まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スペイン王カルロス3世王女 マリア・ホセファ

2016-11-24 23:20:57 | スペイン王妃・王女
肩身が狭い実家で暮らし続けた王女
カルロス3世王女 マリア・ホセファ・デ・エスパーニャ


1744〜1801

フェリペ5世を一瞬継いだルイス1世と王妃ルイサ・イサベル・デ・オルレアンスには
嫡子がいませんでした。
さらに、弟フェルナンド6世とバルバラ・デ・ポルトゥガルも嫡子なしでした。

その弟カルロス3世とマリア・アメリア・デ・サホニアには、次々と王女が生まれましたが
三女までは5歳まで育ちませんでした。 マリア・ホセファは四女です。

妹のマリア・ルイサがトスカーナ大公レオポルドの妃として嫁ぐと
マリア・ホセファは、ナポリ・シチリア・スペイン三国の王女として
宮廷で最高位の女性になりました。
       
それで居心地が良くなってしまったのかしら? 結局未婚でズルズルと…

実はルイ15世王妃マリー・レクザンスカが1768年に亡くなった時
マリア・ホセファとの結婚話が持ち上がったのですが、58歳のルイ15世が
「若い彼女を怒らせることになるだろう」と拒否したそうです。
ルイ15世〜、なにをおっしゃいますやら!
翌年にはデュ・バリー夫人を愛妾にしちゃうくせに〜

1788年に父のカルロス3世が亡くなって、弟カルロス4世が即位すると
王妃マリア・ルイサが宮廷を支配するようになります。

44歳のマリア・ホセファと、37歳のマリア・ルイサは、仲が悪かったらしい。
たしかに、気が合わなそうな二人ですよね。

でも行き場が無かったのか、王女としてのプライドがそうさせたのか
マリア・ホセファは宮殿に居座り続けました。
カルメル派の修道女を援助するなどの活動はしていましたが
派手な義妹マリア・ルイサのせいで、あんまりパッとしたエピソードはありません。

弟のカルロス4世が、廃位・追放になる前の1801年に亡くなりました。
追放先にまで一緒に行くわけにもいかなかっただろうから、良かったかもしれませんね。

亡くなった後のことは自分でアレンジしていて、聖テレサ修道院に埋葬されましたが
1877年にエル・エスコリアル修道院の王廟に移されました。

               
                お若い頃でしょうか? 真面目そうですね

仲睦まじかったカルロス3世とマリア・アメリアには、六男七女のお子様が生まれていますが
王女の中で成人したのは、マリア・ホセファと、五女マリア・ルイサだけで
六女マリア・テレサと七女マリア・アナは1歳で亡くなっています。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
ファンミ行って来ましたぁ! さいたまスーパーアリーナへ!!

SHINee 5th Anniversary Party 楽しかったなぁ
でも 1 of 1 のコールはまだまだ練習しなければ!
最後にテミンが言った「明日もお仕事頑張ってください」で、今日1日頑張れた気がする…
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『現代アイルランド女性作家短編集』愛蘭女性交々

2016-11-18 21:44:08 | イギリス・アイルランドの作家
CONTEMPORARY SHORT STORIES BY IRISH WOMEN WRITERS 
E・オブライアン/M・ケリー/J・ジョンストン/J・オフェイロン/C・ボイラン
M・モリッシー/A・エンライト/E・ドナヒュー

この本を書店の棚で見つけて飛びついたところを想像していただけます?
すごく嬉しかったね!

8人の女性作家の14篇がつまっています。
とてもおもしろかったです。
しかし、アイルランドというと、どうしても『ダブリン市民』的なものを求めてしまう
私の悪いクセが…

ジェニファー・ジョンストンとアン・エンライトは『フィンバーズ・ホテル』
クレア・ボイラン、エマ・ドナヒューは『レディたちのフィンバーズ・ホテル
名を連ねていますが、どれを書いたかはわかんない… でも、想像しやすくなりました、

革命がらみのお話しは、やはり、ちょっと苦手でしたが、女性が抱える問題や不安を
いろいろな角度から読むことができて、とても楽しかったです。

ほとんどのお話しを紹介したいのですが、そうもいかないので…

『幻燈スライド(Lantern Slides)/1990年 エドナ・オブライアン』
ダブリン郊外で催されたおしゃれな集まりは、ベティの誕生日を祝うパーティだった。
コンロイ氏に誘われてやってきたミス・ロウレスは、その町の名士たちに出会う。

これはもう、『死せる人々』を彷彿とさせて、大好きでしたね! コンロイ氏だし…
上の空状態のミス・ロウレスは、コンロイの妻グレタを思い出させ、演説と喝采シーンも!
ぜったいにワザと書いてるんだろうけど、おもしろかった。

『便宜的結婚(A Marriage of Convenience)/メアリー・モリッシー』
ジュディスは、エル・キスタドールでの一人旅の五日目の朝食の時
ウェイターのバチュアスから声をかけられ、ガイドを頼み、関係を持った。
帰国の二日前、バチュアスはジュディスに、国を出るため偽装結婚してほしいと言う。

旅先で利用されちゃう? そういう女性には見えないんだけどなぁ〜
そして男性にもなにか訳がありそうで、男女の温度差の広がりが
これからどうなっていくのか気になるラスト… 続きを書いて、せめて中篇にしてほしい。

『対価(The Cost of Things/2006年 エマ・ドナヒュー』
猫のクレオパトラの年齢は、ソフィーとリズが関係を始めてからと同じで5歳になる。
生活に困りだした二人が、5周年を祝うパーティーをした翌日、クレオパトラの具合が悪くなり
何日も物を食べなくなる。

このお話しはねぇ… 身につまされる、または、身に覚えがある人が多いはず。
“ そういうこと” を聞く方と聞かせた方、どちらを不快に思うかは、読者次第でしょうね?
私は、聞いた方にイラつかされましたが…

メイヴ・ケリーが書いた2篇、クレア・ボイランの『処女-おとめ-について』なども
とてもおもしろく読めました。

作家やテーマが違っても、作品から受ける全体的な印象に大きな隔たりは無く
アイルランドの女性は… というイメージがなんとなくできあがりそうなんだけど
物語が変わると、女性像もガラッと変わって結局はできあがらなかった… という一冊でした。

どの物語も、けっしてハッピーエンドというわけでなく
むしろアンラッキーなエンディングをむかえてるんですが
全体から醸し出される雰囲気が、ものすごく心地よい短篇集だったなぁ…
古くさいわけではないんだけど、アナログ感が漂っていたような気もします。
何人かは、一冊まとめてその作者の作品を読んでみたいな… と思っています。

女性として共感できる作品がひとつは見つかるはず…
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね




ひとことK-POPコーナー
BTOB プニエル… 勇気あるなぁ… 人気絶頂の今、どんな手を使ってでも隠し通す事ができただろうに… 男らしいね!
しかも韓国… 整形同様、皮膚を移植してフッサフサに、という技術も進んでるとうかがっていましたが…
カラーチェンジを繰り返し、MVでムチャなスタイルにしたりするから、人ごとながら心配しております
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スペイン王フェリペ5世王女 マリア・アントニア

2016-11-15 20:27:12 | スペイン王妃・王女
見た目じゃないのよ夫婦ってものは
フェリペ5世王女 マリア・アントニア・デ・エスパーニャ
サルディーニャ王ヴィットリオ・アメデーオ3世妃


1729〜1785/在位 1773〜1785

マリア・アントニアは、フェリペ5世とイサベル・デ・ファルネシオの三女です。
最初にルイ15世王太子ルイと縁談が持ち上がったのはマリア・アントニアでした。

しかし、母イサベルが「幼い」と言って、結婚を先延ばしするよう主張したため
3歳年上のマリア・テレサが嫁ぐことになりました。

マリア・テレサが亡くなると、兄フェルナンド6世が「妹のマリア・アントニアは
どうかしら?」と持ちかけますが、ルイ15世が「(義理の妹との)近親相姦になるから」と
拒否します…へんなとこでカタいのよね、ルイ15世。

21歳の時に、マドリッドとトリノの協力関係を強めるために
サヴォイ公ヴィトリオ・アメデーオと結婚します。
この結婚でトリノの宮殿は改装され、オペラも作曲されるという盛り上がりぶり。
                
二人の肖像画を見るとそんなことはないと思えるのですが
夫婦は周囲から、あまりお似合いだと思われていなかったようです。
どちらかの肖像画がかなりレスポンス入っているのかしら? もしかして二人とも?

でも、お二人は終生仲睦まじかったらしいですよ。
夫婦を見た目で判断しちゃダメ!ってことね。

二人は政治的な思想も同じだったのか、近代思想家や政治家を侍らせていました。
また、敬虔なマリア・アントニアは宮廷にスペイン式作法を取り入れました。

で、肖像画+エピソードから、目立ちたいタイプかと思ったら
すごく恥ずかしがりやで、気だるそうなタイプの人だったそうです。
もしかしたら、政治家に囲まれて嬉しそうにしてたのも、夫の手前かもしれないですね。

王子のカルロ・エマヌエーレ4世はマリーア・クロティルデと結婚します。
姑と嫁はすごく仲が良かったそうです。 うらやましいことね…
マリーア・ジョゼッピーナが、後のルイ18世に
マリーア・テレサが、後のシャルル10世に嫁ぎました。

見事な政略結婚ぶりをどうぞ
     
マリア・アントニアは1785年に56歳で亡くなりました。

ヴィットリオ・アメデーオ3世は59歳で、再婚も考えられる年齢でしたが
男やもめのまま11年を過ごし亡くなりました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことフェスコーナー
ジミー・ペイジが演奏しなかったってことで、逆にもりあがっちゃってる感がある
THE CLASSIC ROCK AWARDS 2016 + LIVEですが、豪華な顔ぶれでしたよね?
まぁ、ジミー・ペイジのソロ見たさに30万のチケットを買った方の気持ちはわからないでもないですけど…
主催者側の「出演者たちの年齢を考慮し…」ってところにビミョウにウケてしまった
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スペイン王フェリペ5世王女 マリア・テレサ

2016-11-11 16:04:21 | スペイン王妃・王女
ポンパドール夫人のキューピッドになっちゃった王女
フェリペ5世王女 マリア・テレサ・デ・ボルボン
フランス王太子ルイ妃


1726〜1746

ここからしばらく王妃が続きます。

フェリペ3世とマルガリータ・デ・アウストリアの長女アナはフランス王ルイ13世妃に、
次女は死産、三女マリア・アナは神聖ローマ皇帝フェルディナント3世皇后に、
四女は1歳で亡くなります。

フェリペ4世とイサベル・デ・ボルボーンには6人の王女がいましたが
長女から五女までは死産か幼くして夭逝、六女マリア・テレサがフランス王ルイ14世妃です。
二人目の妃マリアナ・デ・アウストリアとの間に生まれた七女マルガリータ・テレサ
神聖ローマ皇帝レオポルト1世皇后になります。八女は生まれて1週間で亡くなりました。

カルロス2世と二人の王妃マリア・ルイサ・デ・オルレアンス
マリアナ・デ・ネオブルゴには、お子様がいませんでした。

王家はブルボン家に移ります。
フェリペ5世と最初の妃マリア・ルイサ・デ・サヴォイアには、四人の王子がいました。
二人目の妃イサベル・デ・ファルネシオには三男三女で、長女マリアナ・ヴィクトリア
ポルトガル王ジョゼ1世妃になります。

ふぅぅ…長かったですね、いよいよマリア・テレサですよぉ

フランスが、ルイ15世と長女マリアナ・ヴィクトリアとの婚約を一方的に破棄したので
スペインはお怒り… だったのですが、やっぱりブルボン家どうしで結託しとかないとね!

というわけで、次女マリア・テレサが、ルイ15世の王太子ルイに嫁ぐことになりました。
同時に兄パルマ公フィリッポ1世とルイーザ・エリザベッタの縁談もまとまり
1444年、二組は同じ日に結婚しました。
         
ところが! スペインは、12歳のルイーザを連れ帰っておきながら
マリア・テレサは、母イサベルが「幼い」と主張しまして渡仏が延期されました。
ルイーザの方が1歳年下だと思うんだけど…

1年後、マリア・テレサはヴェルサイユに到着しました。
ルイ15世は、その3日後、新婚夫婦のために舞踏会を催します。
でーもー、それは口実で、本当はポンパドゥール夫人を招きたかったらしい…

マリア・テレサは、美しくて気品があり、敬虔で高い教育を授けられた、The王女でした。
また(母親のイサベルに似なかったのか)性格が良かったらしく
ルイ15世や王妃マリー・レクザンスカにもすぐに気に入られました。

夫ルイとはすぐに愛し合うようになり、できるだけ一緒にいたそうです。

だけどすごく恥ずかしがりやで、宮廷の中では孤立感を募らせていきました。
それから、信心深いだけに、義父とポンパドゥール夫人の関係が許せず
露骨に態度に表したそうです。
自分の結婚パーティーが縁結びなんて、気分悪いですよね。

マリア・テレサは、結婚から2年、ヴェルサイユに到着してから1年後の1466年
女の子を出産した時に亡くなります。
王太子ルイの悲しみはすごかったらしく、ルイ15世が自ら息子をベッドから
引き離さなければならなかったほどでした。
あと1年早くヴェルサイユに来ていたら、2年間一緒にいれたかもしれないのにね。

マリア・テレサの兄にあたるスペイン王フェルナンド6世は、すぐに
妹のマリア・アントニアとの縁談をもちかけますが、ルイ15世は断りました。
王太子ルイは、ポーランド王アウグスト2世の王女マリー・ジョゼフィーヌと再婚して
この方が、ルイ16世、ルイ18世、シャルル10世のお母さまになります。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとこと大統領コーナー
よその国のことなのでね、なんだかんだと言えませんが、あの大国の選択が、まさかっ!! って感じでした
奥さんがサミットとかで他のファーストレディと仲良くできるのか気になる〜
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『脂肪の塊/ロンドリ姉妹 モーパッサン傑作選』巻末で驚いた!

2016-11-08 19:41:49 | フランスの作家
BOULE DE SUIF / LES SOEURS RONDOLI 
ギィ・ド・モーパッサン

10篇中8篇は『モーパッサン全集2』で読んでたらしいんだが
『脂肪の塊』以外は覚えてなかったという…

『脂肪の塊』は、何度読んでも良い!! 本当に名作ですね。
フローベールが「後世に残る」と絶賛したと巻末に書いてありました。
さすが、モーパッサンが師と仰いだ方だけあります。

なんだけど、読み返してみて『脂肪の塊』以外はあんまりピンとこず…
もっといい作品もたくさんあると思うんですけど… 傑作選でしょおぉぉ?

印象に残ったお話しをいくつかあげてみます。

『ローズ(Rose)/1884年』
二人の若い婦人のうち「恋愛抜きの人生など考えられない」と言った婦人が語る。
四年前、英国で十年働いていたローズという娘を雇い入れた。
彼女は裁縫も髪結いもドレスの着付けも完璧で、まさに掘り出し物だった。

ちょーっとタネあかしすると、ある事からローズが男だったってことがバレるのね。
今と違っていろいろな技術が発達していない19世紀に、隠し通せるものかしら?
これがどうして恋愛と関係あるかっていうのはヒミツ…

『ロンドリ姉妹(Les Soeurs Rondori)/1884年』
1874年6月、どうしてもイタリア各地を旅行したくなり、友人を誘って出かけた。
しかし、列車の中で出会ったフランチェスカという女性から離れられなくなり
結局3週間ジェノヴァにとどまった。

こういっちゃなんだが、もう少し奥深い話しかと思って読んでたんだけどな。
最初はモームの『クリスマスの休暇』をちょっと思い出したんだけど
かなりベクトルが違ってました。 これ、笑い話なんでしょうね?

『持参金(La Dot)/1884年』
町をあげての結婚式を挙げたシモン・ルブリュマンとジャンヌ・コルディエ。
ジャンヌには約3億円の持参金があった。
甘い1週間を過ごした後、二人はパリへ小旅行に出かけた。

読み始めて早々に、物語の展開は2パターンのうちのどちらかだな… とわかりますよ。
で、すぐにどちらかに絞り込めます。
でも、わかりきっているのに、最後まで面白く読めます。

巻末に年表がついてるんですよね。
書かれた年代とか、ゾラやフローベールとの関わりが知りたくてざっと読んでみた、ら
びっくりしたぁ! 42歳で亡くなってるんですよ、モーパッサン。
こんなに作品があるのに… ものすごい書きっぷりですよね。

自殺未遂をおこして、精神病院に入れられ、そこで亡くなっています。
作品からは、そういうタイプには思えなかったんですけど。
これまでモーパッサンを、勝手に、パリ郊外のこじんまりした屋敷で執筆してるような
長閑な作家だとばかり思って読んできたわけですが、大間違いみたいです。
詳しくは調べないけどね。

『脂肪の塊』だけでも一読の価値あり!
読んでみたいな! という方は下の画像をクリックしてね





ひとことK-POPコーナー



すごくすごく楽しかったけど、1曲目から泣いちゃったでしょー!! MY HEAVENとは…
きっと5人で、再び東京ドームの舞台に立つって言ってくれて、またまた涙 きっと行くからね! 足腰鍛えとく!!
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