“ 王冠を賭けた恋 ” を応援した王女
ジョージ5世王女 メアリー
ヘアウッド伯ヘンリー夫人
1897~1965
大げさに書いちゃった…
でもね、応援はしなかったかもしれないが
少なくとも反対はしなかったんではないかと思います。
ジョージ5世と王妃メアリー・オブ・テックには6人のお子様がいましたが
女の子はメアリーひとりでした。

お勉強は兄弟たちに混じって家庭教師から受けていました。
男兄弟が多かったせいなのか乗馬が好きで、生涯の趣味になりました。
第一次世界大戦が始まった時はまだ十代前半でしたが、病院などを慰問して
ロイヤルファミリーの務めを果たしていました。
大戦末期の1918年には看護婦として病院勤務もしています。
24歳の時、39歳のヘアウッド伯子ヘンリー・ラッセルと結婚しました。
この時ブライド・メイドをつとめたのが『英国王のスピーチ』でお馴染み、
後のジョージ6世妃エリザベスです。
メアリーはこの結婚を渋ったらしいのですが、両親が押し切ったとも言われています。
ヘアウッド伯のどこに無理矢理結婚させたい要素があったのかしら?
そんなにいい家柄なのかしら?
兄のエドワード(8世)は「愛する人と結婚してほしい」とこの結婚に反対したそうです。
やはり後に世紀の恋をする人だけあって “ 愛至上主義 ” だったのね
そんなことがあったからか、メアリーはエドワードが大好きで
退位して王家と没交渉になってからもお付き合いを続けました。
エドワードが暮らしていたエンツェスフェルト城(ウィーン)にも夫と訪問しています。
1947年、姪にあたるエリザベス(2世)の結婚式がありましたが
メアリーは、エドワードが招待されていなかったことに抗議して参列を辞退しています。
公式には病気と発表されました。
その後のロイヤルウエディングでもシンプソン夫人が招待されていないからと
欠席したものがありました。
兄思いなのはわかりますけど、一応公式行事だからさ…
第二次世界大戦中は女性部隊ATSの統制官チーフになり
弟ケント公の死後はパップワース知事も務めました。
リーズ大学の総長にもなってます。
まさにロイヤルファミリーにうってつけのアクティブな女性ですね。
亡くなった年にスウェーデン王妃ルイーセの葬儀への参列ています。
これがメアリーの最後の公式行事参加になりました。
目の手術のためにロンドンに来ていたエドワードとシンプソン夫人も訪ねています。
息子のヘアウッド伯ジョージと散歩中、心臓発作をおこして亡くなりました。
エドワードはその7年後に亡くなるんですが
イギリス王室内の心強い理解者だった妹の死は悲しかったでしょうね。
退位後も皇室行事や式典に招待されることがありましたが
これもメアリーの力添えがあったからかもしれません。
エドワード8世退位後後を継いだ弟のジョージ6世とエリザベス王妃の王女が
現在のエリザベス2世です。
エリザベス2世の妹マーガレット王女は2002年に亡くなっています。
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
ジョージ5世王女 メアリー
ヘアウッド伯ヘンリー夫人
1897~1965
大げさに書いちゃった…

少なくとも反対はしなかったんではないかと思います。
ジョージ5世と王妃メアリー・オブ・テックには6人のお子様がいましたが
女の子はメアリーひとりでした。

お勉強は兄弟たちに混じって家庭教師から受けていました。
男兄弟が多かったせいなのか乗馬が好きで、生涯の趣味になりました。
第一次世界大戦が始まった時はまだ十代前半でしたが、病院などを慰問して
ロイヤルファミリーの務めを果たしていました。
大戦末期の1918年には看護婦として病院勤務もしています。
24歳の時、39歳のヘアウッド伯子ヘンリー・ラッセルと結婚しました。
この時ブライド・メイドをつとめたのが『英国王のスピーチ』でお馴染み、
後のジョージ6世妃エリザベスです。
メアリーはこの結婚を渋ったらしいのですが、両親が押し切ったとも言われています。
ヘアウッド伯のどこに無理矢理結婚させたい要素があったのかしら?
そんなにいい家柄なのかしら?
兄のエドワード(8世)は「愛する人と結婚してほしい」とこの結婚に反対したそうです。
やはり後に世紀の恋をする人だけあって “ 愛至上主義 ” だったのね

そんなことがあったからか、メアリーはエドワードが大好きで
退位して王家と没交渉になってからもお付き合いを続けました。
エドワードが暮らしていたエンツェスフェルト城(ウィーン)にも夫と訪問しています。
1947年、姪にあたるエリザベス(2世)の結婚式がありましたが
メアリーは、エドワードが招待されていなかったことに抗議して参列を辞退しています。
公式には病気と発表されました。
その後のロイヤルウエディングでもシンプソン夫人が招待されていないからと
欠席したものがありました。
兄思いなのはわかりますけど、一応公式行事だからさ…

第二次世界大戦中は女性部隊ATSの統制官チーフになり
弟ケント公の死後はパップワース知事も務めました。
リーズ大学の総長にもなってます。
まさにロイヤルファミリーにうってつけのアクティブな女性ですね。
亡くなった年にスウェーデン王妃ルイーセの葬儀への参列ています。
これがメアリーの最後の公式行事参加になりました。
目の手術のためにロンドンに来ていたエドワードとシンプソン夫人も訪ねています。
息子のヘアウッド伯ジョージと散歩中、心臓発作をおこして亡くなりました。
エドワードはその7年後に亡くなるんですが
イギリス王室内の心強い理解者だった妹の死は悲しかったでしょうね。
退位後も皇室行事や式典に招待されることがありましたが
これもメアリーの力添えがあったからかもしれません。
エドワード8世退位後後を継いだ弟のジョージ6世とエリザベス王妃の王女が
現在のエリザベス2世です。
エリザベス2世の妹マーガレット王女は2002年に亡くなっています。
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)