![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/4e/20600a7e299092d9256da8075f6c7621.jpg)
狂気を生む嫉妬深さ
スペイン(カスティーリャ)女王 ファナ・ラ・ローカ
1479~1555/在位 1504~1555
“ ラ・ローカ ” とは “ 狂女 ” という意味です。
彼女の精神錯乱は嫉妬のためだとされていますが
実は祖母イサベルにも精神疾患があって、その血を引いてしまったようです。
無理もない…ハタからみていても心配になるほど血族結婚が多いんだもの。
ファナとハプスブルク家のブルゴーニュ公フィリップとの縁談は
スペイン、ハプスブルク帝国ともにフランスと敵対していたからで
両側からはさんでしまおうという目論見からまとまりました。
同時にファナの兄ファンと、フィリップの妹マルグリートの結婚も決まります。
(マルグリートは、ルイ8世と婚約してフランスで育てられていたのに
ブルターニュ公女アンヌと結婚するために国に帰されてしまった王女です)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/1f/81c660fbb64cec33d619bdb995258b42.jpg)
ファナ17歳、フィリップ18歳で結婚しましたが、美男美女と評判で
屈指の大国の跡取であるふたりの前途は明るいものに思われていました。
ファナが危険な船旅を終えてフランドルに到着した時、フィリップが不在で
800kmもロバで移動したなどのつまずきはあったものの、初めて顔を合わせたふたりは
(少なくともファナは…)ひと目で相手に夢中になります。
数ヶ月間はラヴラヴ
で睦まじく暮らしていたのですが
“ 美公 ” と言われるほどハンサムで、話術も得意、身のこなしも優雅という
モテモテのフィリップは浮気心がムクムクと湧いてきます。
フィリップにしてみれば貴公子の嗜み程度の感覚だったでしょうが
敬虔なクリスチャンであるイサベル1世に、宗教的に厳しく育てられたファナは
フィリップに身も心も捧げきっていて、浮気が許せませんでした。
嫉妬に誘発されたのか、この頃からファナの奇行が目立ち始めました。
フィリップと怪しいとにらんだ侍女を丸坊主にしたり、衣装箱に閉じ込めたり
遂にはハサミを脚に突き立てるという凶行に及んで、フィリップをうんざりさせます。
そうさなぁ…ちょっとしたヤキモチは可愛いけど、あまりにも嫉妬深いと
相手をひかせてしまうかもね…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp29.gif)
1497年にたったひとりの王子だった兄ファンが、1498年に姉イサベルが相次いで
亡くなったため、後継者になったファナはスペインに帰国します。
この時一緒にやって来たフィリップは、スペインが気に入らなかったのか
手続きが終わるとさっさとフランドルに帰ってしまいます。
身ごもっていたファナはスペインに残されましたが、自分もフランドルへ帰ると言って
城門に体当たりしたり、城の庭で夜を過ごしたりしてイサベル1世を悲しませました。
1504年、イサベル1世が亡くなりファナが女王に即位すると、ゴリ押しでフィリップも
共治王フェリペ1世として即位しましたが、王のフランドル優遇の政治は評判が悪く
ファナの父フェルナンド2世は行く末を危惧していました。
しかしわずか2年後の1506年、フェリペ1世は水を飲んだ後急死しました。
ファナの狂気には拍車がかかり、夫の埋葬を拒んだばかりか防腐処理をした遺体が入った
柩を持って国中を彷徨うという哀れな姿を晒すことになります。
フェルナンド2世は、とうとう1508年にファナをトルデリシャスの城に幽閉しました。
ファナは侍女が毒で殺そうとしていると思い込んで食事も飲み物も拒み
眠ることも着替えることも嫌がったそうです。
窓のない城の部屋でひたすら座り込んでいる毎日でした。
ファナは名ばかりの女王で、1516年まではフェルナンド2世が摂政として、
1516年からは息子カルロス1世が共治王として国を治めましたが
退位だけは受け入れなかったそうです。
ファナのからだの中には、神経を蝕むことになった一族の血とともに
王の娘であるという誇り高い血が流れていたのですね。
ファナの精神状態は悪化の一途をたどり幽閉が解かれることはありませんでしたが
45年以上生きながらえ、75歳で女王のままこの世を去りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/e9/cebb6b2fce488f189b9544f99ba8bd58.jpg)
彷徨うファナです
まわりの方々もお疲れの様子…
(参考文献 ホセ・ルイス・オライソラ『女王ファナ』
三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』 桐生操氏『世界悪女大全』
Wikipedia英語版)
スペイン(カスティーリャ)女王 ファナ・ラ・ローカ
1479~1555/在位 1504~1555
“ ラ・ローカ ” とは “ 狂女 ” という意味です。
彼女の精神錯乱は嫉妬のためだとされていますが
実は祖母イサベルにも精神疾患があって、その血を引いてしまったようです。
無理もない…ハタからみていても心配になるほど血族結婚が多いんだもの。
ファナとハプスブルク家のブルゴーニュ公フィリップとの縁談は
スペイン、ハプスブルク帝国ともにフランスと敵対していたからで
両側からはさんでしまおうという目論見からまとまりました。
同時にファナの兄ファンと、フィリップの妹マルグリートの結婚も決まります。
(マルグリートは、ルイ8世と婚約してフランスで育てられていたのに
ブルターニュ公女アンヌと結婚するために国に帰されてしまった王女です)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/1f/81c660fbb64cec33d619bdb995258b42.jpg)
ファナ17歳、フィリップ18歳で結婚しましたが、美男美女と評判で
屈指の大国の跡取であるふたりの前途は明るいものに思われていました。
ファナが危険な船旅を終えてフランドルに到着した時、フィリップが不在で
800kmもロバで移動したなどのつまずきはあったものの、初めて顔を合わせたふたりは
(少なくともファナは…)ひと目で相手に夢中になります。
数ヶ月間はラヴラヴ
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“ 美公 ” と言われるほどハンサムで、話術も得意、身のこなしも優雅という
モテモテのフィリップは浮気心がムクムクと湧いてきます。
フィリップにしてみれば貴公子の嗜み程度の感覚だったでしょうが
敬虔なクリスチャンであるイサベル1世に、宗教的に厳しく育てられたファナは
フィリップに身も心も捧げきっていて、浮気が許せませんでした。
嫉妬に誘発されたのか、この頃からファナの奇行が目立ち始めました。
フィリップと怪しいとにらんだ侍女を丸坊主にしたり、衣装箱に閉じ込めたり
遂にはハサミを脚に突き立てるという凶行に及んで、フィリップをうんざりさせます。
そうさなぁ…ちょっとしたヤキモチは可愛いけど、あまりにも嫉妬深いと
相手をひかせてしまうかもね…
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1497年にたったひとりの王子だった兄ファンが、1498年に姉イサベルが相次いで
亡くなったため、後継者になったファナはスペインに帰国します。
この時一緒にやって来たフィリップは、スペインが気に入らなかったのか
手続きが終わるとさっさとフランドルに帰ってしまいます。
身ごもっていたファナはスペインに残されましたが、自分もフランドルへ帰ると言って
城門に体当たりしたり、城の庭で夜を過ごしたりしてイサベル1世を悲しませました。
1504年、イサベル1世が亡くなりファナが女王に即位すると、ゴリ押しでフィリップも
共治王フェリペ1世として即位しましたが、王のフランドル優遇の政治は評判が悪く
ファナの父フェルナンド2世は行く末を危惧していました。
しかしわずか2年後の1506年、フェリペ1世は水を飲んだ後急死しました。
ファナの狂気には拍車がかかり、夫の埋葬を拒んだばかりか防腐処理をした遺体が入った
柩を持って国中を彷徨うという哀れな姿を晒すことになります。
フェルナンド2世は、とうとう1508年にファナをトルデリシャスの城に幽閉しました。
ファナは侍女が毒で殺そうとしていると思い込んで食事も飲み物も拒み
眠ることも着替えることも嫌がったそうです。
窓のない城の部屋でひたすら座り込んでいる毎日でした。
ファナは名ばかりの女王で、1516年まではフェルナンド2世が摂政として、
1516年からは息子カルロス1世が共治王として国を治めましたが
退位だけは受け入れなかったそうです。
ファナのからだの中には、神経を蝕むことになった一族の血とともに
王の娘であるという誇り高い血が流れていたのですね。
ファナの精神状態は悪化の一途をたどり幽閉が解かれることはありませんでしたが
45年以上生きながらえ、75歳で女王のままこの世を去りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/e9/cebb6b2fce488f189b9544f99ba8bd58.jpg)
彷徨うファナです
まわりの方々もお疲れの様子…
(参考文献 ホセ・ルイス・オライソラ『女王ファナ』
三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』 桐生操氏『世界悪女大全』
Wikipedia英語版)
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この記事の参考文献のホセ・ルイス・オライソラの『女王ファナ』は映画化されているようですが、ご覧になったことはありますか?
中世時代の精神の病や不義密通、その他の悪評はどこまで信じていいかは甚だ疑わしいですよね。
歪曲されて伝えられている歴史上の人物はかなりいると思います。
ファナの場合、もし病が本当だったとしても、夫の浮気だけが原因ではなく、遺伝の確立が大きそうですし…
映画は見てないです。
私は、原作を読んで腹一杯…ということがよく有りまして…
フアナは、スペイン黄金期の王・フェリペ2世の祖母にして、スペイン国王にして、神聖ローマ皇帝カール5世の母!さらには、カトリック両王を父母に、イングランド王妃・キャサリンの実姉‼という高貴な血筋‼
ですが、フアナが有名なのは、その血筋、身分ではなく、その狂気さゆえですよね…
フアナの少女時代は、互いに夫、妻一筋な仲良い両親のもとで信仰心厚い少女に育ち、読書が好きで物静かな性格であったとされていますね。 ただ、妹御カタリナ、後のキャサリンと違い、政治の勉強が好きではなく、両親をガッカリさせていたらしいですね。
美男子で洗練された夫と結婚し、暫くは幸せだったみたいですが…夫が、”貴公子の嗜み“と称して、浮気を…フアナは怒り狂い、浮気相手の髪を切り刻んだり、足を鋏で刺したりしていたらしいですね(汗)。
この夫は俗に言う、酷い“だめんず”だったみたいですね… スペインに滞在中、こんな黴臭い所は嫌だ、帰りたい、と言って、妊娠中の妻をおいてけぼりにして発狂させたり、“フアナが、女王になったのだから、オレ、王様、敬え”と言ったり、義両親と敵対するフランスと仲良くして、王位簒奪を狙ったり(濡れ衣の噂あり)ろくでなし‼ 一方のフアナは、発狂中は、手に負えないが、正気な時は、なかなか聡明であったらしく、夫婦が船で帰国した時、大嵐で、難破しそうになった時、水夫達は、”お楽しみ“として連れ込んでいた娼婦達を“不浄な物”として嵐を静めるために海に捨てようとしていた時、フアナは、“惨いことは、止めなさい!彼女達を不浄と申すのならば、彼女達を玩んだお前達も、我が夫も、不浄‼お止めなさい‼”と叱りつけたともされているそうですが…
彼女の狂気は、血筋のせいもありますが、それだけでなく、度重なる妊娠、出産による、所謂、マタニティブルー、そして、愛したら夫の所業なのは、確かかと…