まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『ベラミ』いつか痛い目にあってほしい

2013-07-09 22:47:55 | フランスの作家
BEL-AMI 
1885年 ギィ・ド・モーパッサン

モーパッサンの『ベラミ』はいつか買おうと思いつつやりすごしていたら
本屋さんで発見したので、大嫌いな映画化記念表紙だったのですけど買ってしまいました。

なんだか短篇と長編のモーパッサンは別人みたい…と思いつつ読んでましたが
策略とか愛憎と言ってるわりには、バルザックとかゾラみたいに
ドロドロ、グチャグチャ、おおげさ!という感じはせず、すらーと終わってしまいました。
素朴ささえ感じられます。
人の好さがそうさせたのでしょうか? っていい人かどうかは知らないんだが…

“ ベラミ ” というのは “ 麗しのきみ ” という意味だってことで
主人公はハンサムな士官あがりの青年ジョルジュ・デュロワです。

デュロワは退役後鉄道会社で働いているのですが、給料が少なくて困窮しています。
ある日街で士官時代の同僚シャルル・フォレスチエにばったり会い
誘われるままフォレスチエが働く新聞社に入ります。

と、いきなりあらすじに入ってしまったけどこのまま続けるね。

デュロワは新聞社で地位を得て羽振りがよく、しかも美しくて知的な妻マドレーヌを持つ
フォレスチエが羨ましくもあり妬ましくもあり… というわけで
自分もひたすら出世して金を持つ身分になりたいと願うようになります。

のし上がるための武器は美貌…ってことになるのでしょうね?
次々と女性を手に入れて、地位をあげていきます。

手に入れられちゃった女性は以下の通りです。
どういうふうに手に入れてどうなったかは、映画になってるから伏せとくね。

まずはフィレスチエの妻マドレーヌの友人クロチルド・ド・マレル夫人。
鉄道会社の視察官を夫に持つコケティッシュな女性ですけど出世にはあまり関係なさそう。
ただ、素敵なアパルトマンの一室は手にすることができました。

次にフォレスチエの妻マドレーヌの再婚相手になります。
お互いに計算づくの結婚で、夫婦というより同志みたいな感じです。
マドレーヌは記事の内容や書き方をアドバイスし、広い人脈、政治的裏情報を与えました。
デュロワは新聞社で地位を固めていきます。
しかし、この関係は長くは続かず…

そして自分を気に入っているらしい新聞社の経営者の妻ヴァルテール夫人。
信心深く夫に忠実な夫人をどうしても手に入れたくて、デュロワはいつになく苦労します。
そのかいがあって、夫人のみならず夫のヴァルテール氏の信頼まで得られたようです。
でもねぇ、夫人が真剣になりすぎて…デュロワは困り果てます。

しまった! 夫人よりヴァルテールには娘がいたじゃんか!! ということで
マドレーヌと手際よく別れたデュロワは次女シュザンヌにプロポーズします。
でもヴァルテールと夫人が許してくれるわけありませんね。
そこでデュロワはある作戦を実行して、まんまとヴァルテールの許可を得てしまいました。
夫人は断固反対するんだけど聞き入れられませんでした。

同じ男を愛してしまった母と娘でしょお… デュロワには本命が他にいるでしょお…
今後のこの一家が気にかかるわ~
デュロワの成功で終わっちゃって消化不良です。

デュロワは容姿だけで成り上がったわけではなさそうです。
文才も、大胆なところも勇気もありそうだし、世間の風も読めるみたいです。
ただ物語の中では “ 女を落とす!!” にフォーカスが当たっているもんでさ。

男だって女だって美貌を武器にできる人は存分に使っていただいて結構ですけど
いつか通用しなくなる時がくればいいのにぃ… なんて思うのは
武器にできないもののひがみです
美貌も才能もあれば言うことないですね… それはそれでひがむけど…

ひとことK-POPコーナー
テソンの『I LOVE YOU』を聴きました。
私は今までこの名曲と言われる歌を全篇通して聴いたことが無かったのですがいい歌なのね… 泣けてきた
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『新樹の言葉』前向き、後ろ向き…人生って複雑ね

2013-07-05 22:35:45 | 日本の作家

太宰 治

何冊か太宰治の短篇集を読んでまいりましたが、この『新樹の言葉』は
一番感想が書きづらい気分でいます。

今までの短篇集にも「貧乏で酒好きで情けないし、書けないし…もう死んじゃいたいよぉ」と
いう話がちりばめられていましたが、そこはかとなくユーモアがあったのですよね。
でもこの一冊のそういった題材をテーマにした話は、すごく悲しくなったんです。
中には冗談などをはさんでる話もあるのですが、かえって目頭が熱い…

収載されている話が多いせいか、他の短篇集より幅広いテーマで書かれている気がします。
でもほぼ全編寂しくって悲しい…
30歳前後に書かれている話が中心ですけど、何がそんなに悲しかったんだろう…

そんな中では比較的前向きと思われる、好きだった話をいくつかあげてみます。

『葉桜と魔笛/1939年』 
老婦人が語る35年前の思いで話… 松江に移り住んだ後妹の病は悪化しました。
死期がせまっていると思われた頃、妹宛の手紙の束を見つけました。
それはラブレターでしたが、相手はどうやら病を理由に妹を捨てたようです。

このあと、男への怒りと妹の不憫さを感じた姉はある行動にでます。
O・ヘンリ的な展開と言えるかしら?
死をテーマにしているはいますが、暗くならなかった良い物語でした。

『新樹の言葉/1939年』 
甲府に滞在中「義弟だ」という男の訪問を受けました。
怪訝に思いましたが会ってみると、子供の頃乳母だったおつるの息子幸吉だと言います。
幸吉に誘われ食事に出ますが、立派な料亭で支払が不安になります。

その料亭っていうのが、幸吉が昔住んでいて、家が落ちぶれ売られた家なのね。
この物語のラストを作者が言うように「勝利」と 言っていいのかどうかはわかりませんが
これで本当に過去がふっきれたかもしれないね。

『花燭/1939年』 
働くことなく親からの仕送りで暮らしている“ 男爵 ” と呼ばれる男性がいます。
気の弱さから人々にたかられているのですが、ある日しぶしぶ知り合いの仕事先である
撮影現場を見に行き、以前実家で女中をしていたとみに会いました。
とみは女優になっていましたが、懐かしそうに話しかけてきました。

この二人がゆくゆくうまくいくとは思えないんだが… まぁ、とみの思いが通じるといいね。
女性の力で男性が変わってくれればいいんですけどね… しかし、なぜこの男がいいかなぁ?

以上、前向きとは言え一抹の哀しさがぬぐい去れない三編をご紹介しました。

あとはねぇ、すごく気になった話を二つ。

恋人とは言えない大切な人と数日を過ごす『秋風記』
二人の微妙な関係と、尋常とは思えない死への憧憬と、女性の夫と子供が気にかかる一編。

安井夫人が、女学校時代の友人の駆け落ちを語る『誰も知らぬ』
なんだかものすごく情熱的な話に思えるのよね。
友人の方じゃなくて、若かりし頃の安井夫人がね。

読み終わってしんみりしちゃうよ… でも考え込むほど重いテーマとは思えない。
死を扱っているとはしても、あまりにも個人的で考え込んでられないのよ。
たぶん教訓を与えようと思って書いていたのでは無いのでしょうね。
世間には、“ 弱い ” というのではなく、生きることに馴染まない人もいるのだということを
知ってほしかったのかもしれませんね。

ネガティブとポジティブが一編の中で入り交じったような独特な感じです。
ネジティブとでも名付けちゃう? ポガティブよりいいよね?

ひとことK-POPコーナー
SHINeeのつづき… 私は3日間かなりいい席だったのですけど、毎回隣に母娘ペア、前に恋人ペアがいたの
皆で楽しめてよかったです。 キーペンの中2のお嬢ちゃん&ママ、とっても楽しかったですね
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ポーランド公ヴワディスワフ3世妃 ウツェヤ

2013-07-03 23:41:09 | ポーランド王妃
               こちらはコンラト1世妃アガフィア

けっこう長生きなのにエピソードひとつだけって・・・
ヴワディスワフ3世妃 ウツェヤ・ルギシュカ


生没年不詳/在位 1202~1206、1227~1229

ミェシュコ3世の二人目の妃エウドクシャの子で贔屓されてたらしいヴワディスワフの妃は
デンマーク王クヌート5世の孫娘にあたるウツェヤです。
           
1186年に結婚しているのですが、亡くなるまでに残っているエピソードは
ヘンリク1世と聖ヤドヴィカの末っ子の洗礼式に夫婦揃って出席したということ、ただひとつ。
(聖ヤドヴィカはこれから登場します)
お子様もおりませんので、母親としてのエピソードもありません。

夫婦で公の場に出たのが1回だけ? まさかね…
ヴワディスワフ3世は愛妾がたくさんいたらしいので夫婦仲が悪かったんですかね?

没年は不詳ですがヴワディスワフよりは長生きしたそうで、1131年頃だといわれています。
墓所も不明… 当時としてはけっこう長生きだと思うのですが
存在感が無い人だったんだろうか?

で、最高公が入れ替わり立ち替わりの合間に1210年から1年だけ最高公になった
ミェシュコ4世の妃ルドミワは、父親も不明なので割愛します。
ルドミワ(ルドミラ)という名はボヘミア系で、当時この名の女性がいたのは
プシェミスル家だけだったそうですが、キエフから嫁いできたって説もあり…



夫の信頼を失墜させた妃
コンラト1世妃 アガフィア・スヴァトスワヴナ


1190~1248/在位 1229~1232、1241~1243

ブワディスワフ3世の後を継いだコンラト1世妃はリューリク家の流れをくむアガフィア。
ということはキエフ方面ですかね?
ものすごく良い家柄とも思えないが、悪くもなさそうです。
       
もはや国内は敵だらけ…国外に味方を見つけようとするポーランドの継承者たちを
周辺の大国がほっとくわけないですよね?

アガフィアの父親はコンラトの兄レシェク1世の味方で
さらにポーランドにくい込もうとしていました。
そんなわけで二人は1207から1210年の間に結婚しました。

お子様も10人生まれ、結婚生活は順調だったようですが
1239年、一家に暗雲がたちこめました。

コンラトとアガフィアの公子カジミェシュは、ヘンリク2世の公女コンスタンチアと
結婚したのですが、これに対し、長年一家に尽くし、子どもたちの家庭教師もしていた
ヨン・ハロン(?)がいい顔をしませんでした。
さらにはコンラトの統治にも不満を表すようになります。
さてはコンスタンチアが好きだったの? ま、まさかカジミェシュのことが…?

ハロンはどうやら謀反をおこしたみたいで、有罪になります。
拷問 → 公開縛り首という、The 中世な刑が行われたわけですが
判決から処刑、さらに処刑後のアガフィアの行動がすごかったみたい。

あまりの酷さにグニェズノ大司教はコンラトとアガフィアに破門を言い渡しました。
二人はミサにも行けず、国内での宗教行事にも参加できませんね。
当時の王侯貴族にとって破門ほど恐ろしいことはありません。

コンラトは信頼も人望も失ってしまいました。
困り果てたのか、グニェズノまで出向き赦免を手に入れています。

それでなくても敵の多いポーランドの君主継承権争い…
夫が暴走したら諌める方にまわらなければならないのに、夫より目立っちゃダメね。

10人の子どものうち5人は公子ですが、誰ひとり最高公についていません。
さてはこの件で後援者を失ったか?

没年は不詳ですがコンラトよりは長生きしたそうです。

良いエピソードではありませんが、少しは存在感がある妃がいて良かったです。
そうじゃないとずーっと、エピソードが無いって書き続けなければならないからね。
それはそれでつらい…

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
SHINeeのさいたまスーパーアリーナ! 横浜から3日間通ったわよ!! そしてすごくすごーく良かったわよぉ
終わっちゃって今脱力中… 名古屋の追加が出たら応募しようと真剣に考えてます。 旦那は猛反対中
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