まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スウェーデン王グスタフ2世アドルフ愛妾 エバ

2018-08-28 20:18:59 | 王の寵姫・愛妾
語りつがれる愛の物語の主人公…からの、やり手ばーさま
ヤコブ・デ・ラ・ガルディエ伯夫人 エバ・ブラーエ


1596〜1674/愛妾 1613〜1632

たいへんご無沙汰しておりました。
7月末のスペシャルファンイベント&SMTOWN ライヴビューイング2Daysのあと
虚脱状態に陥って何もしたくない日が続いておりました。 あぁ…オニュ…
その後は暑さに負けて(パソコンがある部屋に冷房がないのですぅ…)
そして法事・帰郷があり、先週久々にパソコンを立ち上げたらネットが繋がらない状態に
“ キーーーーッ ” となって放置してしまいました。
おととい旦那さんが「どれどれ」と直してくれて、やっとアップにこぎつけます。
言い訳オンパレード…お許し下さい。

コメントもたくさんいただいていたのに、お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
この場をかりてお詫び申し上げます。

スウェーデン愛妾シリーズを続けてまいりますね。

“ 北方の獅子 ” と呼ばれたグスタフ2世アドルフには
マリア・エレオノーラ・アヴ・ブランデンブリという、強烈な王妃がおりましたが
実は結婚前から愛し合っていた女性エバ・ブラーエがおりました。

エバの父親はスウェーデンの貴族で議会員でもあったマグヌース・ブラーエです。
家柄はけっして悪くないので、母親が亡くなった後、15歳の時に
王大后クリスティーナ・アヴ・ホルステイン=ゴットルプの侍女として宮廷に入りました。
      
そして16歳の時、19歳の若き王グスタフ2世の恋人になりました。
二人がやりとりしたお手紙によると、二人の交際は真剣なものでした。

当時グスタフ2世には祖母とかおばとか、親戚中から縁談が持ち込まれていました。
しかし摂政をしていた王大后クリスティーナは、政治的に有利な縁談を考えて
持ち込まれた結婚話しを拒否していました。
一方、グスタフ2世とエバは、お互い結婚を望んでいました。

王大后とグスタフ2世とエバは、結婚について1615年まで議論していましたが
最終的にはエバが「私はいまのままでも幸せです」ってな感じで
グスタフ2世とは公式に結婚できないということを受け入れました。

ここまでだと、デンマーク王フレデリク2世の恋人アンナ・アフ・ハルデンベルグと同じように
お若い二人の身分違いによる悲恋の物語なんですけどね。

1618年、エバはヤコブ・デ・ラ・ガルディエ伯と結婚しました。
グスタフ2世は1620年にマリア・エレオノーラと結婚しました。
けれども二人の関係はグスタフ2世が亡くなる1632年まで続いていました。

それどころかグスタフ2世は、王妃マリア・エレオノーラの愛情攻撃にうんざりした時に
王妃と別れてエバと再婚しようかな? なんて考えてます。
ただ、エバとガルディエ伯は仲が良かったみたいです。

グスタフ2世亡き後は夫と平穏に暮らしていたみたいですが、夫が亡くなると
スウェーデン国内の重要な地方都市をいくつも抱える、精力的な領主になりました。
また、グスタフ2世の王女である女王クリスティーナから
フィンランドにヤコブスタードという都市を建設する許可をもらっています。

エバは多くの領地の管理だけでなく、さらに領地を増やしていきました。
特に有名なのは、1658年にスウェーデン領になって多くのデンマーク貴族が手放した
スコーネ一帯の土地がありました。

エバは宮廷でも一目置かれる存在で、女王にまで影響力がありました。
宮廷では “ Business woman ” と(影で?)呼ばれていたらしく、直訳したら実業家ですけど
「やり手だよね〜」ってな感じで語られていたんじゃないでしょうーか?(勝手な想像)

一時期、エバが魔術を使って女王を結婚させないようにしている!と唱えた人がいましたが
宮廷の貴婦人たちがこれを阻止し、相手を反逆罪に!と糾弾しました。
エバに心酔していたのか、恐れていたのかは不明… お金借りてたのかもね。

エバと旦那さんのヤコブは14人の子だくさんでしたが
この中にはグスタフ2世の子はいないということです。
この点は旦那さん一筋、と褒めてよいのかどうか…
ヤコブの死から22年後の1674年に亡くなりました。

              
        ヤコブが亡くなった当時の喪服のエバ このあたりからやり手さんに…?

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

北欧といえば!の武田龍夫先生による一冊
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


 


ひとことお土産コーナー
法事で京都に行きまして “ こたべ ” というのを見つけて、箱の可愛らしさに抹茶とにっきを買ってみた!
 

どうやら季節ごとに箱が変わるらしく、秋のもすごくカワイイの!
  
9月から販売なんだけど京都府内とネットでしか売ってないらしく、送料がけっこう高くて迷ってます


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スウェーデン王ヨハン3世愛妾 カリン

2018-07-23 22:22:51 | 王の寵姫・愛妾
意外と、おねだり上手(?)な愛妾
廷臣ラルス・ヘンリクソン夫人 カリン・ハンスドッテル


1539〜1596/愛妾 1556〜

異母兄エリク14世を廃位して、王になったヨハン3世がカタリーナ・ヤゲロニカ
結婚する前からお付き合いしていたのがカリン・ハンスドッテルです。

カリンは、ストックホルムの修道士ハンス・クラッソンと
貴族の庶子で修道女のインゲボルグの間に生まれた娘さんらしいです。
当時の修道士と修道女って結婚してよかったのかしら?
そもそも出会う場があったのかしら?
ちなみに、ハンス・クラッソンは浮気で職を失ったらしい… とんだ聖職者ですな。
   
カリンは10歳そこそこで、グスタフ1世の未亡人カタリーナ・ステンボックの城で
働くことになりました。

フィンランド公だったヨハンとはそこで何度か会って
17歳の時に愛妾になり、フィンランドのトゥルク城で暮らすようになりました。
カリンは城の女主人としておおっぴらに過ごしていましたが
1560年には、子供たちを連れてストックホルヘ向かいました。

1562年、ヨハンがカタリーナ・ヤゲロニカと結婚する前に
ヨハンの使用人のクラス・アンダーソンと結婚しました。 これは隠れ蓑ですよね?
夫はフィンランドのカンガサラに領地をいただきました。
けれども翌年、夫はエリク14世に殺されてしまいます。

ヨハンがエリク14世に反乱をおこしている間に、カリンは多くの財産を失ってしまいます。
でも大丈夫! ヨハンは王に即位すると、カリンと子供への援助を続けました。
やはり関係は続いていたということですよね? 奥さまがパワフルなのでね…
それともヨハンが義理堅かったのか? カリンがおねだり上手だったのか?

カリンは1572年にラルス・ヘンリクソンと再婚しました。
3年後、ヨハンはラルスを、自分とカリンの子供たちの面倒をみるという条件で領主にし
息子ユリアスはトゥルク城の城主にしました。
長女ソフラはヨハンの妹エリザベットの侍女になりました。
もうそろそろ面倒みなくてもいいかな… ということかしら?

1580年からはトゥルク城で多くの時間を過ごしていました。
ヨハン3世は1585年に「若い子がいいから…」とグニラ・ヨハンスドッテルと再婚します。
完全にお役御免ってことですよね。

1591年に未亡人になると、エリク14世の未亡人カリン・マンスドッテルのご近所にある
自分の領地にリタイアしました。

1596年、カリン・ハンスドッテルの領地では農民の反乱がおこっていました。
結局領地は農民に略奪されてしまうのですが、カリンはその直前に亡くなりました。
自分の領地が奪われていくところを見ずにすんでよかったですね。
でもご近所のカリン・マンスドッテルの領地は何事もなかったようですが…
なぜ反乱がおきちゃったのでしょうね?

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

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ひとことお洗濯コーナー
暑いですね! 掃除する気にならなくて、なんだか洗濯に励んでいます
先日テレビで知った “ 白ものの黄ばみ・シミとり ” があまりにも楽しくて何回も洗濯機をまわす始末

わたしはいただきもののアタック(粉)とハイドロハイターを使ってますが、本当に真っ白になりますです


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スウェーデン王エリク14世愛妾 アガタ

2018-07-12 21:24:50 | 王の寵姫・愛妾
ハレム王最初の恋人?
貴族クリストファー・オラフソン夫人 アガタ・ペルスドッテル


生没年不詳/愛妾 〜1565

エリク14世は、結婚前からハレムのようなものを持っていたという女性大好き王ですが
結婚後は妻一筋なので、お相手はみな愛妾ではなく恋人ということになりますね?

エリク14世が王太子時代に出会い、(記録では)最初の恋人になったのがアガタです。
でもアガタの全盛期は1558年で、当時エリクは25歳だから、初恋ってことはないと思う…

アガタはストックホルムの裕福な商人ペデル・クレメントソンの娘といわれていますが
定かではありません。
        
ものすごい美人で、ピーク時にはカルマル城の主役でした。
“ アガタの間 ” というのがつくられて、アガタがいなくなってからもそう呼ばれました。

1660年、エリク14世が即位します。
1661年、アガタは貴族のヨアキム・フレミングと結婚しました。
この時エリクとの関係は終わりを告げるのですが、1663年にアガタが未亡人になると愛再燃。

エリク14世には恋人がワラワラいたわけですが、アガタは上位をキープしていました。

アガタとエリクの間にはヴィルジニアとコンスタンティアという女の子がいましたが
エリクは娘たちの面倒を妹のセシリアにまかせていました。

なぜかっていうと「アガタには、子供たちによいしつけをして、ちゃんと育てるってことは
できないからね〜」ということでした。
で、セシリアがバーデン=ローデマヒェルン辺境伯に嫁いだ後は
妹のエリザベットにお願いしました。
エリザベットの侍女で、姉妹の世話をしていたのがカリン・マンスドッテルです。

アガタにしてみれば、娘の世話をしてくれるありがたい人だったと思うのですが
結局カリンはエリクの恋人になり、さらに結婚までしてしまって
ハレムの恋人たちはお城を追い出されることになってしまいました。
こんなことなら自分で育てりゃよかった!! と悔んだことでしょう。

アガタはその後貴族のクリストファー・オラフソンと再婚しました。
以降のことは不明です。
もし安泰に暮らしていたのなら、カリンのその後の波瀾万丈ぶりのことを考えると
追い出されてラッキーだったかもしれませんね。

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

北欧といえば!の武田龍夫先生による一冊
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ひとことサッカーコーナー
驚いたよね!やっぱりフェルナンド・トーレスがサガン鳥栖に来るってか? 川崎か横浜に応援にいこうかしら?
そしてワールドカップの準決勝と決勝にEXOとBTSがかかるってね! おめでとうございます EXO-L & A.R.M.Y


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スコットランド王ジェイムズ4世愛妾 マーガレット

2018-06-28 19:30:50 | 王の寵姫・愛妾
悲しい恋物語のヒロインになった恋人
マーガレット・ドゥラモンド


1475〜1501/愛妾 1495〜1497

ジェイムズ4世の、数ある愛妾の中で本命と言われているのが
マーガレット・ドゥラモンドです。
すごーく遠い親戚なので書きませんが、というか辿りきれませんでしたが
デイヴィッド2世妃マーガレット・ドゥラモンドの何代か離れた姪にあたるらしい。

ジェイムズ4世とは密かに結婚し、マーガレット・チューダーとの結婚が決まると
身を引くために妹二人と服毒自殺したという… まさに悲恋物語。

水を差すようで申し訳ないのだが、事実はちょっと違うかもしれません。
でも歴史には諸説あるので、どれを信じるかはあなた次第…ってことで。

マーガレットは、初代ドゥラモンド卿の娘さんでした。
二十歳そこそこでジェイムズ4世の恋人になり、リンリスゴウ宮殿で暮らしていました。
マーガレットという娘さんも生まれています。
     
でも、どうやら真剣にお付き合いしたのは約2年ぐらいだったようで
マーガレット・チューダーとの結婚のかなり前に別れていた様子。
そうすると正確には愛妾ではなくて恋人ですね。

けれども1501年に、妹ユーフェミア、シビラとともに食事をしたすぐ後に
亡くなったのは事実です。
若くして亡くなった三姉妹は、ダンブレーン大聖堂に埋葬されました。 涙を誘いますね。

マーガレットの死後ジェイムズ4世がミサを行い、娘マーガレットの保護を続けたことで
二人の愛は続いていて、深いものだったと思われたのかもしれません。
マーガレットの死は、ジェイムズ4世とマーガレット・チューダーの結婚を推し進める
貴族たちによる毒殺と囁かれるようになりました。

物語としてはその方が面白いですよね。

わたしも何かの本で読んだことがあるのですが、中世から近代初期の食事環境は
貴族といえどもひどかったらしく、特にイングランドは遅れていたみたいです。
床がゴミだらけとか、食器使い回しとか、腐る寸前の肉生焼けとかね… すごいね!
てことは、もちろんスコットランドもひどかったわけで「食中毒でしょ」と
当時はたいした捜査もおこなわれませんでした。 親の家で食べた後だしね。
現代でも食中毒説が強いようです。

だけど食中毒ですぐ死ぬものかしら? やはり毒殺なんじゃないの?
でも何度も言うけど両親の邸宅で食べた後よ、親もからんでいるとか?

ジェイムズ4世とマーガレットの結婚が本当で、マーガレット・チューダーとの結婚がなければ
スコットランドとイングランドは連合国になっていないかもしれないわけで
かなり歴史がかわっていたかもしれません。
スコットランド独立を願う方は、おおいに肩入れしたくなる女性なのかもしれませんね。

娘のマーガレットは、最初にゴードン卿ジョンと結婚し
次にInnerpeffray領主ジョン・ドゥラモンドと再婚しました。
         
ジョン・ドゥラモンドとはどこかで繋がってると思うんだけど探せませんでした。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

スコットランドの歴史を楽しくわかりやすく!
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ひとことK-POPコーナー



やってきました SHINee WORLD THE BEST 2018 ~FROM NOW ON~ in TOKYO DOME のBlu-ray
ジャケットを見ただけでいろいろな場面を思い出してしまって泣いたさ…
ちゃんと落ち着いて、通して見ようと思ってまだ見れずにおります 次の休みの日に見るとしましょう


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『なんでもない一日』ローリー大活躍

2018-06-22 22:15:52 | アメリカの作家
THE SMOKING ROOM AND OTHER STORIES:A COLLECTION 
シャーリィ・ジャクスン

まだ長篇を読む勇気は出ないんだが『くじ』が面白かったので手を出してみました。

なんでもシャーリィ・ジャクスン没後に、息子さんと娘さんが納屋で見つけた
未発表原稿や、単行本未収載など54篇をおさめてアメリカで出版された
短篇集『Just on Ordinary Day』から、30篇を選び出したものらしいです。

未発表ということは本人が気に入っていなかったということかしら?
それとも、若くして亡くなっているので短篇集を編纂する時間がなかったのかしら?
いすれにしても『くじ』と比較しても遜色を感じませんでした。

30篇のお話しは、ものすごーくざっくり3パターンにわけることができると思います。
ちょっと背筋が寒い感じの恐ろしさを孕んだストーリー。
日常的な人々の会話や行動が、読み進むにつれてもやもやもや…としてくるストーリー。
(ブラックめな)ユーモアを描いたストーリー。

印象的だったお話しをいくつかご紹介しますね。

『悪の可能性(The Possibility of Evil)/1966年』
祖父の代から町で暮らしているストレンジワース家の、71歳になるミス・アデラは
町の人々に目を配り、人々からも一目おかれている。
その日も買物に出かけ人々と会話を交わし、帰宅するといつものように手紙を書き始めた。

ミス・アデラ… すごく立派な婦人なんですよ、見習いたいです、と言いたいところですが
善行がいきすぎて困った人になってしまってます。
こういう人はわりといそうな気がするけどね…

『レディとの旅(Journey with a Lady)/1952年』
心配性の母を振り切り、ひとりで列車に乗っておじいちゃんの家に向かう9歳のジョセフ。
せっかくの旅が、隣に座った若い女性のせいで台無し… と思っていたら
列車に警官が乗り込んで来た。

内容はありがちですぐ展開が見えてくるんですけど、面白かったなぁ。
ジョセフと女性の会話がね、 “ どっかで読んだ感 ” を補ってあまりある、って感じかしら。
そして爽快な読後感… 褒められた話しじゃないんですけれどもね。

『車のせいかも(Maybe It was the Car)』
いろいろな事が原因かもしれないが、夫の生徒が言った一言も気にかかり
車に乗ると40マイルほど走り、コロニアル風のホテルに泊まった。
翌日ホテルを出ると、町外れで売りに出されている田舎家に目をとめた。

結局奥さんは一泊して家に帰るんですけど、どうやら家族は慣れっこみたいです。
主人公は作家ということで、もしかしたら本人たちがモデルになってたりするのかな?

他にいくつか印象に残っているお話しがあるのですが、どう説明してよいのやら…
とにかく “ 延々と ” というイメージのストーリーで、例えばね
『メルヴィル夫人の買い物(Mrs.Melville Makes Purchase)』というのは
クレーマーっぽい夫人が百貨店でずーっとイライラさせられて文句タラタラ、ていうのを
『S・B・フェアチャイルドの思い出(My Recollection of S.B.Fairchild)』は
買い物した商品が不良品で、代金払わん! 代金払え!! というのを
なんのひねりもなく書き続けているんですよ、最後はオチるけどね。

つまらなそうでしょ? それが面白いんですよね。
リアルバラエティで誰かを追っかけてる感じかなぁ? 
でも映像にしたらつまらない気もしますけど… 不思議なんだけど読むと面白い。

それから最後の方は、ローリーという少年が大活躍です、あまり良くない感じで。
ローリーというのは、作者の息子さん(ローレンス)と同じ名前なのよね。
思春期の息子を抱えたママの不安と不満を見事に表しているんだろうか?

いろいろな意味で読み応えがある一冊でした。

私が勝手に描いてたシャーリー・ジャクスンのイメージをぶち壊す!
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね




ひとことテレビコーナー
『孤独のグルメ 韓国出張編』おいしそうだったですね〜 あぁぁ…行って食べたい! 小皿ワールドに埋もれたい!! 
ソン・シギョンさんの人柄の好さが炸裂! 今ちょうどKstyle LIVEで見えるラジオやってらっしゃいますね


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スコットランド王ジェイムズ4世愛妾 ジャネット

2018-06-20 21:34:45 | 王の寵姫・愛妾
とても長いおつきあいだった
アンガス伯アーチボルト・ダグラス夫人 ジャネット・ケネディ


1480〜1545/愛妾 1497〜

スコットランド王ジェイムズ4世は結婚前も結婚後も、たくさんの恋人がいたそうです。

イングランドのヘンリー8世は数多くの愛人を手近なところで選んでいたような印象が
ありますが、同年代のジェイムズ4世も近場で見つけていたみたいです。

まずはジャネット・ケネディです。
上のポートレートは本の表紙ですね? スコットランドでは有名なのでしょうか?

ケネディ家というのはスコットランド由来だと聞いたことがありましたが
ジャネットは名家ケネディ卿ジョンの娘さんでした。
何代か遡るとロバート3世に繋がっています。
       
母のエリザベスは、初代ハントリー伯アレグザンダー・ゴードンの娘です。

なんだかこの当時、スコットランドはこのゴードン家系と
アンガス伯とかダグラス伯のダグラス家系がワラワラいる印象を受けています。

で、ジャネットは、17歳ぐらいでアンガス伯アーチボルト・ダグラスの愛妾になります。
(13歳ぐらいで結婚した説があります。 相手はゴードン家系の方らしい)
それで宮廷でジェイムズ4世の目にとまり、愛妾になったってことなんですが…

アンガス伯の愛妾になって、けっこうすぐにジェイムズ4世にのりかえているのよね。
いくら家臣とはいえ、自分の可愛い人をもってかれちゃうというのはどうなの?
アンガス伯は数年前にジェイムズ4世に謀反をおこそうとしたことがあります。
いくら許してもらえて忠誠を誓ったからってねぇ…

ジェイムズ4世の数ある愛妾の中で。ジャネットが一番長く続いた相手で
マーガレット・チューダーとの結婚後も続いていたと言われています。
お子様も三人生まれていて、そのうちのひとりが初代マリー伯になりました。

ジャネットは、ジェイムズ4世の愛妾をしながら他にも二人の男性と付き合っていて
そのうちのひとり、初代ボスウェル卿ジョン・ラムゼイと1505年に結婚しました。
夫は1513年にフロドゥンの戦いで亡くなるのですが、ジェイムズ4世も
もう一人の恋人もフロドゥンの戦いで亡くなっています。
しかも同じ年にアーチボルト・ダグラスも亡くなりました。

後ろ盾が一気に… その後の詳しいことはわかりませんが
認知してもらった子供もいたし、まだ35歳前後だから再婚したかもね。

       
家系図が楽しかったので…
モートン伯ジェイムズ・ダグラス夫人 マリオン・ボイド


生没年不詳/愛妾 1490〜

マリオン・ボイドはなにもエピソードがないのですが、家系図が楽しかったので…
アンガス伯アーチボルト・ダグラスの二人目の奥さんの姪にあたります。

ジェイムズ4世との間には二人子供がいて、長男アレグザンダーは
セント・アンドルーズ大司教になり、フロドゥンの戦いで亡くなりました。
         

(参考文献 森譲氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

ひとことワールドカップコーナー
勝つとはね〜! お仕事が休みだったのでオンタイムで観てまして大興奮でしたよぉ!!
今回はフェルナンド・トーレスが出てないので日本一筋でいこうと思ってますけど
ステキな選手を見つけたらそちらも応援しちゃうかも…  ところでトーレスが鳥栖に来るって本当ですの??


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スペイン王フェリペ4世愛妾 マリア

2018-06-04 20:55:42 | 王の寵姫・愛妾
熱しやすく冷めやすい…にふりまわされた一生
マリア・イネス・カルデロン


1611〜1646/愛妾 1627〜1629

ボヘミア王妃編が終って、後のことをなんにも考えてませんでした… というわけで
寵姫・愛妾シリーズいってみます。

どこの国にも恋多き王様はいるものですね。
情熱的な印象を受けるスペインの王室ではフェリペ4世が有名です。

とにかく好きになったらまっしぐら、手に入るものは拒まずという感じで
情事を繰り返していたらしいのですが、一番有名なのがマリア・カルデロンです。
ラ・カルデローナという名前で女優をしていました。

なぜ彼女が有名かというと、お子様はたくさんできたんだけど、なぜか王子が生まれない
あるいは長生きしなくて後継ぎが定まらないスペイン王家に
ファン・ホセという立派な男子をもたらしたからということでしょうか?
それが後々混乱を呼ぶのですが…

スペイン語がわかればたぶん書いてあるのでしょうけど、両親のことはわかりません。
16歳の時には女優として舞台に立っていたということです。

二人の出会いには諸説ありますが、コラル・デ・ラ・クルスという劇場での
デビュー公演でフェリペが見初めたという説と、旧王宮に招いた劇団にいたマリアに
フェリペが言いよった、という説が有力みたいです。

二人はすぐに恋に落ちたということなのですが、実はマリアにはすでに夫がいまして
その上、妻を亡くしたメディナ公ラミロ・ペレス・ゴンザレスと愛し合っていました。
     
すったもんだの末、フェリペはメディナ公を追放し、マリアに女優をやめさせ
とうとうマドリード宮殿で暮らすことを承諾させました。
(メディナ公は当時のスペインの有力者の娘婿でした。
 追放にはもしかしたら政治的な理由もあったかもしれませんね)

ここからはしょうるけど…
決闘まがいの事件や恋敵の追放までして、なかば強制的にマリアを手に入れたフェリペは
1629年にマリアが男の子を生むと、宮殿から追い出すことにしました。
息子のファン・ホセは、どうやらメディナ公の子供だというウワサもたっていたようです。
マリアはいやがったようですが、結局二人の関係は終わりました。

マリアはその後も女優を続けていましたが、夫とはどうなったのか
メディナ公とはどうなったのか、詳しいことはわかりません。

1642年、マリアは修道院行きを強制されました。(本人が熱望してという説もあります)
この年になにがあったかしら?

王妃イサベル・デ・ボルボーンが亡くなるのも
マリアナ・デ・アウストリアとの再婚もまだ先だし…
息子ファン・ホセの台頭はもっともっと後だし…

いずれにしてもマリアはサン・ファン・バウティスタの修道院で尼僧になり
翌年に修道院長になりました。

たった2年のお付き合いで王と別れて13年、もうほっといてあげたらどうか?
権力者に気に入られるというのも、ただただラッキーというわけではなさそうですね。

(参考文献 佐竹謙一氏『浮気な国王フェリペ四世の宮廷生活』 Wikipedia英語版)

だからって浮気のことばかりではない真面目な一冊です
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ひとことK-POPコーナー



잘 돌아왔어요 SHINee 앞으로도 사랑해요 SHINee


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ボヘミア王イジー妃 クンフタ

2018-05-23 20:44:03 | ボヘミア王妃
お若いのにしっかり者だったらしい
イジー妃 クンフタ・ゼ・シュテンベルカ


1425〜1449/在位せず

ラジスラフの後は「ハプスブルク家の王なんて許せるか!」ってなわけで
オーストリア軍を敗ったボヘミア貴族の中から王になったポジェブラト家のイジーです。
       
即位前に結婚したのが、ボヘミア貴族のスミル・シュテンベルクの娘クンフタでした。
結婚から3年後の1444年に、19歳にしてポジェブラティに病院を設立。
20世紀初頭までクンフタの名がついていいました。
若者の教育や学校建設、囚人の社会復帰などに尽力し、システムを確立したらしい。

ものすごく立派なお妃様にみえますが、エピソードが少ないですね。
どこかの王家の王女じゃないからでしょうか?

1449年、24歳の誕生日の翌日、双子の出産の後亡くなりました。
お子様は6人で、次女カテリーナはハンガリー王マーチャーシュの妃になりました。



              
いよいよ最終回
イジー妃 ヨハナ・ズ・ロジェミタール


1430〜1475/在位 1458〜1471

クンフタを亡くしたイジーは翌年、ヨハナと再婚しました。
       
20歳のヨハナは、イジーをものすごくサポートし、国事にも打ち込みました。
けれども子供が生まれてからは母親の役割を優先したようです。

1470年、義理の娘カテリーナの嫁ぎ先だったハンガリーのマーチャーシュが攻めてきました。
ヨハナはチェコ軍を率いたそうですよ!
たぶんイジーも戦いに明け暮れていたと思うので、夫が不在の時はわたくしが!と
奮闘していたのでしょうね。

1971年、イジーが死去しました。
ヨハナは、ボヘミア王の未亡人が代々隠遁してきたムニェルニークに移り
1475年に亡くなりました。

死後は、庶民の教会に葬ってほしい、あるいは、聖ヴィトゥス教会のイジーの隣がいい…と
希望していたそうですが、どこに埋葬されたんでしょうね?

ヨハナの葬儀の喪主は息子のザクセン公ヴィルヘルム3世ではなくて
次の王になるハンガリー王ウラースロー2世でした。
一応イジー支持派から選ばれて王になったようなのですが、他所者なので点数稼がねばね!

             
            Jarmily Haldovéさん作ヨハナ

この後ボヘミア王位はヤゲロン家、そしていよいよハプスブルク家へ…
続きはそちらからどうぞ

(参考文献 Wikipedia英語版)
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ボヘミア王ヴァーツラフ4世妃 ゾフィエ

2018-05-15 20:14:11 | ボヘミア王妃
未亡人になってからEnjoy?
ヴァーツラフ4世妃 ゾフィエ・ヴァボルスカー


1376〜1428/在位 1389〜1419

前妃ヨハナを飼い犬に殺されちゃった(らしい)ヴァーツラフ4世は
ヨハナの従妹にあたるゾフィエと再婚しました。
従姉にフランス王シャルル6世妃イザボー・ド・バヴィエールがいます。
        
ヨハナの死から2年後、育ての親バイエルン公フリードリヒ1世に連れられて
プラハに向かい、翌年結婚しました。

ゾフィエは狩猟が大好きで、夫婦共通の趣味があったせいか仲は良かったそうです。
ヴァーツラフ4世は愚王として名高かったそうなのですが
一方ゾフィエは経済方面で有能だったらしいです。
もしかしたら影で夫を操っていたかもしれませんね。

1419年、ヴァーツラフ4世が亡くなりました。
相変わらず継承者をねらう人が多数いる中、お子様がいなかったゾフィエは摂政をしながら
義弟ジグムントを支持することでボヘミアからの保護を得ることにしました。

ゾフィエも43歳、故国に返されてもねぇ…
それとも他にボヘミアに残りたい理由でもあったのでしょうか?

めでたく王になったジグムントとゾフィエは契約を交わしました。
ゾフィエは権力は手放しましたが、なぜかジグムントと二人で領地を仕切っていました。
二人はお付き合いしている… というもっぱらのうわさでした。
ジグムントは「ゾフィエはポーランド王ヴワディスワフ2世と再婚する予定だから!」と
言い訳していたようですが、再婚することなく1428年に亡くなりました。
    
旦那さんが亡くなってから、次の王様、例えば弟とか義理の息子なんかと
ウワサになる王妃って多いような気がする… すぐには思い出せないけど。

まぁ、未亡人といってもお若いですからね…

               
              Jarmily Haldovéさん作ゾフィエ

で、噂のお相手ジグムント妃はマリア・ウヘルスカバルボラ・チェリスカでした。       
               
              Jarmily Haldovéさん作バルボラ

その後はハプスブルク家のアルブレヒト、王妃はアルジェビェタ・ルクセンブルスカ
ラジスラフ(未婚)と続いていきます。

ボヘミア王妃編、もうすぐ最終回です。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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ボヘミア王ヴァーツラフ4世妃 ヨハナ

2018-05-09 21:38:10 | ボヘミア王妃
死因はなんだって
ヴァーツラフ4世妃 ヨハナ・バヴォルスカー


1362〜1386/在位 1378〜1386

カレル1世の次男で後を継いだヴァーツラフ4世の妃は
下バイエルン公アルブレヒト1世の公女です。
母マルガレータはヴァーツラフ2世王女マルガリェタを祖母にもちます。
父方の祖父は神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ6世です。
       
8歳の時、結婚のためにハーグからプラハに旅立ちました。
ヴァーツラフは9歳でした。

ルクセンブルクとバイエルンの繋がりを強くするための結婚でしたが
ヴァーツラフの最初のお妃候補は、ホーエンツォレルン家の
エリーザベト・ニュルンベルクでした。
しかし、エリーザベトがプファルツ家のルパートと結婚したので
ヨハナと結婚することに。

ちなみに、ドイツ王というのは神聖ローマ皇帝候補みたいなもので
ヴァーツラフもドイツ王になります。
この時代、各名家が陣取り表みたいなものを広げて縁談を考えてたとしか思えないですよね。

二人の結婚生活は16年に及びましたがお子様はいませんでした。
一説によるとヴァーツラフはアルコール依存症気味で、不能だったらしいです。

ヨハナは23〜24歳で亡くなるのですが、言い伝えによると…
ヴァーツラフの猟犬に攻撃されたってことです。

でもさ、独りでフラフラと犬舎っていうの? 猟犬がウロウロしてるところに行くわけないし
なんか臭いません? 猟犬放たれちゃったとかさ…

ヴァーツラフはジェブラーク城内で、それはそれは壮大な葬儀を行いました。
これは本当に悲しんでのことなのか隠蔽孝作か… 最近疑りぶかくなっちゃっていかんね。
葬儀後プラハ城に埋葬されました。
ヴァーツラフはその後、ヨハナの従姉妹のゾフィエと再婚します。

ヴァーツラフは、1400年にドイツ王を廃位されてプファルツ家のルパートにもってかれます。
お嫁さんも王位もとられちゃってね…

                
                Jarmily Haldovéさん作ヨハナ

(参考文献 Wikipedia英語版)
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