まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ノルウェー王オーラフ5世妃 マッタ

2016-10-04 21:28:12 | ノルウェー王妃
お裁縫好きの王太子妃
オーラフ5世妃 マッタ・アフ・スヴェリエ


1901~1954/在位せず

今回でノルウェー王妃編は終了です。
読んでいただき、ありがとうございました。

現ノルウェー王ハーラル5世のお父様にあたるオーラフ5世の妃は
やはり北欧の王家出身のマッタです。

お父様はスウェーデン王オスカル2世王子、ヴェステルイェートランド公カールで
お母様はデンマーク王フレデリク8世王女インゲボルグです。
オーラフ5世とはいとこ同士になりますね。

         
オーラフとマッタは、こっそり婚約したそうで、その後公に発表されたそうです。
なぜなぜ? 政治的な理由? それとも親の反対を押し切った?

1929年にオスロで結婚式を挙げました。
ノルウェーでロイヤル・ウェディングが行われたのは340年ぶりだったそうです。
ずっと共治だったし、ホーコン7世とモードはバッキンガム宮殿だったしね。
盛り上がったでしょうね!

王の孫で王女の娘で王太子の奥さまという、すごーいセレブのマッタなんですが
お裁縫が得意だったらしく、自分や子供のお洋服を縫っていたそうですよ!
庶民的で親近感がわきますね! でもすごく高い生地使ってたりして…

第二次大戦前に夫婦でアメリカを訪問し、ルーズヴェルト大統領と親しくなりました。

ドイツが侵攻して来た時、マッタは子供たちを連れてスウェーデンに避難しましたが
快く迎えてくれない人々もいました。
スウェーデンの中立が脅かされると考える人もいましたし
ドイツが国民感情を抑えるために、3歳の王子ハーラルをノルウェー王に指名し
マッタが王子を連れてノルウェーに帰るという噂もたちました。
ビックリしてしまったマッタは、ルーズヴェルト大統領の招待を受けアメリカへ向かいます。
その時夫オーラフは、父王ホーコン7世と、亡命政府とともにイギリスにいました。

ホワイトハウスに滞在した後ポートシティに落ち着いたマッタは
世界にノルウェーを印象づけようと、赤十字などで精力的に活動しました。
ルーズヴェルト大統領は「ノルウェーを見よ!」とスピーチしています。

ゴア・ヴィダルは後に、マッタは「ルーズヴェルトのとって最後の恋だった」と
どこかで書いたそうですが、どうでしょう?
頑張ってる女性を応援しただけかもよ… ロマンティックな話しに水を差して悪いけど…

夫オーラフが、ロンドンで亡命政府とともにレジスタンスをバックアップしていたように
アメリカでノルウェーのレジスタンスををサポートするために活動していたマッタは
戦後帰国すると、ヒーローとして迎えられます。

“ 国家の母 ” と呼ばれ、王太子妃として、亡くなった王妃モードに代わって
王家の女性の勤めをこなしていたマッタでしたがガンを患ってしまいます。
長い闘病生活の末、1954年に亡くなりました。

オーラフは、その3年後にオーラフ5世として即位しました。
1991年に亡くなりましたが、再婚はしていません。

もちろん、どの国の君主の妻も必死だった時代でしょうが
自分たちとともに戦ってくれている! と感じられる人がいると心強いですよね。

               
                   お美しいのでもう1枚

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
東京ドームのDVDがやってきて、ファンクラブ会員限定誌Seekがやってきて 、ティザーもあがって祭り状態の1週間!
しゃをるの皆さーん! いよいよ明日はカムバックですね〜!! もうしばらく浮かれます宣言
コメント (2)

ノルウェー王ホーコン7世妃 モード

2016-09-23 19:22:03 | ノルウェー王妃
勝手知ったる母の実家に嫁いだ王妃
ホーコン7世妃 モード・アフ・ノルジ


1869~1938/在位 1905~1938

一気に時代がとびますよぉ

スウェーデンとの共治時代が終わり、やっっっと、ノルウェー単独王登場です。
ノルウェーの独立は、スウェーデン王オスカル2世が理解を示し、尽力してくれて達成され
本当はスウェーデン王家から王をむかえたかったそうなんですが
結局デンマーク王フレデリク8世の次男カールを王にむかえることになりました。

カールはホーコンに改名してノルウェー王に即位しました。
ちなみに母親はスウェーデン王女ルイーセです。 入り組んでますわね。

そんなホーコン7世の妃は、イングランド王エドワード7世王女モードです。
お母さまはデンマーク王女アレグザンドラで、ホーコン7世とモードはいとこ同士ですね。

        
モードは、エドワード7世とアレグザンドラからかなり自由に育てられ
元気旺盛な王女で、ハリーというあだ名がついていました。

モードは、毎年のように里帰りしていた母アレグザンドラと一緒にデンマークを訪れていて
いとこのホーコンとはよく会っていたでしょうね?
ホーコンの方が3歳年下なので、お姉さんぶっていたかもしれませんね。
もしかして恋愛結婚なのかしら?

27歳の時にバッキンガム宮殿で結婚式を挙げています。
ホーコンはまだカールという名で、デンマーク海軍の将校でした。
なので、結婚後はデンマークで暮らしていました。
毎年訪れて慣れ親しんでいる場所へ嫁ぐのって、まったく知らない国へお嫁に行くより
気が楽かしらね? それとも未知の世界へ踏み出してみたかったかしら?

1905年、カールがにホーコン7世として即位し、ノルウェーで暮らすようになりました。
モードは、いつまでも故郷イングランドを愛していましたが
素早くノルウェー王妃という立場に順応していきました。

少女時代はおてんばだったモードですが、王妃になってからは
シックな女性だと評判だったようです。

子供と動物のための協会を設立するなどの慈善活動に精を出し
音楽家や芸術家への奨学金をだすなどしています。

嫁いだ時には、夫は次男だし、王になることはないかも… なんて思ってたかもしれませんね。
でも、さすが王女、ちゃんと王妃としての勤めを果たしました。

しかしやはり故郷は恋しい、ってことで、オスロの宮廷に
イングリッシュ・ガーデンを造ったりしています。
ちょこちょこ里帰りはしてたみたいですけどね。

モードは、1937年に甥のジョージ6世の戴冠式に参列しましたが
それがイングランドの公式行事で見られた最後の姿でした。
翌年、誕生日の6日前にロンドンで亡くなりました。 69歳でした。
戴冠式からずっとイングランドにいたのか、たまたま里帰りしてたのかわかりませんが
遺体はオスロに運ばれ埋葬されました。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
INFINITE 6TH MINI ALBUM ONLY 到着〜! The Eye はすでにMVで見てましたけれども
相変わらずピシピシっとキマって気持ちいいわ〜 でも、いつも痛そう… ケガに気をつけてね、とか思っちゃう
コメント

ノルウェー王ホーコン5世妃 ユーフェミア

2016-09-17 19:50:44 | ノルウェー王妃
自分の好みだからって、そんな…
ホーコン5世妃 ユーフェミア・アフ・リューゲン


1270~1319/在位 1299~1312

これから長々とスウェーデン、あるいはデンマークと共治になる前の最後の王
ホーコン5世妃ユーフェミアは、リューゲン領主ヴィツワフか
アーネスティン伯ギュンターの娘さんだと言われていますが
とりあえずリューゲンの方で話しを進めていきたいと思います。

1299年にホーコンと結婚した直後にエイリーク2世が亡くなり
ホーコン5世の即位とともに王妃になりました。
        
ユーフェミアは、芸術面に造詣が深かったことで有名だそうです。
また、読書を愛し、膨大な蔵書を抱えていて、そのコレクションは
当時のヨーロッパでは最大級クラスだったそうです。

また、騎士文化を愛していて、ノルウェーで騎馬試合のトーナメントを開きました。
騎士を描いたいくつかのバラッドをノルウェー語に訳しています。
“ ナイト ” が好きだったってことね?
かなりロマンティストな方だったんじゃないかしら?
ハーレクィンシリーズ的な読み物があったら、すごくハマっていたかもしれませんね。

ステキな男性を夢みるっていうのは、いくつになってもウキウキするものです。
まったく問題ないんだけどさ…

ユーフェミアは、スウェーデン王マグヌス3世の王子エリクの
騎士っぽいたたずまいが大好きで大好きで、自分が嫁げないなら…と考えたかどーかは
知りませんが、一人娘インゲボルグのお婿さんに選んでしまいました。
娘より20歳も年上ですよ!
まぁ、自分が浮気に走るよりはいいのかもしれないけど…
でも大好きな人が娘婿っていうのもどーよ?

で、上の肖像画ですけど、お母さまの大好きな人に嫁がされてしまった
娘さんのインゲボルグでございます。

そして、ここからの道のりですが
マグヌス4世妃ブランカ・アフ・ナミュールはこちら
ホーコン6世妃マルグレーテはこちらをごらん下さい。

その後、デンマーク王妃が2人続いた後は、カール1世妃カタリーナ&クリスティーナ
そしてクリスティアン2世妃ドロテア・アフ・ブランデンブルクからはずーっとデンマーク
カール2世妃ヘドヴィク・エリザベットからは、しばらくスウェーデン…
ノルウェー王妃編なのに…

でも、安心して下さい。
次回ノルウェー単独王が登場しますよ!

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことマグロコーナー



今日だんなさんとお出かけした帰りに日吉東急に寄ったら、黒山の人だかりが… マグロ解体ショーだって!!
ベスポジではないけれど初めて目の前で見ました。 でかいよね! 部位争奪ジャンケンには参加しませんでした
コメント

ノルウェー王エイリーク2世妃 イサベラ

2016-09-16 21:48:59 | ノルウェー王妃
           そしてこれはイザベラではなく、14世紀の貴婦人像です

王の未亡人というポジションを選んだ王妃
エイリーク2世妃 イサベラ・ブルース


1272~1358/在位 1293~1299

エイリーク2世は2回結婚しています。
一人目の妃は、スコットランド王アレグザンダー3世王女マーガレットです。

二人目もやはりスコットランドから、後の王ロバート(1世)の姉イザベラを選びました。
目的はスコットランドとの関係改善です。
          
1293年に父親とともにノルウェーに渡り結婚しました。
この時イザベラはものすごくゴージャスなドレスや宝石、金銀の装飾品を持ってったらしく
ノルウェー貴族がびっくりして記録に残しちゃってるぐらいですが
スコットランドってそんなにお金持ち? しかもブルース家はまだ王家じゃないし…

しかし、結婚から6年後、エイリークは亡くなりイザベラは未亡人になります。
イザベラは24歳で、まだまだ再婚ができる年です。
でもイザベラは再婚しませんでした。
しかもスコットランドには帰らず、ベルゲンで余生を送っています。

イザベラは、王妃でいた間はたいして記録が無いらしいのね。
ところが! 未亡人になってからは、けっこうアクティブに暮らしていた様子が
記録されているそうです。
たとえば、王の未亡人として儀式やイベントに参加したりしたそうで
1305年の、ベルゲンの新司教叙任式には王夫妻とともに登場したりしてます。
ホーコン5世とは特に繋がりが見出せないのだけど、仲良かったんですかね?
         
ベルゲンで暮らしていたイザベラは、日頃から寄附を怠らず、お告げをもらったりして
聖職者たちとも良好な関係を築いていたそうです。

旦那さんが亡くなってからやけに元気になっちゃう未亡人王妃がここにもいましたね。
エイリーク2世って亭主関白だったのかしら?

それより、エイリーク2世とイザベラの王女に注目!
       
この家系図、もうスウェーデンとノルウェーが共治に片足つっこんでますね。

娘のインゲボルグは、ホーコン5世の王女インゲボルグとともに
マグヌス7世の摂政を務めています。
だからなのか、1339年にマグヌスはイザベラの要請を聞いて服役者たちに恩赦を与えてます。
実の祖母でもないのにこの影響力!

エイリーク2世も、ホーコン5世も王女しか生まれてないのね。
ノルウェーは女性の王位継承を認めていなかったので、王座はとうとうスウェーデンへ…
この、スウェーデンの用意周到な感じがたまりませんね。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことテレビコーナー
キーワード検索で出てきた『イラっとくる韓国語講座』を録画したので見てみました! 河本シ、韓国語忘れてない〜! 
スゴーイ! 4回だか5回放送されるそうで楽しみ〜。とりあえず早く夏服を買ってあげて!!
コメント

ノルウェー王ホーコン・ホーコンソン王妃 リキサ

2016-09-04 19:58:31 | ノルウェー王妃
           どーにもこーにも肖像画が無いので13世紀の貴婦人画を…

お隣同士三国は仲良くできるのか?
ホーコン・ホーコンソン妃 リキサ・ビュリエルスダター


1237~1288/在位 1251~1257

父ホーコン4世と共治王になり、単独王になる前に24歳で亡くなってしまった
ホーコン・ザ・ヤングの妃リキサは、スウェーデンのヤール(摂政)ビュリイェルの娘さんで
母親はスウェーデン王女インゲボルグでした。
弟にスウェーデン王ヴァルデマーとマグヌス3世がいます。
          
息子ヴァルデマーの摂政として、事実上君主だったビュリイェルのポリシーは
スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの三国が平和的な関係を維持し続けることでした。
お隣同士三国で獲ったり獲られたりの争いを続けていくって、どの国もしんどいものね。

その一環で、1251年、リキサは共治王ホーコンと結婚しました。
結婚から6年後、ホーコンが亡くなります。
さらに4年後、一人息子のスヴェッレが9歳で亡くなってしまいます。

ノルウェーでの役目を終えたってことなんでしょうか?
翌年にメクレンブルク家のヴェルレ領主ハインリヒ1世に嫁ぎました。
二男一女が生まれてますが、エピソードは何もなし… 人柄もまったくわかんないっすね。


権力欲があるのかないのか?
マグヌス6世妃 インゲボルグ・エリクスダター


1244~1287/在位 1263~1280

ホーコン・ホーコンソンの弟で、父王の死後即位したマグヌス6世は、王位継承法を改正したり
全国で共通の法を制定したりしたことで知られています。

その妃はデンマーク王エーリク4世とユッタ・アフ・サッシェンの王女です。
姉のソフィアは、スウェーデン王ヴァルデマー1世に嫁いでいます。
     
エーリク4世には王子がおらず(二人とも幼くして夭逝)王女ばかり4人いました。
三女ユッタと四女アニェスは修道院に入ったからおいといて…
スウェーデン王妃ソフィアとノルウェー王妃インゲボルグに継承権があるというのは
今後問題がおこりそうな予感ですね!
  
マグヌスとの結婚は議会によって約束されていたということで、完全に政略結婚でした。
でも二人の結婚生活は幸せなものだったと言われています。

結婚から2年後の1263年にマグヌス6世が即位し、インゲボルグは王妃になります。
しかし、この時点ではあまり政治的なことに参加はしていなかったようです。

1280年、マグヌス6世が、戦いではなく病気で亡くなります。
12歳のエイリーク2世が即位すると、なんということでしょう!
インゲボルグは、未成年の息子に代わり、リーダーシップを発揮します。
政治、好きだったのかしらね?

しかも、インゲボルグの影響力はどんどん大きくなり、エイリーク2世が15歳で成人して
親政を執るようになっても、弱まるどころか強くなっていきました。
やっぱり、政治好きだった? ただ、正式に摂政と名乗ったことはないらしい…
皆さんに助けて頂いて… みたいな雰囲気を出しつつ、会社を操っちゃう社長の母って感じ?

結婚当時から断続的に続いていたものの、インゲボルグとデンマークのエーリク5世は
継承権について強く反目するようになっていきました。

始めは個人的なっものだったのですが、次第にデンマークとノルウェー二国間、そして
ドイツまで加わって、敵意を強めていきました。
せっかく仲良くやってきたのに戦争か? と思われた1287年、インゲボルグが亡くなり
この問題は解決しました。

権力にも興味があったのかしらね?
マグヌス6世は、改法王と呼ばれるぐらい法を改訂した君主で、一見賢王みたいですが
政治的には特に優秀というわけではなかったそうです。

インゲボルグが政治力を発揮してマグヌスに影響を与えていたら、さて
ノルウェーは良くなっていたのか、悪くなっていたのか…

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことテレビコーナー
このあいだ、外国人の方が選ぶおいしい冷凍食品の番組やってて、どれもおいしそうだったんだけど

中でもこれがおいしそうで探してるんですが、近所のどこにも売ってないのよぉ〜 
コメント

ノルウェー王ホーコン4世妃 マルグレーテ

2016-08-31 08:18:24 | ノルウェー王妃
父親と夫、どっちに味方する?
ホーコン4世妃 マルグレーテ・スクレスダター


1208~1270/在位 1225~1263

一瞬王になった、義母マルグレーテに殺されてしまったかもしれないホーコン3世は未婚
さらに一瞬芸の王、スヴェッレの庶子シグルの庶子グットルムは5歳で亡くなっています。
というか、庶子が続いてますけど、なぜちゃんと結婚しないかな? やっぱり一夫多妻?
その後を継いだ、シグル2世の孫インゲ2世も未婚です。
皆さん、お若くして亡くなっているのでね… 争いはおやめなさいってば!

そして、やっと王位継承を賭けた内戦が終わりを告げる時がやってまいりました。
ホーコン4世の登場です。
ノルウェーが国力を高めた13世紀、その口火を切ったのがホーコン4世でした。
在位も46年と久々に長いです。

さきほど、ホーコン3世は未婚と書きましたが、ホーコン4世はホーコン3世の庶子で
母親はインガという愛人でした。

さて、ホーコン4世の妃マルグレーテですが、スクーレという貴族の娘さんでした。
      
家系図を見ていただくとわかると思いますが、スクーレはインゲ2世の異母弟で
自分でも王位を主張していました。
この家系図からはシグル2世とはなんの繋がりも見出せないのだが
広そうでせまい貴族社会、たどっていけば何か繋がりがあるかもね… たどってないけど。

そこで、1225年、父親とホーコン4世の和解の印としてマルグレーテが嫁ぐことになります。
ホーコン4世は、これでスクーレの王位継承権の主張を退けるつもりでした。

この考えはかなり長い間功を奏していたんだけど、1239年、スクーレが
Nidaros(現在のトロンハイム)で王様宣言をしてしまったことで、再度争いが勃発。

結婚から14年ですよ! この間、マルグレーテが「もう大丈夫」と安心して暮らしていたのか
消えてなさそうな父親の野望にハラハラしどうしだったのかは不明。
この争いの間に、父親を助けるような動きをしたのか、見放していたのかも不明。

ただ、父親の反乱を知った時には号泣し、亡くなった時には深く悲しんだそうです。
板挟み… つらかったろう…

1240年、スクーレがホーコン軍に殺害されて、この争いは終結します。
その後もホーコン4世とマルグレーテは離婚や別居などした様子がないので
戦いは戦い、夫婦は夫婦、と割り切っていたのかもしれないですね。 さすが王侯貴族。

マルグレーテは、政治には参加はしていなかったようです。
ただ、自分の財産とか領地を守ることには、けっこう一生懸命だったみたい。
ホーコンが近隣諸国を旅した時には同行して王妃としての役割を立派に果たしたらしいです。
The 王侯家の娘、という教育を受けてきた女性かもしれませんね。

1257年に、共治王だった次男(長男オーラフは幼くして夭逝)ホーコンを亡くしています。
1263年にはホーコン4世がスコットランドとの争いの最中に亡くなります。

1264年にスクーレが建設したトロンデラーグのRissa修道院を
息子マグヌス6世と訪れています。
マルグレーテは1267年から1270年に亡くなるまで、そこで過ごしたようです。

たくさんの愛しい人を亡くした人生でした。
最後の3年間は穏やかに過ごしたと思いたいですね。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとこと韓流コーナー
最近BSで『パリの恋人』とか『美しき日々』とか、お懐かしい〜ドラマやってて、来週から『ホテリアー』放送だって
どっか『フルハウス』やってくんないかなぁ… Take2じゃなくてソン・ヘギョちゃんの方ね!
コメント

ノルウェー王エイステン2世妃 ラグナ

2016-07-29 22:07:11 | ノルウェー王妃
         このヘタウマ(失礼)な絵はマルグレーテ妃の実家の紋章です

ノルウェー人のノルウェー王妃ってことで有名 Part2
エイステン2世妃 ラグナ・ニコラズダター


生年不詳~1161以降/在位 1142~1157

ハーラル4世の後を継いだのは、愛妾トーラが生んだシグル2世と
イングリドが生んだインゲ1世の二人(共治王)でしたが、シグル2世は22歳ぐらい
インゲ1世は26歳ぐらいで殺害されて未婚でした。

1142年に共治王になったエイステン2世の妃は、エイステン1世妃インギビオルグ同様
11~13世紀のノルェー王妃の中で、二人しかいないノルウェー人王妃として有名です。

父親はグドブランスダレンというところのニコラス・マーズっていう人らしい…
結婚したのは、たぶん、エイステンがスコットランドからノルウェーに到着した
1140年から即位する1142年の間だそうです。

ノルウェーで王になるために、地元民の協力が必要だったのかもしれませんね。
二人に子供がいたという記録はありません。

1157年にエイステンが義弟インゲ1世に殺害され未亡人になりました。
1160年にインゲ1世の義弟オルムと婚約し、翌年再婚する予定でした。
オルムはマグヌス5世の統治時代に傑出したリーダーとなった人物です。
        
しかし、インゲ1世とホーコン2世の間で争いが始まり
インゲ1世が1161年に殺害されて、この結婚は行われなかった可能性が高いです。

ラグナの消息も、イングリド同様ここで途絶えます。
インゲ1世の死でいろいろな女性の人生がわからずじまい…
欲深い兄弟喧嘩に巻き込まれちゃって… 困ったもんだ。

同じくハーラル4世の庶子で、1142~1145年共治王になったマグヌス・ハーラルソンと
シグル2世と愛妾トーラの庶子で1157年から共治王になったホーコン2世は未婚。

シグル1世の孫マグヌス4世は、サクソン王と血縁がありそうな
エストリド・ビョルンズダターという女性と結婚していますが、詳細は不明。


疑惑の王妃になっちゃった
スヴェッレ妃 マルグレーテ・エリクズダター


1155~1209/在位 1189~1202

シグル2世とグンヒルドの庶子(だと言い張った)スヴェッレの妃は
スウェーデン王エリク9世とクリスティーナ・ビョルンスドッテルの王女マルグレーテです。
      
1189年に結婚し、1202年に47歳で未亡人になりました。
スウェーデンの自分の領地ヴェステルイェートランドに隠居したのですが
その際、王女のクリスティナをノルウェーに残していくように強いられました。
そりゃそうよね、王女は外交の大きな切り札になるもの。

ちなみにクリスティナは、1209年にBagler党(?)のフィリプス・シモンソンに嫁いでます。

マルグレーテは2年間故郷で過ごし、1204年にノルウェーに戻ります。
到着から2日後、スヴェッレの庶子、つまりマルグレーテの義理の息子ですが
ホーコン3世が、明らかに毒のせいで亡くなりました。
当然マルグレーテに疑惑の目が向けられますね?

マルグレーテの使用人の一人が、主人の無罪を立証するために
試罪法に挑みましたが(無理矢理挑まされたのかもしれないけど)失敗して溺死しました。

ひとこと情報
以前も書いたかもしれないのですが、試罪法とはザックリ言うと、疑わしい人が火あぶりにあったりとか
刃物の上を歩いたりとかして無事だったら無罪という、The 中世! な裁判法です
溺死ということは、水にずーっっと沈められたりしたのかもしれないですね、コワいコワい…


というわけで、マルグレーテは追放され、再びスウェーデンに帰ります。
でも、自分の息子がいたわけでもないのに、なぜ継子を殺さなきゃならないかね?
娘のためでしょうか?

1209年に、娘クリスティナの結婚式のために、再度ノルウェーを訪れているので
追放はされたけど、有罪にはなっていなかったのかもしれないですね。
マルグレーテは、娘の結婚後すぐ病気になり、数週間後に亡くなってしまいました。
なんだか怪しい気がするね …

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことゲームコーナー
ポケモンにもゲームにもほとんど興味がないんだが、つい軽い気持ちで ポケモン GOをインストールしてしまいました
ただボールを集めてポケモンにあてりゃいいのかと思ってたら、進化させたりアメもらったり
戦わせなきゃいけないなんて… 以外と忙しい…
コメント

ノルウェー王ハーラル4世妃 イングリド

2016-05-20 23:39:55 | ノルウェー王妃
            例によって肖像画がないのでヴァイキングの貴婦人をどーぞ

ある意味キングズ・メーカー
ハーラル4世妃 イングリド・ラグンヴァルズダター


1110~1161以降/在位 1134~1136

ノルウェー王はここらへんから激しく入れ替わりを見せ始めます。
嫡子だけでなく、庶子まで入り乱れての継承争いが続くわけだけど
権力が欲しいだけの兄弟喧嘩に巻き込まれる国民はいい迷惑ですよね。

王様の子供だけでも大騒ぎだっていうのに、王妃の再婚相手の孫まで参入しちゃうという
事態を招いたのが、ハーラル4世妃イングリドです。
イングリドの父親はスウェーデン王インゲ1世の庶子ラグンヴァルドで母親は不明です。
      
最初はデンマーク王スヴェン2世の庶子ヘンリク・スヴェンソンと結婚しました。
ヘンリクは、身体的な理由から後継者とは見なされていませんでしたが
様々な陰謀をはりめぐらしていた人物で、敵も多かったようです。

ヘンリクとイングリドの息子マグヌスは、一瞬スェーデン王座つきましたが
スヴェルケル1世を殺害して奪い取ったとされています。
そして、その陰謀を指示したのがイングリドらしいです。
でてきましたね~! 久々にエピソードフルな王妃の予感がします。

1134年にヘンリクがFotevikの戦いで亡くなると、その年のうちにハーラルと再婚しました。
しかし1136年にハーラルが他の庶子シグルに殺害されてしまいます。
この時、ハーラル4世には、イングリドが生んだインゲ(1歳)
愛妾トーラが生んだシグル(3歳)、愛妾ビョークが生んだエイステン(10歳前後)
誰が生んだかわからないけどマグヌス(?)の4人の息子がいました。
もちろん嫡子はインゲですけど、争いがおきることはまる見えスケスケですよね。

ここでイングリドは大胆な手を打ちます。
自分の息子インゲとともに、庶子シグルも共治王として公布しました。
幼い子を選んだところがミソ! 自分の力が及び易い相手を選んだわけですね。
イングリドが摂政に就いたという記録はないのですけれども、インゲの統治中は
最も重要な助言者とされていたそうです… ていうか1歳だからね。
完全に自分で統治してたでしょ。

でも1142年からはエイステンとマグヌスも王になってるんでね…
イングリドの苦労がうかがえますね。
        
ちなみに、マグヌスは5世とはなっていませんで、マグヌス5世は別人です。

いつの間にか、ものすごく高位の貴族オットー・ビルティングと三度目の結婚をしていた
イングリドですが、1140年ぐらいに夫が殺害され再び未亡人になります。

その後イングリドは四度目の結婚をしますが、その前に子供を産んでいます。
子供の父親は素性がよくわからないアイヴィ・スネイスという男性らしいです。
         
イングリドの四人目の夫は、資産家のアルヌ・イヴァルソンでした。
子供も生まれ、インゲの治世も続き、安泰だったはずのイングリドでしたが
1161年、運が尽きます。
インゲが継承戦争に敗れ、殺害されてしまいました。

イングリドの最後の記録は、夫とともにデンマークに亡命するところまで。
亡命先は実家のスウェーデンじゃなかったんですかね?
あ! 息子マグヌスが前の年にスヴェルケルを暗殺してたんだっけ!!
しかもマグヌスも1161年に殺害されました。

どこでどうなってしまったんでしょうね?
亡命ったって、もと王妃で資産家の嫁なわけだから、けっこう大がかりな夜逃げだったと
思うんだけど、跡形もなく消えちゃったというのが気になりますね。
完全に身分を隠して、そこらへんのおカミさんみたいに暮らしていたとしたら
それはそれで面白いかも…

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー


東京ドーーーーーム!! SHINee WORLD 2016 D×D×D Special Edition すごく良かったよ~!!
パワホー & ビューティホー! そしてワンダホー!!
今年も2日間楽しかったけど、ツアー終わっちゃった~ と、しゃいにロス状態…
まずはジョンヒョンのソロで癒しましょうっと!
コメント

ノルウェー王エイステン1世妃 インギビオルグ

2016-04-22 23:17:53 | ノルウェー王妃
       どーにもこーにも肖像画がみつからないのでシグル1世妃ブラスミンをイメージして
             アーサー・ラッカムという方が書いたアイルランドの妖精のイラストを…


ノルウェー人のノルウェー王妃ということで有名
エイステン1世妃 インギビオルグ・グットルムズダター


生没年不詳/在位 1103~1123

母親の違う三兄弟で共治王になったエイステン1世の妃は
リレハンメル出身のグットルム・トレッソンの娘です。
        
エピソードは無いが家系図は立派です。
11~13世紀の王妃の中で、たった二人しかいない
ノルウェー人のノルウェー王妃のうちのひとりということが有名です。
あと、王女マリアの息子オーラフが僭称王となって、国外追放になったことぐらい?

没年もわかりません。


置いて行かれた若妻
シグル1世妃 ブラスミン・ムィルチャルタクスダター


生没年不詳/在位せず

ムィルチャルタクの娘… なんだか、タイとかモンゴルとかみたいな響きですが
ダブリン王の王女です。
ノルウェーとダブリンが同盟を結ぶために、お互いの親によってアレンジされました。

二人は1102年に結婚して、シグルはダブリンで暮らしていたみたいです。
しかし、1103年にマグヌス3世が殺害されると、14歳のシグルはノルウェーに戻り
兄弟たちと共治王として即位します。

なんだかその時に、ブラスミンは置いて来ちゃったみたいなのよね。
「必ず迎えに来るよ」「お待ちしています」みたいな、涙もののシーンはあったのかしら?
なんでも二人は、その時はまだ床入りしていなかったらしい…
そしてシグルは13年後に他の人と結婚しちゃいます。
お相手は、後にデンマーク王エーリク2世妃になるマームフレドです。

ちなみに、シグル1世はセシリアという女性とも結婚したことになってるんですが
マームフレドと離婚したわけでもなさそうなので、またまた一夫多妻でしょうか?
シグル1世は十字軍にも参加してイスラム教徒と戦った王で
十字軍戦士王と言われているのに重婚ですかぁ? 次の王は愛妾の子だし… 
中世のキリスト教的倫理感てよくわからないっす。

シグル1世の庶子で、次王になったマグヌス4世の妃は、マームフレドの姉インゲボルグと
デンマーク王子カヌート・ラグヴァルドの王女クリスティンです。

家系図はこんな感じです。
     
1132年にマームフレドの仲介で結婚したんですけど、エピソードは特にないです。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
 

どうなのよぉ~! これ  SHINyan 正式デビューですって!! かわいいー 
キレッキレでモフモフのダンスってどんななの? 気になりすぎる!!
みんな似てる気がするけど、 ミノにゃんが… に、似てる… カリスマの瞳が…
コメント

ノルウェー王オーラフ3世妃 インゲリッド 

2016-03-29 20:57:26 | ノルウェー王妃
              おちゃめでしょ! マルグレーテ像です

王女で王妃… 以上です
オーラフ3世妃 インゲリッド・アフ・デンマーク


生年不詳~1093/在位 1067~1093以降

ハーラル3世の後を継いだマグヌス2世は未婚でした。
その後は弟のオーラフ3世が王になります。

オーラフ3世の妃は、デンマーク王スヴェン2世の王女インゲリッドです。
スヴェン2世にはガイダとグンヒルドという二人の妃がいましたが
インゲリッドの母親はどちらか不明です。
     
完全なる政略結婚で、1067年に結婚しました。
1093年にオーラフ3世が亡くなると、とっとと宮廷を後にし
スヴェン・Brynjlfssonという人と再婚します。
子供もいなかったしね。

在位中も未亡人になってからも、王妃としてどんなことをしていたのか
まったくわかっていないらしい…
ぜんぜん政治に興味がなかったみたいですね。

オーラフ3世の後に即位したマグヌス2世の庶子ホーコン2世は未婚でした。


意外にドライだった?
マグヌス3世妃 マルグレーテ ・フレドスコラ


1080頃~1130/在位 (ノルウェー王妃)1101~1103
           (デンマーク王妃)1105~1130

デンマーク王ニルス妃として一度紹介しているのですが
ノルウェー王妃としてはどんな方だったのでしょうね?

スウェーデン王インゲ1世の王女だったマルグレートは
1101年、平和条約のためにノルウェー王マグヌス3世と結婚しました。
この時から “ フレドスコラ(平和の乙女) ” と呼ばれるようになります。
        
マルグレーテは持参金がわりにノルウェーにヴェステルイェートランド地方の
広大な領地を持って来ます。
いつも思うんだが、住人たちは勝手に国を変えられて困ったでしょうね。

結婚からわずか2年後の1103年にマグヌス3世が亡くなると
マルグレーテはさっさとノルウェーを後にしました。
子供もいなかったし、2年だもの、そんなに愛着ないわよねぇ…

しかし彼女が当然残ってくれるものだと考えていたノルウェーサイドは
すごく無礼だと感じたらしく激怒
しかも、聖オーラフ1世の遺品を持ち去ったと盗人呼ばわりされてしまいました。
噂って恐いわぁ… 本当のところはどうだったのでしょうね?

マグヌス3世の没後は3人の王子が共治王として即位しますが
3人とも愛妾の子で皆母親が違いました。

オーラフ4世は未婚でした。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
今年は代々木が1日しか当たらず不完全燃焼… でも席はすごく良かったのよね!!
だけどベスポジなだけに、いいところでカメラマンが目の前に立つ!という… 何度ペンラで殴ろうと思ったことか…

コメント

ノルウェー王ハーラル3世妃 エルジフ

2016-02-22 20:55:35 | ノルウェー王妃
キリスト教なのに一夫多妻?
ハーラル3世妃 エルジフ・アフ・キエフ


1025~1067/1045~1066

オーラフ2世が殺害された後、ノルウェーは、空位とデンマークとの共治時代を繰り返します。
国内で争ってるから、よそから狙われちゃうでしょー!

まずは賢王オーラフを倒してノルウェー王に即位したデンマーク王クヌート1世大王。
妃はエルギフエンマです。

その後空位をはさんで、デンマークとの共治をしたスヴェン・クヌートソンと
マグヌス1世善王は未婚でした。

やっとノルウェー単独王登場ですよ。 ハーラル3世です。
オスロを建設した王だそうです。

ハーラル3世妃は、有名なキエフ四姉妹の(たぶん)長女、エルジフ(エリザヴェータ)です。

キエフ大公ヤロスラフ1世と、オーラフ2世と結婚するはずだった
スウェーデン王オーロフ・シュートコヌングの王女インゲゲルドの娘です。
詳しくは前回のアストリッドを参照してください。

姉妹は皆他国の王家へ嫁いでまして、妹アナスタシアはハンガリー王アンドラーシュ1世王妃
次妹はフランス王アンリ1世妃アンナ、末っ子アガタだけちょいと不運なことに
イングランド王になれなかったエドワード・アジリングと結婚したとされています。
当時のキエフの国力の大きさが垣間見えますね。
         
ハーラルは、クヌート大王の治世中キエフでお世話になってまして、もしかして恋愛結婚?

二人は1043年に結婚し、1045年にそろってノルウェーに帰国しました。
ところがですね~、帰国から2年後、ハーラルは単独王になると、トーラという女生と
結婚しちゃうんですよね。
そしてエルジフもトーラも在位が1066年までとなっているのよね。
すでにキリスト教化されていたと思うんだが… 一夫多妻?

実は、エルジフがノルウェー王妃として記されているのは宮廷詩人が書いた一編の詩だけで
それ以外には資料が実存していないらしい…
ノルウェーがキエフとの繋がりなんかを強調するために盛りましたかね?

とはいえ、ハーラルがイングランドの王位継承に巻き込まれて遠征中に亡くなった時
エルジフも娘たちと同行していたそうで、長女マリアもイングランドで亡くしています。
そしてデンマーク王オーロフ1世妃インゲゲルドはエルジフの娘となってますので
ハーラル3世妃だったことに間違いはないようですね、と思いきや! つづく


ごちゃごちゃになってます
ハーラル3世妃 トーラ・トルバーグズダター


1025~没年不詳/在位 1048~1066

ハーラル3世が単独王になった時に結婚したとされるトーラは
ノルウェーで勢力があった一族のトルバーグ・アネッソンの娘でした。
従姉妹にスコットランド王マルカム3世妃イーンガボーグがいます。
          
後に王になる、マグヌス2世とオーラフ3世の母ですが、あまりエピソードがなく
没年もわかっていません。
デンマーク王スヴェン2世か、スウェーデン王ホーコンと再婚したとも言われますが
どちらも確認ができていないそうです。

ただ、ハーラル3世のスコットランド遠征に付き添ったのは、エルジフではなく
トーラだという説が浮上。
そういえば、エルジフも没年がハーラル3世の死から1年後になっていますが
どこで亡くなったかはわかっていないんですよね。

この二人の妃の存在、なんだかミステリアスですね。
一人二役的な “ 入れ代りもの ” ドラマができそうな気がします。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー


AERAの表紙&インタビュー! こんなに立派になってくれて目頭が熱いわ…
誰なんだよぉ? この(美しい)ボーイズは? と、お思いの定期購読者の方もいらっしゃいましょうが
これを機にSHINeeを覚えていただければと…
コメント

ノルウェー王オーラフ2世妃 アストリッド

2016-02-19 21:40:33 | ノルウェー王妃
偉大な王の善き妃
オーラフ2世妃 アストリッド・オーロフズダター


生年不詳~1035/在位 1019~1030

アストリッドは、スウェーデン王オーロフ・シュートコヌングの王女ですが
母親は愛妾のエドラという女性でした。
実の兄はエームンド老王、義理の兄弟にアーヌンド・ヤーコブがいます。
       
アストリッドとエームンドは、義理の母エストリッドとうまくいかず
別々に里子に出されました。
アストリッドは、ヴェステルイェートランド地方に送られました。

1016年、ノルウェーとスウェーデンは平和的な関係を築くべきだという合意に至り
お決まりの婚姻関係を結ぼうということになりました。

最初に話し合われたのは、本妻エストリッドとの王女インゲゲルドでしたが
父王オーロフが反対してアストリッドに代わりました。

インゲゲルドは、キエフ大公ヤロスラフ1世の妃になります。
どっちかっていうとそっちの方が重要で、本妻の娘が選ばれちゃったのかもね。

オーラフとエストリッドは、1019年に結婚しました。

代わりにやってきた妃でしたが、アストリッドは美しく明瞭で寛大な女性でした。
義理の息子のマグヌス(後の善王)のことも可愛がり、良い関係を築きました。
自分が受けた辛い思いを、義理の息子にはさせたくなかったのでしょうね。

1030年、アストリッドは、オーラフ2世が反乱軍に殺されて未亡人になると
ノルウェーを去りスウェーデンに帰国します。
スウェーデンは義理の兄弟アーヌンド・ヤーコブの治世中でしたが
アストリッドは宮廷で高位を与えられました。
義理の兄弟とも良い関係を築いていたんですね。

義理の息子マグヌスがストックホルムを訪れて、ノルウェーの王位継承の申し立てをした時は
公式に援助を与えました。
マグヌスの即位は、アストリッドの後押しも大きな助けになっていたかもしれません。

オーラフ2世は、第二の建国者と言われるほど、国力を高めた王だったそうです。
賢王と良妻のベストカップル… なぜ反乱がおきるか不思議ですよね… 中世時代。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
テミンの美しさに息をのんでいる今週ですが、来週はいよいよ…
オニュにオペ服を着せるなんて! なんて罪つくりな韓国ドラマ界! やっぱりスカパーに加入するべきなのだろうか…
コメント

ノルウェー王オーラフ1世妃 ゲイラ

2016-02-12 18:06:14 | ノルウェー王妃
ハンサムな王様だったらしいよ!
オーラフ1世妃 ゲイラ


965~985/在位せず

エイリーク1世を継いだホーコン、その次のハーラル2世は未婚でした。
その後はデンマークとの共治になりまして、ハーラル青歯王妃はギリテ、トーヴェなどの
妃がおりました。

オーラフはハーラルの一族の出ですが、王様になる前はヴァイキングでした。
海外を渡り歩き、キリスト教に改宗後、帰国して王になりました。
キリスト教化を推し進め、ノルウェーに初めて教会を建てた王だと言われています。
でも、ちょっと強引すぎたみたいです。

さて、最初の妃ゲイラですけど、彼女はオーラフがノルウェー王になる前に結婚しました。
ヴィンドランドという国の王女らしいです。 ヴィンドランドってどこでしょう?
          
13歳ぐらいでどこかの王子と結婚しましたが、3年後に死別しました。
ノヴゴロドから帰還中のオーラフが嵐に遭ってヴィンドランドに寄港した時に
国を治めていたゲイラに会いました。

ゲイラは「冬の海は恐ろしいほど荒れるゆえ(この部分は想像)、冬の間いらしたら?」と
持ちかけ、オーラフがこれを受け入れました。
ゲイラの作戦勝ち? 二人は982年に結婚しました。

ゲイラは納税を拒んでいた貴族たちから、税金を取り立てることに成功したりしたそうで
けっこう押しが強い女性だったんじゃないかしら?
それより、こんなに昔から税金があったっていうのに驚いた!
まだ国として機能してないような状態だと思うんだが… 税金というよりは上納金かな?

結婚から3年後にゲイラが亡くなります。
オーラフはすごく悲しんだそうで、上の絵がその時の様子です。
でもゲイラがいなくなるとヴィンドランドにいられなくなり、国を後にしました。
ゲイラが長生きしていたら、ノルウェー王にはなってなかったかもね。


ありがちなエピソードを持つ妃
オーラフ1世妃 ガイダ


生没年不詳/在位せず

ダブリン王の妹らしい… 小さい王国がたくさんあったんですね。
そして、北欧と英国方面は当時から盛んに行き来してたのですね。

ガイダはどこかの伯爵と結婚して未亡人になると、次の夫探しに乗り出しました。
求婚者はたくさんいたようですが、ガイダはなかなか「うん」と言いませんでした。
そんな中、オーラフは、ガイダから招待を受けて訪ねて行ったのですが…

さぁ、皆さん、ここからはどこかで聞いた話しの展開になりますよ。

オーラフは自分がボロい服を着て、従者にキレイな服を着せていたのですが
ガイダはオーラフをちゃんと見抜いたっていう…

オーラフはガイダと結婚し、イングランドとアイルランドで幸せに暮らしましたとさ。



              
夫運悪い?
オーラフ1世妃 ティーラ・ハーラルズダター


生年不詳~1000/在位 995~1000

いいですねぇ~、北欧三つ巴な家系図。 王家の家系図はこうでなくっちゃ!
         
ティーラは、デンマーク王ハーラル1世と、スウェーデン王女ギリテの王女です。

最初はおじにあたる王太子スティンビョルンと結婚しましたが
スティビョルンは、985年に、エリク勝利王との継承争いに敗れて亡くなります。

次にポーランドの王子と結婚したらしいけど、やはり死別しました。

それでその後に、いつの間にかノルウェーに帰って王様になっていた
オーラフと結婚したわけですが、強引にキリスト教化を進めていたオーラフは
スウェーデンとデンマークの支援を受けた反乱軍に敗れて亡くなりました。
でも、スウェーデンもデンマークも、キリスト教化は進めてたはずだけどね…
他の国の王が倒れるなら、理由はなんでもよかったのかもしれませんね。

言い伝えでは、ティーラはオーラフ死亡の報せを聞くと、断食して自殺したそうです。
本当かなぁ…

ちなみに、オーラフ1世はハンサムだったそうですよ。
3人の妃のエピソードを見ていると、ですよね~、って感じです。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
BIGBANG見たさに初めて見たMomm!!なのですが、「口パク」とか「歌ってない」って
あんなにハッキリ言ってケンチャナ? 中居くーん
口パクにうるさくなってきた韓国なだけに、BIGBANGのみんなの興味しんしんの表情が印象的でした

コメント

ノルウェー王エイリーク1世妃 グンヒルド

2016-02-05 20:11:23 | ノルウェー王妃
在位は短いけどエピソード満載の王妃
エイリーク1世妃 グンヒルド・ゴームズダター


910~980/在位 931~934

他の王妃たちのエピソードがほとんどないこの時代にあって
肖像画(というか挿し絵)と(主に良くない)エピソードがもりもりあるグンヒルドは
両親についてもいろいろな議論があるそうです。
一応、デンマーク王ゴームとチューラの王女ということになっていますが
Halogalandの族長Ozur Toriの娘という説もあったり
二人の魔法使いと暮らし、魔術を学んでいたという噂もありました。

エイリークとグンヒルドが出会ったのは、ゴーム王の祝宴でした。
二人の結婚は、デンマークとノルウェーの同盟と統合まで視野に入れたものでした。
ということは、やっぱりゴーム王の王女なのかしらね?
         
エイリークとグンヒルドとの結婚後、ハーラル1世の死に先立って、エイリークの異母兄妹で
人気者だったハルフダンが急死しました。
不審な亡くなり方だったようで、人々はグンヒルドが毒を盛ったと噂しました。

ハーラル1世が亡くなると、とりあえずエイリークが即位します。
しかしエイリークは専制的な君主だったようで、他の兄弟たちとの争いは激化します。
グンヒルドはエイリークを煽って、たて続けに4人の兄弟を殺害させました。
エイリークにとってグンヒルドはベスト・パートナーかも…と思えますね。

しかし、そんなエイリークの統治に貴族たちが反発し、即位からわずか3年後
異母弟のホーコンを王だと宣言して、エイリークを追放しました。

エイリークご一行は、父王ハーラル1世が支配したオークニー諸島に落ち着くと
オークニー王になり、さらには、ノルウェーが支配していたイングランド北部を訪れて
ヨーヴィック王を名乗ったりしてました。
どんなに小さい国でもいいから “ 王 ” と呼ばれたかったのかしらね?

グンヒルドは、エギルという詩人との軋轢が有名で詩にも書かれているらしいのですが割愛。
簡単に書くと、仲違いしたエギル兄妹を殺そうとしたら、逆に兄たちが殺されちゃって
つかまえた後、エイリークが釈放しようとすると「処刑して~!」と騒いだらしい。

954年、エイリークが亡くなると、グンヒルドは子供たちを連れてデンマークへ避難します。
デンマークの王はハーラル青歯王で、もし、グンヒルドがゴーム老王の王女だとしたら
お兄さんか弟にあたりますね。

グンヒルドの王子たちは、ハーラル青歯王に、まるで自分の子供たちのように
可愛がられたそうです。
ハーラル王青歯王は、グンヒルドの王子をノルウェー王に据えようと考えます。

ホーコン対ハーラル(グンヒルドの王子)の争いは、本当はノルウェーの勝利でした。
でも、ホーコンがFitjarの戦いで戦死したことで、ホーコンを倒したハーラルの勢力が
ノルウェー内で拡大し、ハーラルが王に就くことになりました。

ノルウェーに凱旋した時のグンヒルドのドヤ顔! すごかったでしょうね。

ハーラルをはじめ、グンヒルドの王子たちは、これまで国内を治めてきていた族長や領主を
殺害したり退けたりして自分たちの権力を増大しようとします。
でもハーラルを操っていたのは実はグンヒルドでした。

グンヒルドは、息子ハーラルの治世中ノルウェーを訪れていた
アイスランドの族長Hrut herjolfssonの愛人になります。
彼女はHrutに夢中で、あまりにもおおっぴらだったので、二人はてっきり結婚したものだと
思われていたそうですが、Hrutは国に妻がおりました。
結局Hrutはアイスランドに帰ってしまったようですが、グンヒルドが渡した土産は
すごかったらしく、妻にバレちゃいまして、Hrutの結婚生活は破綻しました。

971年、息子ハーラル2世が亡くなりました。
グンヒルドの王子たちと、族長ホーコン・シグルッソンの間に継承戦争がおこりました。
ホーコンが勝利し、グンヒルドは再びオークニーへ向かい、その後デンマークに戻りました。

しかし、前回はあたたかく迎えてくれたハーラル青歯王は、今回は様子が違ったみたい…
グンヒルドはハーラル青歯王の命令で沼で溺死させられてしまいました。
ハーラル青歯王は、兄妹愛ではなくて息子を利用するために優しくしてくれていたのかしら?
(実話かどうかは不明なんだけどね…)
              
                 年老いた流浪のグンヒルド
                   上の絵が迫力満点なだけに、哀れですね


叙情詩となって語りつがれる悪女とは… スケールでかいですね。
中世にはよくあることですが、王家が変わった時に悪者にされちゃったのかもしれません。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
わーいわーい! MステにBIGBANG登場!! 嬉しいですね
楽屋での畳上の5人がオモカワでした。 畳の楽屋って日本だけなのかなぁ?
コメント

ノルウェー王ハーラル1世妃 ガイダ

2016-02-01 08:22:46 | ノルウェー王妃
                肖像画がないのでヴァイキングの貴婦人
                スウェーデンかデンマークで使ってるかもしれませんが…


ハーラルを王にした・・・という伝説を持つ王妃
ハーラル1世妃 ガイダ・エイリークズダター・アヴ・ホーダルランド


生没年不詳/在位 872~930

今回は、スウェーデンやデンマークとともに北欧を形成する王国ノルウェー王妃編です。
ノルウェーは、スウェーデンやデンマークと共治になっている時期も多いので
すでに出た王妃も多くいますが、それ以外の王妃たちをご紹介。

スウェーデン、デンマーク同様、名前・地名の読み方がよくわかってませんので
間違っていたら教えてください。

ガイダは歴史書に登場する最初のノルウェー王妃です。
         
ハーラル1世はノルウェーを統一し、初代王になった人物ですが、その影にガイダあり!と
言い伝えられている王妃です。

ガイダは、ヴェストフィヨルド王だったハーラルから求婚された時
「ノルウェー全土の王になるまでは…」とお断りしています。
ハーラルは、王になるまで髪を切らないし、クシも入れない(ブラッシングしない)と
誓いを立てたそうです。
そのせいで、ハーラルの頭はとんでもないボンバー状態になってたはず… おそろしや

それから10年、872年にノルウェーを統一王となったハーラルはガイダに使者を送り
結婚しましたとさ… めでたし、めでたし
その前に、ボサボサ頭は返上してキレイに整えていたそうですよ。
“ 髪を刈った ” と表現している書籍もあります。 10年分だもんね…
その後ハーラルは美髪王と呼ばれていました。

ハーラル1世は、順番はわかりませんが5回結婚しているんですよね。
王になるやいなやガイダと結婚したということは、初婚?
もし先に結婚してたとしたら、苦楽を供にした妃はどうなった?

それから、ガイダはハーラルが亡くなるまで王妃の座にいたことになってるのよね…
一夫多妻制ですかね? キリスト教布教前でしたのでね…

王家創成期にはありがちな伝説ですが、古典学者の多くは、この言い伝えを
Heimskringlaが書いた恋愛小説がもとになっていると考えているそうです。

他の王妃の詳細はわかりません。
次王エイリーク1世の母親はガイダではなく、ユトランドのエイリークという人の娘
ラグンヒルドという女性です。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー


やっちまった!! 初の遠征 to マリンメッセ福岡 SHINee WORLD 2016 D×D×D ツアー初日
嬉しいセトリとアレンジ、悲鳴ものVありの、素敵で楽しいステージでした。 これでまた3月まで頑張れる…
コメント