まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スペイン女王イサベル2世王女 エウラリア

2017-01-29 19:07:22 | スペイン王妃・王女
王を怖れさせた暴露本?
イサベル2世王女 エウラリア・デ・ボルボン
ガリエラ公アントニオ妃


1864〜1958

エウラリアは、イサベル2世の三男六女の末っ子です。
末っ子らしくのびのび育ったみたいなエピソード満載です。
教育は姉たち同様、亡命先のパリで受けました。

スペインへ帰国して9年後、22歳の時に従弟のアントニオと結婚しました。
結婚式は兄のアルフォンソ12世の崩御で数ヶ月延期されました。
     
結婚から2年後、二人目のお子様が誕生すると、エウラリアは夫と別居します。
スペインとパリの屋敷は維持していましたが、イギリスが好きだったようで
しばしばイギリスに滞在していました。

1893年、シカゴ万博を訪れ、ホワイトハウスでクリーブランドとも会っています。
アメリカに行く前にプエルトリコやキューバを訪れています。
後には、カルロス3世の子孫でありながら、Daughters of the American Revolutionの
メンバーとして認められました。

エウラリアは、作家として活動していましたが、主な作品は王室の暴露本。
1912年にペンネームで書かれ英訳もされた『The Thread Life』は
甥のアルフォンソ13世が「私が読んで許可するまで出版を見合わせてほしい」と
電報を打ったにもかかわらず、これを拒否して出版します。

家族と親戚たちとは連絡を取り合い、親交はあったようなのですが
貴族のサロンはザワついていたようです。
「これ自分かも…」と思った人もいたでしょうし、一般市民に知られたくない風習や
過去におこった貴族のおバカ丸出しエピソードなんか本にされちゃあね…
実際は、王女である彼女の教育や自立、階級や信教について書いてあったみたいです。

また、世界の政治情勢についても語っていて、とりわけ、
フランスとドイツには和平なんてありえない! という確信を示していました。
なぜかしら? フランク王国の取り合いに始まり、普仏戦争があり、第一次大戦があって
ずーーっと戦ってる印象があったかしらね。
たしかに第二次大戦でも敵になっちゃいましたが…

また、しばしばイタリアのムッソリーニについても言及しています。
甥のアルフォンソ13世は、イタリアのヴィットリオ・エマヌエーレ3世に倣って
ファシスト政権を樹立させ、国内の混乱を乗り切ろうとしていました。

彼女の著書には、しばしば当時のファシスト体制からの引用があったということで
ファシズム反対派ではなかったということなんでしょうかね?
甥がスペインで創った独裁体制を指示していたということかしら?

1958年に、スペインのフランス国境に近いイルンで、心臓発作で亡くなりました。

今なら、評論家やコメンテーターとして重宝しそうな女性ですね。
でも、現代においても王族にはちょいと困ったタイプかも… 正直すぎてね。

ちなみに、エウラリアの次男ルイス・フェルナンドは、麻薬がらみで王位継承権を
剥奪されたことをはじめ、けっこうワイルドな人生を送ってます。
お兄ちゃんのアルフォンソは真面目そうなんですけどね。

              
                辛口コメントをしそうな感じ?

(参考文献 ピエール・ミケル『ヨーロッパ最後の王たち』 Wikipedia英語版)

ヨーロッパ各王国の終焉を描いた一冊
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね



ひとことK-POPコーナー
いよいよ SHINee WORLD 2017 ~FIVE~ が始まりましたね! ジョンヒョンの足は大丈夫だったのでしょうか?
レポではほとんど椅子に座っていたということでしたが、一番悔しい思いをしているのはジョンよね…
それでも欠席せずに日本まで来てくれて、歌声を聴かせてくれてありがとう〜! でも無理しないでちゃんと治してね
これからのツアー、楽しみにしてます!!


コメント (2)
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『人形 デュ・モーリア傑作集』嬉しい予感…

2017-01-24 19:44:01 | イギリス・アイルランドの作家
THE DOLL AND OTHER STORIES 
ダフネ・デュ・モーリア

『いま見てはいけない』と同じような装丁ですね!
創元社はデュ・モーリアをシリーズ化してくださるのかしら? 楽しみ〜

こちらの一冊におさめられている14篇は、初期の作品だそうです。
表題の『人形』をはじめ、『東風』『飼い猫』『幸福の谷』の4篇に
後年の『鳥』『レベッカ』『レイチェル』を連想させる背筋ヒンヤリ感が漂っていますが
女ごころや恋愛トラブル、社会風刺などをテーマにした女性らしい作品が多く
コミカルともいえるストーリーもありました。
いろいろな作家の影響も見え隠れ… まだまだ作風を模索中だったのでしょうか?

ヒッチコック映画の原作者という先入観が強くて、オカルトとかミステリー方面の
作家だとばかり思っていたのですが、そうでない作品も多いかもしれないですね。
創元社さま、待っています。

ではでは、今までのデュ・モーリアのイメージと違う作品をいくつか紹介しますね。

『いざ、父なる神に(And Now to God the Father)』
上流の人々が大挙してやってくる、ロンドンの聖スウィジン教会の
ハンサムで人気者のホラウェイ牧師は、ある晩、若きクランリー卿の訪問を受けた。
彼は地方で知り合った娘を妊娠させてしまい、結婚を持ち出されて困っているという。

ものすごーーーいスノッブ牧師が、うまーく世渡りする様子が描かれています。
聖職者なのにね… こういう人、いっぱいいたんだろうなぁ
この牧師さんは、別のお話しで、貧しい者の味方の副牧師と争うことになります。
さてホラウェイ牧師の未来は?

『メイジー(Mazie)』
メイジーは体調が悪かったが、その日も仕事のために街に出た。
しかし、一日中歩き回ったが相手は見つからない。
夕方、メイジーは堤防から川を見ながら、平底船に乗って漂って行く自分を想像した。

特別なことがあったようで平凡な、場末の娼婦の一日が描かれています。
シーンごとにいろいろなメイジーに出会えます。
メイジーのお話しはもう一篇あって、おバカだが憎めないタイプに思えてきます。

『そして手紙は冷たくなった(And His Letter Grew Colder)』
3年ぶりに帰国したX・Y・Zから、彼の友人の妹ミセス・Bへの手紙。
訪問のお伺いからはじまり、招待のお礼、返礼の招待… 毎日のように届く。

題名のとおりです! どんなに熱烈なアプローチを受けても信じちゃダメっすね!
内容はみえみえでしたが、文面にありありと男性の気持ちが見えて面白く読めました。

『笠貝(The Limpet)』
他人のことばかりを気づかうあまりに、不幸になってしまったと嘆く女性の独白。
まずは両親、スターのヴァーノン・マイルズ、離婚した夫ケネス、政治家チチェスター卿…
皆に良かれと思って精一杯やったあげく取り残され、四十代を迎えようとしている。

そりゃあ、取り残されるでしょうね… でもすごい世渡り上手よ! この人。
戦略的だし、口も上手いんだと思うわ。 いい営業になれるんじゃないかしら?
野心満々の男性にはいいかもしれませんがおススメはしません。

いろいろなテーマに挑戦していて、若い作家の手探り感と探究心が垣間見えます。
でもさすが! やはり面白かったです。
『東風』の出だしなんか、何かが起こりそうでゾクゾクしました。

こういうデュ・モーリア作品をもっともっと読んでみたいです。
創元社さま… しつこいね

恐いのが苦手な方もこれなら安心
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね



ひとこと大統領コーナー
遠い日本にいるわたしが見てても不安なんですけど…
嫌われ者でも無名よりはまし… っていうお考えなのでしょうか?


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スペイン女王イサベル2世王女 マリア・デ・ラ・パズ

2017-01-19 21:43:14 | スペイン王妃・王女
相思相愛の夫を得た王女
イサベル2世王女 マリア・デ・ラ・パズ・デ・ボルボン
バイエルン王子ルートヴィヒ・フェルディナント妃


1862〜1946

前回よりさらに長いです… 最後まで読んでいただけるとよいのですが…

イサベル2世には三男六女のお子様がいましたが
長男、次女、三女、三男は幼くして亡くなっています。
四女マリア・ピラールは18歳で急死しました。

マリア・パズは五女です、が、父親はカディス公ではなく、イサベル2世の秘書をしていた
政治家で外交官のミゲール・デ・カスティラだと言われています。
カスティラは老後、マリアの屋敷の一部を与えられ、亡くなるまでの26年間を過ごしました。
やはり他人ではなさそうですね。

マリア・パズは、イサベル2世の娘たちの中で一番母親似で、地味な顔立ちでした。
強い個性は無く、気さくで親切、ロマンティックで芸術的。
スペインの歴史と詩を書くのが大好きで、絵も上手でした。
またオペラや舞台の鑑賞が好きで、自らハープの演奏もしていました。

18歳の時、従兄のバイエルン王子ルートヴィヒとの縁談がもちあがります。
        
ルートヴィヒの母親は、イサベル2世の従姉妹にあたるアマーリエで
息子とマリア・パズの結婚を望んでいました。
アマーリエは人柄を重視したそうですが、ルートヴィヒは、マリア・パズの
ポートレイトを見て決めたそうです。 どれかしら? これかしら?
               
さぁ! ここからはルートヴィヒのプロポーズ大作戦をお送りします。

マリア・パズの兄アルフォンソ12世は、ミュンヘンでしばらくルートヴィヒと
学友だった時期があり、お友だちってことで彼を招待します。
マリア・パズは、ルートヴィヒがやって来た日のことを日記には記していますが
あまり魅力は感じなかったようで、結婚はイヤだなぁ…と思ったようです。

マリア・パズはルートヴィヒのプロポーズを断ります。
しかし、ルートヴィヒはあきらめるもんか! 受け入れてくれるまで待ちますとも!!

2年後、マリア・パズはまだ未婚でした。
1833年、ルートヴィヒは再びスペインを訪れ、二人で庭園を散歩中プロポーズ。
マリア・パズも今回は結婚をOKしました。

一度はフッた相手ですが、マリア・パズにとって、この結婚は大正解だったと言えましょう。

二人は結婚後、ミュンヘン郊外のニンフェンブルクに落ち着きました。
ルートヴィヒはものすごい音楽家で、オーケストラでヴァイオリンも弾いていました。
ミュンヘン大で薬学を学んでいました。
軍隊ではハイランクでしたが、政治的策謀は嫌いで、宮廷生活は避けていました。
マリア・パズも芸術家気質だし、演奏もするし、すごく気が合いそうね。

夫婦はニンフェンブルク宮殿での静かな暮らしを愛していました。
スペインから芸術家を呼び寄せて、彼らのパトロンもしていました。
長女ピラールは画家になっているのですが、両親の趣味の良さと
多くの芸術家に囲まれた暮らしが影響していたかもしれませんね。

また、多くの時間をチャリティーに費やし、貧しい子供たちの保護施設を拡大
1913年にはミュンヘンに学校を設立しています。

実家との交流は続いていて、姉のイサベルや義姉マリア・クリステュネとの文通で
スペインの様子を聞いていました。
長男フェルディナントは、アルフォンソ12世王女マリア・テレサと結婚しました。
第一次世界大戦後、一家の富は一気に落ちぶれましたが
度々王族としてスペインに招かれ宮廷で過ごしました。
束の間、日々のやりくりの苦労が忘れられて幸せだったかもしれませんね。

しかし、追い打ちをかけるように、甥のアルフォンソ13世が廃位され
マリア・パズの権利によるスペインからの収入が途絶えます。
さらにさらに、ヒトラーの台頭で暮らしは切迫していきます。

バイエルン王家の主派と違って、ルートヴィヒが属するアルベルティン家は
ナチに対して反抗的ではなく、夫婦の息子と二人の孫もドイツ軍に従軍していました。
それでも、ナチは王家締めつけの手は緩めず、家宅捜査され、手紙類も開封されました。

1945年、やっと終戦か… と思ったら、アメリカ軍がやってきて
一家が暮らす邸宅も襲われました。
困窮中も守ってきた、母イサベル2世の形見の宝石も奪われてしましました。

終戦後は、反戦派の市民や連合国側から見れば、ヒトラーの登場を招いた貴族社会、
ナチに加担した王族ってことになって、たたかれる対象になっていたかもしれないです。

一年後、マリア・パズは階段から落ちて、数時間後に亡くなりました。
84歳でした。 夫ルートヴィヒはその3年後に亡くなりました。

“ パズ ” というのは “ 平和 ” という意味だそうです。
平和への願いが込められた名を持ち、家族との平和で静かな生活を望んでいた女性の晩年が
戦争によって、踏みにじられてしまったかと思うと哀しいですね。
             
(Wikipedia英語版)

ひとことゆるキャラコーナー
みなさまはとっくにご存知だったのでしょうけど、ニャンゴ・スター! かわいいね!!
しゃべらないで口もとに手をあてる仕草もCute〜 「おいおい」しゃべるかも…ということですが、このままでいてほしい


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『猫語の教科書』うちの子は違う! と誰もが思うはず

2017-01-17 19:36:43 | アメリカの作家
THE SILENT MIAOW 
1964年 ポール・ギャリコ

この本はかなり前から持ってて、『ジェニィ』を読んだ時に、読まねば!と思ったのに
忘れてました… で、読んでみたけどさぁ…

ギャリコ氏は24匹も猫を飼っていた猫好きということで、けっして悪意があるわけでは
ないんだろうけど、猫嫌いが「だからキライなんだよ!」って言いそうな気がする。

ある編集者の家の玄関に置かれていた、意味不明な原稿。
編集者の友人で暗号解読が得意なライターである書き手が訳したところ
どうやら猫の手によってタイプされたもののようです。

内容は、どうやって人間の家に入り込み、のっとり、人間を教育するかってことを
若い猫に説いたものでした。

これがさぁ…
猫のかわいいしぐさがオンパレードで書かれてるんだけど、なにもかもに意味というか
作戦・目論みがあるのか…と思うと哀しくなっちゃうよぉ

たとえば、原題の『THE SILENT MIAOW』ですけど、これは、声を出さずに
“ ニャーオ ” と鳴く仕草で、著者(雌猫)は、これを、おねだりする時の
最大の武器・最終兵器と位置づけてます。

ベッドの上で寝たい時、座り心地の良い椅子を自分のものにしたい時、
高級そうなおかずをわけてもらいたい時、旅行に連れてってほしい時、
誰に、どんな手順で、どんな仕草でうったえれば成功するかを詳しく解説!
まずは一家の長である夫(父親)を落とせ! ということらしいです。

ミステリアス・気まぐれ・マイペースという猫らしさを維持しつつ、時と場合に合わせて
甘えたり服従したりして、捨て猫にならないように生きる術もレクチャーしています。
まさに教科書なんでしょうね?

でもイヤだーーー!
猫は何もしなくても可愛いんだもん!! 自分勝手でいいんだもん!!!
飼い主を “ 教育 ” してるつもりでやられちゃたまりませんよぉ…

たぶん、自分ちの猫の可愛さに「やられちゃったなぁ…」と、嬉しさ半分、反省半分の
ギャリコ氏が、いたずら心で書いたんだと思うんですけど
したたかさとかズル賢さが目立っちゃってる気がします。

奇しくも、さきほど高橋 克実さまが出ている午後のニュースショーを見ていたら
“ 夫と妻に叱られた時の表情があまりにも違う猫 ” のことやってまして
専門家によると、雌猫は基本的にどんな雄にも(人間でも犬でも)可愛がられたいらしい…
克実さまに「このメス猫!っていうのは、あながち間違いじゃないんですね?」とか
言われちゃってんじゃないよ〜!!

でも、それが本当だとしても、人間を癒してあげようという気持ちがある、
飼い主に愛を感じている… と著者(雌猫)が書いてくれてるだけで嬉しいです、わたしは!

それでもネコが好き!というみなさま
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

 

ひとことドラマコーナー
『下克上受験』に要潤さまと小林薫さまが出る!ってことで見ようと思ってたのに見そこねた〜! 
要潤さまはエリートの御曹司役ですってね!!  どんな役だろう? 
韓国ドラマだと主役のツンデレか恋のライバル(ほぼヒール)って役どころなんだが…


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『侍女の物語』進歩? 後退? 女性の未来は?

2017-01-11 11:11:02 | カナダの作家
THE HANDMAID'S TALE 
1985年 マーガレット・アトウッド

なにジャンルの小説なんでしょうね?
政治的なものなのか、フェミニズムなのか、娯楽小説… ってことはないか?
『1984年』っぽい感じもするし、『愛の嵐』的な雰囲気もありそうだし…
ともあれ、いろいろな側面から読めるおもしろい小説でした。

あらすじは長〜くなりそうなので、やめときます。
どうしてこんなことになったか… っていうのだけ書いてみますね。

舞台は旧アメリカ合衆国です。
大統領が暗殺されたり、町に軍服の人間がやたら増えたりと不穏な空気が漂い始めていた
ある日突然、女性は銀行口座を凍結されて仕事も解雇されます。
つまり、完全に男性の所有物になることを強いられたわけ。
どうやら原因は、出産率の低下と人口の激減にあったようです。

さらに、新たに “ ギレアデ ” となった国家の主導者はキリスト教を盾に、というか
新解釈で、人々を厳しい戒律と制度のもとに支配し始めます。

文字は読んでも書いてもダメで、雑誌・新聞禁止はおろか標識・店の看板も絵のみ。
男性と女性が勝手に会ったり結婚したり、それどころか目を合わせてもダメ
軍での功績をたたえられた人とか特権階級の男性たちのみが
男性から隔離されて育った白い服の “ 花嫁 ” をあてがわれることになります。

では、結婚していた人たちは?
指導部や特権階級の人たちはそのまま結婚生活を送ります。
妻が着るのはブルーの服で、未亡人になると黒い服を着ます。

貧しい人たちの妻は “ 便利妻 ” と呼ばれ、赤青緑のストライプの服を着ています。

独身女性で、年配だけど働ける者は、緑の服の “ 女中 ” になります。
働けないと “ 不完全女性 ” となってコロニーに送られます。

さて、“ 侍女 ” なんですけど、彼女たちは若くて子供が生めそうな女性、あるいは
生んだ経験がある女性です。
主人公の “ わたし ” 通称オブフレッドは、夫と幼い娘とカナダに逃亡しようとして捕まり
家族と引き離され、赤いセンターに送られて教育を受け、侍女になりました。

侍女が何するか? っていうと(もうわかったと思いますが)子供を産むわけさ。
それも相手の軍上層部とか特権階級の人の家に部屋を与えられ、女中に世話をしてもらい
食事には良いものを食べさせてもらい… いい身分に思えますね。
侍女は、顔を隠す白いヴェール以外は、全身赤いものを身につけます。

好きなものを食べたり好きな所へ出かける自由は無く、ほとんど部屋で過ごします。
父親になる相手とは二人きりで会ってはならず、決められた日に、服は脱がず
(年配の)妻の上に仰向けになり…
まさに “ 種を入れさせ、腹の中で育てる ” というのが仕事なのね。
子供を生む時は、やはり妻の前に座って産み、子供はすぐに妻に渡されるという仕組み。

バーカーバーカーしぃー! でも規則でちゃんと決められてるわけさ。

この話しが恐ろしいのは、ほんの数年前まで、この国は “ あの ” アメリカだった…
というところではないでしょうか?
だから十代ぐらいの子まで、自由で男女平等なアメリカを覚えてるし
好きな雑誌を読み、好きなだけ情報を手に入れていたことを忘れていないわけですよね。

でも、ほんの数年でプロパガンダが功を成し、密告や公開処刑が行われる状況で
みんなすっかり(表向きは)従順で禁欲的で清貧になってしまってるのね。
こわいよぉぉぉ… 人間てけっこう弱い生き物なのね。

こんな世の中がいいわけない! と思ってる人はいっっっっぱいいるわけで
この物語、どうなっていくんでしょう? と思いながらワクワク読んでいましたが
残りのページ数が少なくなっていくとともに、読めない展開に不安と焦りが募りました。

で、ラストにいきついても、本当のところどうなったのかわかんないんだけど
勝手に想像するしかないので、わたしはハッピーな方に解釈します。

女性をこんなに差別的に扱うとは! と怒り心頭の方も多いかもしれませんね。
フィクションですってば! 作り話ですから、ね!
ただ、ぜったいあり得ない話って思えないのが不安だわ…
まあ、私は侍女になることはないのだが…

侍女といえば、愛妾コーナーで出てくる愛妾が、けっこう王妃とか王女の侍女をしてて
王様の愛人になってるのよね。
この小説の侍女は、まったくもって宮廷の侍女とは仕事が異なるわけですが
近からずとも遠からず… って感じでしょうか?

さらに付け加えとくと、世界から見てもおかしな状態の国に、日本人観光客が訪れ
侍女に「写真撮らせてくれる?」とか聞いちゃうあたり…
当時よっぽどイメージ悪かったのね〜

こんな世の中が来るのか来ないのか…
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね



ひとこと科学の進歩っておそろしいコーナー
うかうかとピースサインができないなんて… スマホで写真がきれいに撮れるからって喜んでばかりもいられないっすね
だからって裏ピースも国によってはタブーみたいだし… これからは小さい♥でいくしかないね!


   
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スペイン女王イサベル2世王女 イサベル

2017-01-07 17:05:36 | スペイン王妃・王女
悲劇のハネムーンとその後
イサベル2世王女 イサベル・デ・ボルボン・イ・ボルボン
ジルジェンティ伯ガエターノ妃


1851〜1931

今回、ちょいと長いです。

イサベルはイサベル2世の長女です。
長男のフェルナンドは生まれてすぐ亡くなりました。

父親のカディス公は、子供たちに冷たく、よそよそしかったようです。
(ウワサどおりホモセクシャルで不能だったとしたら、自分の子じゃないんだもんね)
母親のイサベル2世も目まぐるしい統治と私生活に追われて
子供たちにかまわないことがよくありました。

イサベル2世は、長女イサベルに目をかけていたみたいで、多くの教育を施されました。
特に語学には力が入っていたみたいです。 どこにお嫁にいくかわからないものね。
イサベル自身は音楽と馬術が好きでした。

政治的理由から、両親の従弟にあたるガエターノとの結婚が持ち上がります。
ガエターノがスペインに到着すると、急ピッチで話が進められ数週間後に結婚しました。
イサベルは17歳、ガエターノは22歳でした。
       
ガエターノは、背が高く(お写真によるとハンサムで)心優しい人でした。
一方、イサベルは背が低く、従順でしたが保守的で頑固な性格でした。
似合いそう…っちゃあ似合いそうな二人ですね。

しかし、王家を守っていかなきゃいけない激動の時期に、なんで彼を選んだのかと思うんだが
ガエターノはからだが弱く、あまり知的ではなく、心も病んでいました。
家柄だけでよかったんですかね?
              
                お写真があるのでのせときます

結婚後、二人は、ローマやウィーン、フランスなどを巡る旅に出ます。
一応ハネムーンなんだけど、ガエターノの療養先を探すのがねらいでした。
なかなか見つからなかったんでしょうか? 旅は2年に及びます。

二人はスイスに落ち着くように思えましたが、ガエターノはそこで頭を射って自殺…
結婚生活は3年で終わりを告げました。

一生懸命尽した挙げ句に自ら命を絶たれてしまうなんて
女性にとっては大きな心の傷になりそうですね。
20歳の若い未亡人イサベルは喪に服すと、イサベル2世が亡命しているパリに戻り
弟や妹に勉強を教えたり、独りで暮らしている父親を訪ねたりして静かに暮らしました。

心に傷を負ったままイサベルのストーリーは終わってしまうのか… と思っていたら
1875年、イサベルの人生の第二幕が始まります。

弟のアルフォンソ12世が、スペイン共和国王として呼び戻されました。
未婚だったアルフォンソ12世は、ファーストレディとしてイサベルを選び
1ヶ月後にイサベルもスペインに戻ることになりました。
頼もしいお姉ちゃんに側にいてほしかったのかしら?

スペインでは、イサベルを再婚させようとして、バイエルン家か
ハプスブルク=ロートリンゲン家のどちらか… と縁談を進めていました。
イサベルが嫌がったのか二つの縁談は失敗し、イサベルは、妹の教育や
弟の妃メルセデスの世話にうちこみました。

メルセデスが亡くなった後、マリア・クリスティネをプッシュしたのもイサベルでした。
アルフォンソ12世の死後は、摂政になったマリア・クリスティネをサポートして
甥や姪から “ 第二のお母さま ” と慕われました。

イサベルは、アルフォンソ12世時代、甥のアルフォンソ13世時代で
宮廷でもっとも一目置かれる存在で、アルフォンソ13世失脚後は
共和国から国にとどまってほしいと懇願されましたが、これを拒否します。

イサベルは、宝石のほとんどを甥のアルフォンソ13世に譲り渡し亡命します。
そして、パリ到着後数日で亡くなりました。

意志が固い人だったみたいですね。
3年間だけ連れ添った夫を失った後は、まるで家族と国のためだけに生きてたみたい。
もしかしたら、もう再婚したくないほど辛い3年間だったのかもしれないけど
ロマンティックじゃないので、亡き夫への愛ゆえに… ということにしちゃいましょう。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことごあいさつコーナー
遅蒔きながら、あけましておめでとうございます
今年の年明けは、やっと当たった東急ジルベスターコンサートのダッタン人の踊りで華々しくむかえました!うふふ
良い年になるといいなぁ… 良い年にしたいなぁ…


   
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