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イングランド女王 アン

2008-11-14 01:42:00 | イングランド王妃・王女
地味ではあるけれど・・・
イングランド女王 アン


1665~1714/在位 1702~1714

共同君臨のメアリー2世はおいといて、エリザベス1世ヴィクトリア女王
あいだに挟まれ、なんとも地味な存在の女王でありますが
イングランドとスコットランドが完全に連合国家になり
イギリスという国が誕生するという、まさにその時君主だったのがアン王女です。

アンは義兄ウィリアム3世が定めた王位継承制度
“ステュアート王家の血を引くプロてスタント”という条件に
あてはまっていたため女王になりました。

彼女は18人の子供を産んでいます 、が、半分以上が死産で
ほとんどが5歳以下で死亡し、頼みの綱の皇太子も10歳にならずに死亡してしまいます。
このことが彼女のアルコール中毒の原因とも言われていますが
ともあれ、ひとりでも生き延びていればその後の王位の継承は
大きく変わっていたかもしれません。

アンには同性愛と間違われるほど寵愛したセアラ・ジェニングスという女官がいました
父ジェイムズ2世の愛人の弟ジョン・チャーチルの妻です。

      

子供の頃からセアラが好きだったアンは、女王になると破格の待遇を彼女に与えます
夫ジョンへの爵位や年金はいいとしても、成田空港の6倍の宮殿を与えるってどうよ?

女王に限らず、王侯貴族の人々は気に入った人を偏愛する傾向があったみたいです。
やっぱり限られた人の中で暮らし、本心が分からない人々に取り囲まれてるっていう環境が
彼等をそうさせるんでしょうか?

膨大な数の人たちに取り囲まれていながら、ある意味乏しく、寂しい人間関係ですよね。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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1 コメント

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“ブランディーナン”と呼ばれた哀しき女王 (メリエンダ)
2018-10-24 09:54:42
アン女王は、『スチュアート朝最後の王、女王で彼女に子供が無かった為、スチュアート朝は途絶え、ドイツ系のハノーヴァー朝がイギリス王になった。』と歴史の教科書にありまして、私は最初、このアン女王はエリザベス1世みたいに生涯独身であったか、子供ができなかったんだな、とチラッと思っただけで、著者様同様、エリザベス女王やヴィクトリア女王に比べたら、存在感がないなぁ‥というのが第一印象でした。数年経って、図書館の書籍等で、彼女、アン女王の項を読んでみると、アン女王は、子供を18人(想像妊娠もあったらしいですが‥)も産みながら、その殆どが死産だったり、幼くして亡くなったりして世継ぎを遺せなかった‥とあり、子供を亡くした哀しみを束の間でも忘れようとして酒、ブランデーに溺れ、娘時代の細っりとした体型が信じられない程に太り、死後、女王を納める棺が体型のために真四角となっていた、と書かれていました‥
歴史の授業、教科書には当然、こういった女王の哀しみを書くことなく、ただただ“女王に子供が無かった為に、スチュアート朝は途絶えた”としか書いておらず、簡単にそう書いてあるのはあまりにも‥‥私が女だから、こうも感傷的になってしまうのでしょうか?
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