ヴァージニアという名をもたらした
イングランド女王 エリザベス1世
1553~1603/在位 1558~1603
“処女王”と呼ばれていましたが、未婚だからってそんな・・・
フランス大使ド・メッスによると、彼女のドレスの中には
かなりキワドい男心をそそるものがあった様子、おへそまで見えたらしいですよ。
彼女も姉のメアリ-1世同様、少女時代は不遇でした。
父ヘンリー8世は、男子を生まないエリザベスの母アン・ブリーンに怒り
姦通の罪を着せて処刑しました。
エリザベスは庶子となり、後々まで女王の正当性に言及されることになります。
エリザベス1世の恋人といわれれている男性は数名いますが
(ここからややこしくなりますよ )
中でも、父ヘンリー8世のの三人目の妻ジェイン・シーモアの兄で
最後の妻キャサリン・パーと結婚したトマス・シーモア。
姉メアリ-1世を出し抜こうとした“ジェイン・グレイ事件”の首謀者である
ウォーリック伯ジョンの息子、レスター伯ロバート・ダドリー。
その、ロバート・ダドリーの再婚相手の連れ子であった
エシックス伯ロバート・デヴリュー(32歳年下 ) あたりが有名です。
しかしなんですね、男の人は女王の寵愛を受けてるってことで、思い上がっちゃうのね
賢明なエリザベス1世は、あまりにも露骨な態度をとる恋人を退けます。
(そこがスコットランド女王メアリー・スチュアートと違うとこ!)
でも女性の人生としてそれは幸せだったのかしら?
愛する人が、私欲の無い純粋に自分を愛してくれる人なのかを見極めながら
しなきゃいけない恋愛なんて。
政治的な功績は、例によって学者の方々にお任せしますが
外ではスペインという大国を敵にまわし、中では常に不穏な動きを抱えながら
英国を繁栄に導いた彼女は、やはり名君といえるのでしょうね。
自分にもイングランド王位継承権があったメアリー・スチュアートは
エリザベス1世の女王としての不当性を声高に訴えていましたが
結局は、エリザベス1世のサインによって処刑されます。
しかしエリザベス1世が後継者に選んだのは、メアリーの息子であるジェイムズでした。
その理由は以下の系図の通り、皆ヘンリー7世の血をひいているからです。
これより王位はテューダー家からステュアート家に移り、大英帝国への布石となります。
誰か教えて!!
家系図小ちぇー ・・・ 見えないじゃん
イラストレーターで作成した家系図をPDFに変換し
さらにフォトショップでJPEGに変換しています。
どうしても小さくなってしまうんですが、何かいい方法ないでしょうか?
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』
前川貞次郎氏『絶対王政の時代』
石井美樹子氏『イギリス・ルネサンスの女たち』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
歴史上の有名な女性満載です
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イングランド女王 エリザベス1世
1553~1603/在位 1558~1603
“処女王”と呼ばれていましたが、未婚だからってそんな・・・
フランス大使ド・メッスによると、彼女のドレスの中には
かなりキワドい男心をそそるものがあった様子、おへそまで見えたらしいですよ。
彼女も姉のメアリ-1世同様、少女時代は不遇でした。
父ヘンリー8世は、男子を生まないエリザベスの母アン・ブリーンに怒り
姦通の罪を着せて処刑しました。
エリザベスは庶子となり、後々まで女王の正当性に言及されることになります。
エリザベス1世の恋人といわれれている男性は数名いますが
(ここからややこしくなりますよ )
中でも、父ヘンリー8世のの三人目の妻ジェイン・シーモアの兄で
最後の妻キャサリン・パーと結婚したトマス・シーモア。
姉メアリ-1世を出し抜こうとした“ジェイン・グレイ事件”の首謀者である
ウォーリック伯ジョンの息子、レスター伯ロバート・ダドリー。
その、ロバート・ダドリーの再婚相手の連れ子であった
エシックス伯ロバート・デヴリュー(32歳年下 ) あたりが有名です。
しかしなんですね、男の人は女王の寵愛を受けてるってことで、思い上がっちゃうのね
賢明なエリザベス1世は、あまりにも露骨な態度をとる恋人を退けます。
(そこがスコットランド女王メアリー・スチュアートと違うとこ!)
でも女性の人生としてそれは幸せだったのかしら?
愛する人が、私欲の無い純粋に自分を愛してくれる人なのかを見極めながら
しなきゃいけない恋愛なんて。
政治的な功績は、例によって学者の方々にお任せしますが
外ではスペインという大国を敵にまわし、中では常に不穏な動きを抱えながら
英国を繁栄に導いた彼女は、やはり名君といえるのでしょうね。
自分にもイングランド王位継承権があったメアリー・スチュアートは
エリザベス1世の女王としての不当性を声高に訴えていましたが
結局は、エリザベス1世のサインによって処刑されます。
しかしエリザベス1世が後継者に選んだのは、メアリーの息子であるジェイムズでした。
その理由は以下の系図の通り、皆ヘンリー7世の血をひいているからです。
これより王位はテューダー家からステュアート家に移り、大英帝国への布石となります。
誰か教えて!!
家系図小ちぇー ・・・ 見えないじゃん
イラストレーターで作成した家系図をPDFに変換し
さらにフォトショップでJPEGに変換しています。
どうしても小さくなってしまうんですが、何かいい方法ないでしょうか?
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』
前川貞次郎氏『絶対王政の時代』
石井美樹子氏『イギリス・ルネサンスの女たち』)
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でも、まりっぺさんのおっしゃる通り名君と言えるでしょうね。苦労の末に権力の座に付いたという点も日本でいう徳川家康のような感じで波乱万丈ですよね。
処女王とはいっても恋人はいたみたいですからねぇ…
経済力があったら結婚なんかしない方がどんだけ楽だか… なんて思うことは多々あります。
一生独身って、ちょっと羨ましかったりして
メアリー・スチュアートとくらべられることが多いですよね。
冷静なエリザベスとは真逆の、地位とか立場を度外視して愛に走るタイプってところが比較しやすいんでしょうね。
メアリー・スチュアート…韓流っぽいですね
エリザベス女王は、生涯独身を通したのも有名ですが、独身だったのは、幼少期のトラウマと娘時代の義母とのイザコザに合わせ、自身の婚姻で様々な外交問題や国内での内乱が起きたりするのを防ぐ為等、多分、理由は色々あったとは思われます。エリザベス女王は、理性の勝った女性だったのですね。よく比較されるメアリー・スチュアート、異母姉メアリー1世等は、かなり感情的で、“君主”と言うより“女性”だったと思います。エリザベス女王が彼女達と違って大成したのは、彼女、エリザベスが、“女性”と言うよりも“君主”としての立場を第一にしたおかげではないでしょうか?勿論、エリザベスが生来聡明だっただけではなく、エリザベスが、幼少期からの苦労によって身につけた一種の“処世術”だと思います。