったお話しを…

『七万五千/1887年』
妻のブレスレットを質に入れた金を、カルタでスッてしまったワシーリー・イワーヌイチ。
金が借りれず家に戻ると、妻が、隠し持っていた宝くじ七万五千ルーブルが当たったと言う。

これで辛い境遇続きだったワシーリーの妻の前途もようようかと思ったら…
ひどい仕打ちに継ぐひどい仕打ち… こんな旦那ならいらないんじゃない?

『大問題/1887年』
手形で詐欺をはたらいたサーシャの件で、おじたち三人が親族会議を開いている。
母方の伯父だけが、裁判沙汰にはしないようにとサーシャを庇う。

人間てこんなものよね… と思わされる、真理をついたラストです。
目が覚めたのはサーシャでなく伯父さんだったかもね…

『クリスマスの夜/1883年』
夫たちの乗ったそりが戻らないので、荒れ狂う浜辺に降りてみた若妻ナターリア。
心配する者たちが浜辺に集まる中、氷が砕ける音が鳴り響く。

最初は夫婦愛のいい話かと思っていたら、どんでん返しで悪女の物語! と思いきや
もう一回返しがあります。
いちばんドラマティックなお話しに思えました。

チェーホフ・ユモレスカは、今までにもいくつか発売されてますよね。
それで、前にも思ったんだけど、2冊続けて読むと…飽きるね…
あれほど、間をあけて読もうと反省したのに忘れてた。

面白かったんですよ!
でも、もっと時間をあけていたら、もっと面白かったと思います。
私のミスです。

チェーホフがまだまだ読み足りない方、Iと IIあわせてどうぞ!
読んでみたいなという方は下の画像をクリックしてね

  

ひとことK-POPコーナー


い、ま、さ、ら、ですが… オニュとイジナの밤과 별의 노래(Starry Night)
もう何十回見たかわからんが、曲も二人の声もいいし、MVも可愛いし… まだまだ見続けるわ!!
SMTOWNでは歌わなかったですね… やっぱり… でもちょっと期待したけど…
K-POPが苦手だっていう方もぜひ!





やれやれ、そんなにいうなら聞いてあげようか…という方は上の画像をクリックしてね
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『郊外の一日 新チェーホフ・ユモレスカ1』つくづく短編名人!

2015-12-16 23:00:32 | ロシアの作家

1884年~1887年 チェーホフ

“ ユモレスカ “ が “ ユモレスク ” と同じ意味で使われているとしたら
少しこっけいなものを集めた小作品集というようなことになるのでしょうが
あまりその部分にとらわれずに読む方が良いようです。

とにかく幅広い… なんでも書いてるんですね、チェーホフ。
そこらへんを歩いてて目にした物事は、たとえば絵画で言う写生のように
すぐその場で小説にしちゃってたんじゃないかっていうぐらい
多様なテーマを扱っています。

喜怒哀楽、いろいろな感情を持って読めるお話しが31篇!
いくつか印象に残ったものをご紹介します。

『郊外の一日/1886年』
朝の8時過ぎ、靴屋のテレンチーが畑にいると、6歳の浮浪者の娘フョークラが走って来て
伯爵の森で木の洞に突っ込んだ手が抜けなくなった兄のダニールカを助けてと言います。
テレンチーは「やれやれ」と腰を上げると、村を抜けて伯爵の森に向かいます。

すっごくいい話しなのよぉ!
こういう大人がたくさんいたら、世の中はよくなりそうな気がする…
だけど、他の話しを読むとそうも思えなくなってしまうんだけど…

『花婿とパパ 現代的な或る小景/1885年』
ピョートル・ミールキンは、まわりの人々から、コンドラーシキン家の娘
ナスターシャと結婚するのかと聞かれて、誤解を解くために彼女の家に向かいます。
しかし、出て来たナスターシャの父親は、娘と結婚しろと言って一歩も引きません。

下手なのよねぇ… ピョートル・ミールキン
モームに『家探し』っていう話しがあるんだけど、こういうふうにしなきゃ!
それより(たぶん食費をうかせたいからって)その女性の家に通い続けたのがどうかと思う…

『聖なる純朴 物語/1885年』
教会の高齢の院長ジェズローフ神父のもとへ、15年ぶりに息子が訪ねて来ます。
モスクワで名高い弁護士になっている息子を料理女に自慢したい神父でしたが
息子は、破産しそうになった話しや、離婚した話しを披露します。

世代間ギャップに加え、田舎と都会で暮らすうちに生じる人生観のズレや
金銭感覚の大きな大きな違いが浮き彫りになる一編です。
こういう親子はかなり多いと思う。

『父親/1887年』
ムサートフ老人が息子のボリースのところに、またもや金の無心に来て泣き言を言います。
何も言わず金を渡すボリースに、老人は、息子が三人とも親切だと涙を流します。
しかし、送って来た息子を家に入れると、女たちの前では偉そうに振る舞います。

この話しをどう受け取ればいいのか、途方に暮れてます。
どんな親でも孝行しなさいよっていう教訓なのか、情けない父親を笑い者にした話しなのか
のんだくれで落ちぶれた老いた父親の哀愁を読み取るべきなのか… もう少し悩んでみます。

私はチェーホフの短篇集をけっこう持ってまして、中には箱入りで何十話もおさめられている
ものもあるので、もちろん重複しているも話しがあるのですが
買う度に未読のものが少なからずあることに驚きます。
しかも、チェーホフは若くして亡くなっているので、執筆期間は短いですよね?

本当に、何かの待ち時間中にちゃちゃっと書いてたとしか思えない多さ!
しかし片手間で書いたとは思えない完成度!!
ちゃんと寝ていたんでしょうか? 寝る間を削っていたんじゃないかと心配になります。
今心配してもしかたないんだが…

チェーホフがまだまだ読み足りない方、Iと IIあわせてどうぞ!
読んでみたいなという方は下の画像をクリックしてね

  

ひとことフィギュアスケートコーナー
羽生君、すごいよねぇ… で、グランプリシリーズ・ファイナル見てたらリンク脇日本人(女性)多かったよね?
近ツーとかJTBがツアー組みましたかね? 広告も日本のばっかりだし…NHK杯かと思っちゃったわよ
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『やさしい女・白夜』男心がわからないよぉ

2014-04-22 22:56:48 | ロシアの作家

ドストエフスキー

両方とも有名な物語ですよね。
ですが、私は共感できなかった2篇でした。

まず、ドストエフスキーに限らず、なのですが
“ 読者よ ” “ ◯◯してくれたまえ(してください) ” っていう風に書かれるのが
あまり好きじゃないのよ… これは私のワガママなのですけどね。

とりあえず2篇のあらすじをご紹介します。

『やさしい女/1876年』
ある夫が、テーブルの上に横たわっている若い妻を見つめています。
棺が来るまで、彼女との出会いから結婚まで、そして短い結婚生活の末に
彼女が死を選ぶまでを思い返します。
妻はもともと、彼が営む質屋の客で、他の客とは少し違っていました。

なんていうのかしら… 素直になりなさいよ、と言ってあげたいお話しです。
いわゆる年の差婚の夫婦で、しかも、恩を着せて結婚したような状態なのです。
恩を着せられた方は気まずいにきまってるじゃないのーっ!
独身生活が長い男性には、崩せない生活パターンがあると聞きますが
若い嫁をもらうなら、それぐらいの代償は覚悟してくれなきゃね!!

『白夜/1848年』
皆が別荘へ行ってしまって、静かになった夜のペテルブルクを歩いている時
運河で泣いている少女に出会い、また会う約束をします。
再会した彼女は、以前少女の家に下宿していた青年と結婚の約束をしましたが
家を出て行ってから音沙汰が無いと打ち明けました。

主人公の男性はかなりのロマンチストで、センチメンタリストと見ました。
私には、この人の話をずっと聞いているなんて無理です。
愛だの恋だのがわからぬまま「結婚」「結婚」と言ってるような二人だと思うの。
あんまり深刻にならない方がいいですよ、と言ってあげたいですね。
だけど女性の方は今後やり手になりそうな気がするわ…

2篇とも男性の “ 考えすぎ ” がもたらした悲劇という感じです。
『やさしい女』では、夫が “ 自分は、夫婦はこうあるべき ” という
自分なりの形式にこだわりすぎてるし
『白夜』では、主人公が自分の夢想の恋に憧れすぎだってば。

ドストエフスキーはあまり読んでいませんが
これなで男性登場人物陣にはけっこうイライラさせられてきたのよね。
ちまちま悩んで、ちょろちょろ動き回り、めそめそ嘆く… ってタイプ。
ドストエフスキーって、豪快な人だと勝手に思ってましたけど違うのかしら?
それとも、自分とはかけ離れたタイプを茶化していたのかしらね。

染色体から考えると、男性の方が気が弱いってことですよね?
だからどうでもよさそうなことにいちいち順番をつけたり、ルールを決めたりするのかな?
ちぃぃぃさなことを時間をかけて(クヨクヨ)考えて、勝手に悩める人になるのかな?
いざという時は、女性の方が思い切りがいいし、白黒ハッキリしてると思いません?
女心は複雑だとよく言われますが、男心の方がなんだか複雑に思えるのは私だけでしょうか?

ひとことドラマコーナー
韓流にはまる前はほとんどドラマを見ていなかったわたくし、あの、わざとらしく、力づくで丸くおさめる
橋田ワールドに前回どっぷりはまり、『なるようになるさ シーズン2』の放送開始にウキウキです
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『片恋・ファウスト』話はここからじゃないのぉ?

2014-03-06 22:39:23 | ロシアの作家
АСЯ,ФАЧСТ 
ツルゲーネフ

表題の2篇がおさめられている一冊ですが、『片恋』は以前書いたので割愛します。

で、『ファウスト(ФАЧСТ)/1855年』ですけど…
うーん… ものたりない、というのが正直な感想です。

物語は、9年ぶりに領地のM村に戻ったBという青年が
ペテルブルクにいるVという友人に宛てて書いた手紙の形式で進んでいきます。

長閑な村に帰って感傷に浸り「なにもやる気なーい」という手紙から始まり
6日後の手紙には、ばったり大学時代の同窓生に出会った話が書かれています。

大学時代の友人プリイームコフは、人は善いのですが頭からっぽ、という人物で
その彼から、妻がヴェーラ・ニコラーエヴナだと聞かされBはビックリ!

Bは若い頃ヴェーラと結婚したいと考えたことがありました。
そこで彼女の母親に結婚の許しをもらいに行ったのですが
バッサリ断られたという過去があります。
ヴェーラは当時から、母親に畏怖の念を抱いていて言いなりでした。

「もう過去だしのことだし…」というわけでプリイームコフの邸を訪ねたBは
三人の子の母になっても初々しい、少女のようなヴェーラと再会します。

最初はどちらかというとヴェーラを客観的に見ていたようなBの手紙の内容が
どんどん変化していくわけなのですが、それは書かないよ~。
たぶん、誰もが思う通りに進んでいくと思いますが…

そして、思ったほどのすったもんだが無いまま、悲劇的なラストが訪れるわけですが
私としては、ここからが楽しそうなのに! と歯ぎしりせずにはいられません。
ここまでは序章でしょ?

いや、ここで終わるからこそ悲恋小説なのだ、ということなのかしら?
そりゃあ私は若くはありませんが、やっぱり現代人なので、もう少し刺激がほしいですね。

ツルゲーネフは、奔放な女性が好みのタイプのような気がしてましたが
清純で敬虔な女性の方が理想的だと考えていたのでしょうか?
『貴族の巣』のリーザもそんな感じだけど…

そういえば、『貴族の巣』にはワルワーラ、『春の水』にはマーリヤという
主人公の対極にいる女性が登場して、それが面白かったのよね。
今回はそういう女性がいないのが、面白味が欠けた要因のひとつかも。
なんにでも魔性の女を登場させりゃいいと言っているわけではありませんが…

あ、なんで『ファウスト』かっていうと、主人公がドイツから持ち帰った本で
本を一冊も読んだことがないというヴェーラに読み聞かせてあげるのね。
で、ヴェーラがファウストのある場面に自分を重ねちゃう、
重ねちゃって取り乱しちゃう、というわけなのですが
私は『ファウスト』を読んだことないので、なぜそうなるのかよくわかりませんでした。
だから、解説終わり

ひとことRobiコーナー
無趣味に近いうちの旦那さんが、週刊Robi再刊行版を買って来ました
第一号で造るのは目ん玉だけ! 先は長そうですが、どうか最後まであきらめないで造りあげてほしい
Robiってこの子です 
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『母』第二の人生を革命に捧げるその理由は?

2013-03-06 22:50:43 | ロシアの作家
МАТЬ 
1906年 マクシーム・ゴーリキー

『世界短編名作選 ロシア編』でファンになったゴーリキーの
長編『母』を見つけたので読んでみました。

私はロシアの歴史に詳しいわけではございません、というか、ほぼ知らないんだけど
家系図のロシア王妃編で帝政の終焉について少しだけ調べたので
この物語の登場人物のような人々が帝政を終わらせたのか…と、少し感慨深くなりました。

しかし、その後にレーニンやスターリンの時代がやってくるわけで
彼らの望みが本当に叶えられたのかどうか、疑問がわかないわけでもありません。
登場人物が明るい未来を得るための呪文のように唱えていた “ 共産主義 ” で
ソ連は国民に公平で公正な暮らしを与えることができていたのでしょうか?

工場の労働者で暮らすペラゲーヤ・ニーロヴナという女性が
夫に先立たれるところから物語は始まります。

夫は酒を飲み女房を蔑ろにするという、典型的な当時の労働者で
ペラゲーヤは文句ひとつ言わず夫に仕えるという典型的な労働者の妻でした。
二人には工場職人になっていたパーヴェルという息子がいます。
夫の死後息子が酒を飲んで帰り、夫と同じ道を歩むのか? と母を心配させます。
しかし、パーヴェルはその後は真面目に働き、静かな日々を送っていました。

しばらくするとパーヴェルは本を読むようになり、よく出かけるようになり
ある晩、数人の客を連れて帰ってきました。

この客人たちというのが “ 同志 ” と呼び合う仲間で
国を変えるために運動をおこそうとしている人たちです。

上下刊の長い話なのではしょるけど…

信心深く昔気質の母は恐ろしくてなりません。
最初はパーヴェルの気を変えたいと考えます。

けれども仲間の中には好感が持てる人もいて、何度か会ううちに親しみを感じ
いつか母のような心で皆を見守るようになっていきます。

しかし、いくら街から離れているとはいえ毎晩のように若者が寄り集まってちゃね…
というわけで、パーヴェルたちにも監視の目が光るようになります。
憲兵が家を調べに来たり仲間が逮捕されたりした後、とうとうパーヴェルも捕まりました。

ここから母は大変身!!

まずは息子の身を救うため、その後は息子の意志を継ぐために
自らが運動の手伝いをするようになります。
そして、以前はひれ伏すだけだった憲兵や官吏たちに憎悪を抱くようになっていきます。

はじめはビラの原稿を運ぶような小さな仕事でしたが、村に出向いて説得したり
脱獄した政治犯を助けたりと、存在感を強めていきます。

パーヴェルは脱獄を拒み、結果の見えている裁判で争う決心をしました。
母はそんな息子を誇らしく感じるようになります。

結論からいうと、彼らは戦いに勝ったわけではないけれども
戦いは終わったわけではなくこれから始まるのだ、ということを感じさせるラストでした。

そういった弾圧に負けず希望を捨てずに、変化を叫ぶ人の後に続く人がいる国だけが
生まれ変わることができるのかもね。

ま、革命の是非とかソ連云々を語るには、私の知識はあまりにも曖昧なのでやめといて…

ペラゲーヤが革命にのめり込んでいった理由はなんとなく理解できます。
愛する息子のために始めた運動ですが、若い人たちに「おっかさん」「おっかさん」と慕われ
信頼を得るようになって、彼女は生まれて初めて生き甲斐を感じていたのではないかしら?

さらわれるように結婚して、あとは家の中で夫の顔色をうかがいながら暮らしてきた日々、
これからは息子に仕えるように生きていくはずだった毎日がまったく変わって
たくさんの人々と知り合い、語らい、自分の意志で行動するようになったんですもの。
自分の人生を生きている!! と思えたのではないかしら?
その対象がたまたま革命運動だったのかもしれません。

大きな声じゃ言えないけど、旦那さんが亡くなった後奥さんがやけに元気になって
趣味やボランティアに精を出す… ということはあるらしいね
仕事を始めて輝きだしちゃったりね。
亭主関白は減っているらしいから、今後はそうでもないと思うけど…

ひとことK-POPコーナー
いいなぁ… ジャングルポケット斉藤… テソンにチヂミを作ってもらえるなんて!( in パワー☆プリン)
プーさんのTシャツがとってもcoolに見えますね。今日は続きがあるのよね? 夜更かしせねば
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『女が嘘をつくとき』この世に嘘をつかない人がいる?

2013-02-13 23:18:18 | ロシアの作家
СКВОЗНАЯ ЛИНИЯ 
2008年 リュドミラ・ウリッカヤ

本屋さんに行くと必ずチェックする新潮クレストコーナー。
ジャケ買い、タイトル買いなんですけどね。
こちらはタイトル買いした一冊です。

序文で男の女の嘘の違いが書かれていまして、なんとなく納得。
そして6篇の嘘の物語が書かれています。

『ディアナ』
ジェーニャの3歳の息子サーシャの療養のために訪れていた保養地で出会ったアイリーン。
彼女から聞かされた半生は目まぐるしいもので、中でも二人目の夫との間に生まれ
2歳で死んでしまった女神のような娘ディアナの話に心奪われました。

『ユーラ兄さん』
ジェーニャは息子のサーシャとグリーシャの他に二人の男の子と別荘に滞在していました。
別荘のオーナーの娘ナージャは、なにかというと素晴らしい兄ユーラのことを話します。
彼女の話はスペインに招待されたことやUFOを見たことなど嘘のようなことばかりです。

『筋書きの終わり』
数多い親類の中で、息子サーシャと同じ年の13歳のリャーリャが
ジェーニャの従兄にあたる画家アルカージィと恋に落ちたと報告に来ました。
しかもアルカージィの妻で医者のミーラから避妊薬をもらって来てと頼まれます。
ジェーニャはアルカージィに忠告する決心をします。

『自然現象』
数学・化学が得意で技師を目指すマーシャは、大学教師でジェーニャの恩師の
老婦人アンナと知り合い文学に目覚めました。
マーシャはアンナが長年ノートに書きため聞かせてくれた自作の詩に感動します。

『幸せなケース』
ドキュメンタリー映画のシナリオで成功をおさめたジェーニャは
知人を介してスイスに住むロシア人娼婦たちのドキュメンタリーの依頼を受けます。
スイスで数人の女性たちに会い劇的な半生を聞きましたが、皆同じような内容です。

『生きる術』
ジェーニャは出張に行く途中事故に遭い歩けなくなってしまいました。
もうジェーニャはバルコニーまで這って行って手すりを乗り越えることしか考えられません。
しかし夫のキリルがつきっきりです。

以上、6篇の中で上の5篇の女性の話は一部、あるいはほとんど、あるいは全部嘘です。
なぜにそんな嘘をつかなければならないのかよく解らん… という首を傾げたくなる嘘です。
つかれた方にはたいした影響は無いんだけど、他愛無いとは言えない嘘。

嘘をつくほうにも事情はあろうが、できたらつかないでほしいですし
つくならバレないようにしてほしいですね。
たいして害は無くても、あんまり気分がいいものじゃないもの。

最後の『生きる術』は事故に遭うまでに、どうにもイラつく女性が三人登場します。
この話は上5篇と違って小さな嘘がちりばめられているような内容かな?
結果的に嘘になってしまったという感じかもしれません。

個人的経験から言いますと、仕事と犯罪以外の嘘はなんとかなるんじゃないかなぁ…
人間関係が上手くいくかどうかは知りませんけどね。
ただ、ひとつ嘘をついたばっかりに、どんどん嘘を作っていかなきゃいけないというのが
つらいのよね… 最近はそんなパワーが無いのでなるべく嘘をつかないようにしてます。

ひとことK-POPコーナー
なんだけど、K-pop関連のお買い物とかライブについては時々だんなに嘘をつく…
たいしたことじゃないですけどね
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『父と子』いったいどの親子の話か?

2012-06-29 23:16:56 | ロシアの作家
ОТНЫ И ЛЕТИ 
1862年 ツルゲーネフ

「今の若いもんは…」っていう言葉は、枕草子だか徒然草だかに書かれてるって
聞いたことがあるし、古代の遺跡にも書いてあったってぐらいだから
どの時代でも世代交代の時の大人は苦々しい思いをしてきたってことですね?

『父と子』の中でも「今の若いもんは…」的な言葉が登場します。
主に、貴族主義の中・老年層が反貴族主義の若年層を嘆く時に用いられています。

私は無責任に「王様万歳!」派なので、消えゆこうとするロシアの貴族社会に
おおいに同情はするわけですが…
『貴族の巣』の時にも思ったけど
貴族っていわれてもさぁ…という感じで、別に消えても惜しくなさそうな貴族社会なのよね。

200人の農奴を持つ領主ニコライ・キルサーコフの愛する息子アルカーヂィが
学業を終えてペテルブルクから帰ってきます。

自ら街までいそいそと迎えに行き、涙を流さんばかりに喜ぶ父親に
息子は尊敬する友人エヴゲーニィ・バザーロフを紹介しました。

バザーロフという人は “ ニヒリスト ” だそうで、とにかく
ありとあらゆるものごとを否定して生きているわけです。
そしてアルカーヂィはそんな主義を実践しているバザーロフに傾倒しているのね。

父のニコライはバザーロフや息子の変わりように不安を覚えながらも
帰来の気の優しさから穏やかに接するわけなんですけど
ニコライの兄で同居しているパーヴェル伯父は真っ向対決!
ことあるごとにバザーロフとぶつかります。

それでね、物語はこの親子の小さな亀裂がどうなるのかしら…って方向で
進むのかと思ったわよ。
親子のぶつかり合いにハラハラドキドキできるものと、ものすごく期待してました。

しかし、焦点はもう一組の親子に移っていきます。

バザーロフの父で元軍医のヴァシーリィと母アリーナは息子を崇めんばかりに愛しています。
気に入らないことはしないよう努めるし、口答えしないし、問わず責めず
「怒らないかしら?」と顔色ばかり伺っています。

この二組の親子に共通していえるのは、父親が諦めきっちゃってるってことでしょうか?
息子たちが抱く、自分たち世代を否定し嘲笑する考えを知っても
敢えて反論せず頷くことに終始しています。

二人の若者に果敢に挑むのは伯父のパーヴェルのみ…
題名を『伯父と甥』にしてはどうか?

二組の親子を描く間に女性をめぐるドラマがいくつかあるんですけど省くね。

ひとつだけ書かせてもらうと、バザーロフはある女性を愛してしまったことに気づきます。
そして恋愛なんかをする自分を否定するわけです、ニヒリストだから。

私はニヒリスト(虚無主義)というのがどういうものかはよく解りませんが
他人の考えも思いも、金も仕事も愛も、何もかも否定して生きていられるものでしょうか?
いつ死んでもいいの? 死にたいの?

それはさておき、主義はどうでもいいからさぁ
学業を終えて帰って来たのなら働こうか? 若者よ…って、読後に強く思いましたとさ。
まったく文学的でも学術的でもない感想ですみませんけど…
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『チェーホフ集 結末のない話』西のモーム、東のチェーホフ

2011-04-26 22:29:22 | ロシアの作家

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ

チェーホフのショートショートがつまった一冊です。
同じくちくま文庫から出ているせいか、モームの『コスモポリタンズ』を思い浮かべました。

私はモームもチェーホフも甲乙つけ難く好きですが
どっちが世知辛いかと聞かれれば、圧倒的にこちらが世知辛い!と答えますね。

これはたぶん、作家自身の性格ではなくて、どんなテーマで笑いを誘うか、という
選択がそうさせたんではないかと解釈してます。

どちらもちまちました人間の哀れな姿を笑いに変えていますが
モームはスノッブや身の程知らず、虚栄心などをおちょくっているように見えます。
一方チェーホフは、役人根性とか階級重視、結婚生活の哀れ、なんかが目につきました。

とは言え、50話以上あるのでバラエティーに富んでます。
夫婦生活(主に夫)の、哀れな話しから3篇ほど紹介します。

『モヒカン族最後の女』
友人のドクーキンの家でくつろいでいると、ドクーキンが大嫌いな姉と夫がやってきました。
姉のオリムピアーダは勝手にやって来たのに料理に文句をつけ、夫にどなりちらします。
オリムピアーダが昼寝に行くと、ドクーキンは義兄の不幸を嘆きます。

この夫婦は、ある意味完璧な夫婦と言えます。
本人が幸せならそれでいいんじゃないかしらね…

『奥さま族』
フョードル・ペトローヴィチ校長は、やむを得ず退職する教諭に仕事を約束します。
ところが家に帰ると妻がその職を、ポルズーヒンという若い男に与えろと言います。
校長は断りますが、翌日から彼のもとには、ポルズーヒンがらみの依頼が
さまざまな奥さまたちから舞い込みます。

校長は途中で「俺だけじゃないんだな…」と悟ります。
チェーホフは奥さまたちが言い出したら後には引かない…と
身にしみて知っていたんですかね?

『余計者たち』
週に一度だけ、妻子が暮らす別荘村に帰って来るザーイキンが
ある夜疲れて帰宅すると、家には幼い息子しかいないし食事もありません。
息子が、妻は女中を連れて芝居の稽古に行っていると言います。
しばらくすると妻が役者仲間の男性たちを連れて帰宅しました。

私のだーい好きなマンスフィールドに『新時代風の妻』という
ちょっとそっくりな、というより、もう少し嫌味な話しがあるんですけどね。
そちらは妻の罪の意識もちょっぴり描かれています。
妻だって1日中遊んでいるわけではないんだけどね… 旦那樣方にはいい身分に思えるのか…

夫婦のお話しではありますが、上2篇はやっぱり役人の階級がものを言う
当時のロシアのお国事情が盛り込まれています。

だいたい1880年代の作品が中心なんですが、人の苦労は変わらぬもの…
いいところに就職するのは大変だったみたいです。
ロシアだからなの? それとも時代なの?
学歴・家柄に加えコネと謝礼金がものを言ったらしいですよ。

それから結婚!
男性も女性も自分より裕福&ワンランク上を狙うから結婚できやしない。
現代に持参金制度が無くなって良かった!!と心から思うわ。

ショートショートの風刺やユーモアは、選んだ題材を面白おかしく強調しますから
大げさに書かれてるとはわかってますが、そもそもテーマに選ばれているわけですから
素地があったということですよね?

いろいろな国の、いろいろな作家のショートショートを読んでみたら
お国柄がよくわかるんじゃないかしら… なんて思っております。
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『春の水』魔性の女には勝てないかぁ…

2011-03-10 23:05:23 | ロシアの作家
ВЕШНИЕ ВОДЫ 
1871年 ツルゲーネフ

けっこう筋の読めるお話しで、途中からは完全に読み通りに進んじゃうという
本来ならつまらない物語が、どうしたわけだか面白かったのは
やはりツルゲーネフのお力によるものなのでしょうか?

作者の恋の思い出から生まれたと言われるこの作品、本当に事実だったら
作家にとっては糧となる恋愛経験に恵まれたとしか言いようがありません。

でも、主人公男性の恋心のことばかりに終始している内容でして
もっと他のエピソードや脇役のキャラクターなどの肉付けがあれば
さらに面白いものになったかもしれませんね。

ま、これはこれでいいのかもしれない…ツルゲーネフの青春の記録として。

あらすじと言ってもね…
ひとりの老紳士の、夜更けの回想から物語が始まります。

一人旅を終えた若き領主サーニンは、ロシアへの帰路フランクフルトに立ち寄ります。
その夜のうちに馬車で発つはずだったのに、一人の少年の命を救ったことで
一家から歓待を受け、馬車に乗り遅れ、しばらく滞在することになりました。

サーニンが救ったのはエミリオという少年で、未亡人である母ロゼーリ夫人と
美しすぎる姉ヂェンマ、友人であり下僕のパンタレオーネ老人と暮らしていました。

そりゃヂェンマに恋をしますわね?
しかし彼女には羽振りのいい商店主のクリューベルという婚約者がいます。
容姿端麗、慇懃無礼、傲慢不遜なクリューベル、行く末は見えましたでしょ?

なるべくして(思ったより簡単に)ヂェンマと恋人同士になったサーニンは
ロシアの領地を売ってフランクフルトで暮らす決心をします。
そこでバッタリ出くわしたのが寄宿学校時代の知人ポローゾフでした。

ポローゾフは風采があがらないずんぐりむっくりの男ですが妻は大富豪という噂です。
サーニンはその妻に領地を売ろうとして、彼とヴィスバーデンへ向かいます。

ほんの3~4日の旅のつもりでヂェンマと慌ただしい別れを交わしたサーニンですが
目の前に現れたポローゾフの妻マーリヤ・ニコラーエヴナがそうはさせません。

はっきり言っちゃうけど、マーリヤは妖婦です。
サーニンの前でありとあらゆるしなをつくり、瞳を覗き込み、ボディタッチをして
しきりと二人きりになりたがります。
ヂェンマを想うサーニンだって心が揺らいじゃうってもんです。
頭では「みえみえの女だ」とわかっていても、気持が言うことをききません。
マーリヤのあの手この手はすごいですよ! お手本になりますのでぜひ一読を。

欲しい男性を手に入れようとした時の、所謂ラブハンター女の気迫はすごい!
あからさまに物欲しそうだけど、ものすごいガッツが感じられます。
好かれるための努力にも怠りがなく、少しは見習わねばね…と反省したりします。

韓流ファンとしてはヂェンマに勝利してほしいところではありますが
自分の美しさにかまけていただけのヂェンマではなく
己の力を出し切ったマーリアに軍配が上がったとしても、仕方がないかもしれない…

愛し合うサーニンとヂェンマはどうなってしまうんでしょうね。

それはさておき、ラストのパートが気になります。
回想から醒めたサーニンのその後の行動なんですが、今さらどうする気?と
半ば呆れ、半ばハラハラしたまま終わってしまいました。
モデルであったツルゲーネフはどうだったんでしょう?
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『子どもたち・曠野』なにやら雄弁なチェーホフ

2011-01-23 01:22:34 | ロシアの作家

アントン・チェーホフ

チェーホフ大好き! な私ではありますが、実はこの一冊はあまり入り込めませんでした。
初期のお話しを中心に集められた短篇集なのだそうです。
語りかけたいことがたくさんあったみたいです。

いつになく宗教や神様に対する言及が多い気がして、宗教観の薄い私のような者には
読んでいて弛んできてしまう物語が多い気がしました。

11話の短篇と1話の(長めの)中篇が収められています。
気になった物語をいくつかご紹介します。

『聖夜/1886年』
復活祭の夜、信心深い見習い修道士イエロニームの渡し舟で礼拝式に向かいました。
イエロニームは修道補祭の死を悲しみ、彼の讃美歌をこよなく愛していたと言います。
礼拝式で説教や讃美歌をありがたがる様子もない祭り気分の修道士を見て
黙々と舟を渡しているイエロニームの姿を思い浮かべました。

宗教に疎い私でも、イエロニームの敬虔さには心打たれます。
昔から宗教指導者の中には私利私欲に走る人がいないわけじゃないですけどね…
彼のような人に指導者となってほしいものですね。

『ワーニカ/1886年』
靴屋の奉公に出された9歳のワーニカは、クリスマスの前夜
皆が出かけてひとりぼっちになった部屋でおじいちゃんに手紙を書きました。
どんな手伝いでもするから迎えにきてほしいという手紙です。

おじいちゃんにも止むに止まれぬ事情はありましょうが9歳ですよ、本当に可哀想。
この手の物語でいつも思うのは、奉公先の人が酷いことなの。
特におかみさん、子どもに対してどうしてそうかな? 嫌いなら預からなきゃいいのに…

『ロスチャイルドのヴァイオリン/1894年』
金のことばかり考えている棺桶屋兼ヴァイオリン弾きのヤーコフの妻マールファが
病にかかりあっという間に亡くなってしまいました。
ヤーコフは結婚から52年、マールファを一度もいたわったことが無かったと考えます。
しばらくすると自分もマールファと同じ病にかかりました。

死んだ後で後悔したって遅いのよ! といつも思うの。
私たちの両親世代は今より亭主関白だったり横暴なお父さんが幅をきかせていたのでね。
たぶん愛はあるのでしょうが、ちゃんと態度で表していただきたい、と思うのは
女のわがままでしょうか?

表題の『曠野』は、9歳のエゴルーシカが学校に通うために母と別れて
商人の伯父と神父に連れられ曠野を旅する道中を描いた素朴なお話しです。
なんですけど、どうも書きたいことが多かったみたいで
子どもがだらだらと日記を書いたみたいな有様になっちゃってます。

でも、そのとりとめのなさが子どもの不安を表しているみたいに思えるし
旅のエピソードもパラエティに富んでいてけっこう面白く読めました。
短篇集に入ってるにしちゃあ長いので少し中だるみは感じましたが
チェーホフらしさが随所にあって、最後にしんみりできるいいお話しでした。

チェーホフもモーパッサン的に書いている小説の内容が幅広いですよね。
岩波文庫はテイスト別にまとめて下さっていたような気がするんですが
この本はけっこうなんでもありな気がします。

チェーホフの短篇集を最初に読むなら、私としては新潮文庫
岩波文庫の『カシタンカ・ねむい』がおすすめかなぁ…
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『世界短編名作選 ロシア編』徹頭徹尾階級社会、の中で

2010-11-15 23:23:19 | ロシアの作家


イギリス版アメリカ版に続いてロシア版も買ってみました。

すごいよ、ロシア!
この階級制度の徹底ぶり、「国民は皆平等、富は公平に分配」と説く人がでてきたら
誰もがついて行きたくなる気持ちがよくわかります。

ロシアの小説を読んでいると、よく5等官とか14等官という言葉がでてきます。
これは帝政時代の官位で、役人や官僚はこれがなにより大事だったようです。
自分より上の人には平身低頭、一つでも下なら横柄で尊大に振る舞ってたみたい。
同等の人には? なるべく自分が秀でた人物に見えるように努力していた様子です。

もちろん小説ですから、そういう役人心理を面白おかしく大げさに書いているのでしょう。
それにしても職業+等官で、最初からつき合い方が決まるという世界はすごすぎる。

この一冊にもそんな物語が目白押しで、可笑しかったり哀しかったりするのですが
15篇の中から、役人の話しとは関係ない、美しいお話しを4篇ご紹介します。

『老いたる鐘つき/ウラジーミル・コロレンコ』
復活祭の日、教会の鐘楼で鐘をついたミヘイチは祈りの時間の間もそこを動かず
遠い昔の記憶に浸っていました。
今までに去ってしまった人々を思い出しながら幸福な気分でいると
いつの間にか祈りの時間が終わっていました。

『転轍手/アレクサンドル・セラフィモーヴィチ』
2日間の祭日を前にして、宿直のイワンは目が回るほど忙しいというのに
駅長が飼っている牛の世話や、上司の家の薪割りまで言いつけられます。
やっと線路の見回りを終えたイワンは、転轍機を移し忘れていたことに気づきます。
すでに前の貨物列車は通過し、その後ろを郵便列車が走っています。

上の2篇は階級なんて関係ない世界で毎日を一生懸命生きている人の最期を書いたものです。
等官も大金も知らず、日々の生活を送るだけの賃金を稼いでいる人たちですが
国家を、国民を動かしているとふんぞり返っている役人たちより
国にとっては時に重要な人たちかもしれませんね。

『ある秋のこと/マクシム・ゴーリキー』
無一文になって町を彷徨っている時、雑貨店から盗みを働こうとする女に出会いました。
ナターシャと名乗るその女は、恋人にひどい目にあわされ全ての男に悪態をつきました。
しかし、気分が悪くなった私を慰めて励まし、しっかり抱きしめてくれました。

『人間誕生/マクシム・ゴーリキー』
次の建設現場を目指して移動している時、海辺へ歩いて行くと女が産気づいていました。
いやがる女を押さえ、赤ん坊を取り上げると男の子でした。
へその緒を噛み切り海の水で洗ってやると、赤ん坊は元気に叫び声をあげました。

2篇ともゴーリキーですが、実は今まで読んだことがないのよね(と思う)
そしてぜひ他の作品も読まねば!と思いましたよ、心から。
どちらも、国も世間も関係ない、人間の本性の美しさがひしひしと伝わる力強い物語です。
こんな人たちがいるのであれば、いつかきっと国は良くなる!と信じられます。

当時の作家たちは、家柄や役職を振りかざす貴族や役人と
何もわからずそういう人たちに卑屈に接する労働者の構図に
少なからず不条理を感じていたのでしょうね。
作家自身もたぶん上流の家の出であることが多かったでしょうが
その歪んだ構図を(体験談も含めて)辛辣に書いている物語も多いようです。

だけど自分がその世界に決別するかどうかは、また別の話しだけどね…
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『少年時代』曖昧な年ごろの記録

2010-04-01 22:35:12 | ロシアの作家
ОТРОЧЕСТВО 
1854年 トルストイ

幼い頃を描いた『幼年時代』に続く一冊です。
『幼年時代』は輝かしい成功をおさめてますけど、どうもこちらはパッとしませんね。

でも私はどちらかというと『少年時代』の方が共感できたし、スラスラ読めました。
『幼年時代』のあと『少年時代』を読みたいとは思わなかったけど
今『青年時代』が読みたくってうずうずしてますもん。

無邪気なだけで絵になる幼年期と、甘酸っぱいラブストーリーがお似合いの思春期。
しかし狭間にある十代前半は主人公になりづらい年代です。

訳者(藤沼貴氏)によると、トルストイもおおいに悩んだようで
「早く青年時代にいきたい…」ってな弱気を吐いたそうです。
トルストイは十代の迷いを描ききれていないという思いにとらわれたみたいですが
それでこそこの年代にありがちな特徴なんじゃないでしょうか。
何考えてるかわからないじゃない?

何に悩んでいるかわからないけどなんだか気が沈む、
自分なりに世のことを憂いでいるのにたいしたことじゃないように扱われる、
筋の通ったことを言っているつもりなのに生意気よばわりされる…なんて
経験ありますよ。

急に学校をさぼりたくなるのよね。
別に不良じゃなかったんだけど、授業中に屋上に隠れててビンタされましたよ

あ、すっかり本の紹介を忘れておりました。
ママを亡くしたニコーレニカ一家は、モスクワに住む祖母のもとで暮らすことになります。

村を出て行く馬車の中では雷を怖がったり、泥も中をかけずりまわったりという
幼さいっぱいのニコーレニカでした。

しかし、モスクワで次々に新たな感情が芽生えて来ます。
兄が大人びて見えること、人を憎むこと、急に女中を触りたくなること、
そして、哲学的なことを考えている自分に陶酔したりします。
ついには感情の爆発が押さえられず、自殺や殺人ことまで考える始末。

未熟な部分と早熟な部分が頭の中で相克しているような感じでしょうか?
自分自身がコントロールできなくなっちゃうのかもしれません。
そんな忘れていた感覚を思い出させてくれました。

そう考えると、ぎゃーぎゃー騒いでいる生意気な子にも温かい目を向け…られない。
自分も通ってきた道なのに… やっぱり昔すぎてダメですわ

少年時代 講談社


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『二重人格』壊れゆく人の足掻きなの?

2010-03-18 23:05:01 | ロシアの作家
Ф.М.ДОТОЕВСКИЙ 
1846年 ドストエフスキー

やっぱり苦手なんですよ…ドストエフスキー。
読んでいるとイライラしてしまうからなのです。
しかも「あんた、わざとやってるね!」って気がして一層苛つきます。

主人公はヤーコフ・ゴリャートキンという小役人です。
本当にイラ っとする人です。

小心者でうじうじ考えるタイプ、拠り所は正直者で策謀家じゃない自分。
まわりの人たちが悪巧みばかり考えていると蔑みながらも
その人たちの顔色をうかがわずには動けない中年男性です。

ある日恩人の家で大失敗をやらかしてしまいうちひしがれて帰宅する途中
自分とソックリな男性に出会いました。

そして翌日役所に行くとまたしてもその男が…
聞けば名前も、出身地も一緒だというではありませんか。

その日からゴリャートキンは新ゴリャートキンに出し抜かれ
焦れば焦るほど窮地に追い込まれていきます。

要領が良くて、一物ありそうな新ゴリャートキンにはムカつきます。
でも旧ゴリャートキンには同情できない卑屈さがあります。
だからふたりの絡みの部分ではイライラ&ムカムカ

あんまり気分が悪いから急いで読んじゃおうと思って夜更かししましたよ。
ところが、気分が悪い割にけっこう面白かったりするんですよね。

生死に関わるならともかく、たいしたこととは思えないことで足掻く人って
本人には申し訳ないけど、他人には少し滑稽に映りません?

ゴリャートキンの足掻きはすごいぞ!
どうして明日まで待てないか? 何故に後先を考えないか? という
浅はかなアクションを連発します。

そして、すでに壊れかけていたゴリャートキンは
瓜二つの男のせいで完全に崩壊します。

で、新ゴリャートキンは何者か? ということですよね。
私にははっきり分らないんですけど…やっぱり幻覚ってことなのでしょうか?
“ 二重人格 ” というのとは、ちょっと違う気がしております。

二重人格  岩波書店


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