まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『碾臼』じれったくも凛々しい物語

2012-10-30 22:01:30 | イギリス・アイルランドの作家
THE MILLSTONE 
1965年 マーガレット・ドラブル

この本は自由が丘にある古本屋さんで買いました。
その古本屋さんには百円コーナーがあって、とんでもない掘り出し物があるの。

百円だったので手を出してみた一冊で、特に期待はしていませんでした。
出だしが若者都会派小説みたいに思えたので「あちゃ~」と後悔しつつ読み始めたのですが
読んでいたらだんだん面白くなってきて、すぐに読み終えてしまいました。

アフリカに赴任中の両親が残していってくれた高級住宅街のフラットで暮らしている
ロザマンドは、ある日妊娠したことに気がつきました。

ロザマンドは作家のジョーと計理士のロージャーと遊び歩いていましたが
思わせぶりに接するだけで、深い関係ではありませんでした。
相手はBBCラジオのアナウンサーのジョージでした。

ここで注目!
ロザマンドは初めてのセックスで子を宿したのね。
しかも、セックスの後の彼の態度で自分は嫌われたと思ってしまい
次の約束もできず、会いにも行けなくなります。
月日は流れ妊娠…

詩の研究家のロザマンドは、仕事は安定していないし、論文を書く時間が必要です。
子供が特に好きなわけでもありません。
というわけで、なんの躊躇もせず(堕ろすために)産婦人科を訪ねて行くのですが
そこで「産んで当たり前」という態度で接する医者に会い
疲れきった様子の待合室の妊婦たちを目にして、いきなり生む決心をします。

友人たち、個人教授をしている生徒たちには相手がわかるまで黙っていました。
両親や兄には言いませんでした。
子供の父親であるジョージにも伝えませんでした。

ロザマンドの妊娠を知った人たちの反応は様々でした。
きっと助けてくれると信じていた姉ベアトリスの猛反対にはショックを受けました。

いろいろあるんだけど端折ってくね。
ロザマンドはオクテイヴィアという娘を生み、深い愛を注ぐようになります。

「子供がこんなに愛おしい存在だったなんて!」と感動に浸るのも束の間
オクテイヴィアが重い病であることがわかり、難しい手術をすることになります。

全編通してロザマンドは自分の言いたいことを飲み込んでしまう
“ 忍耐の人 ” という印象なのですが、入院した子供に会うために
看護婦長と戦う時には自分を爆発させます。
我が子を思う母親の強さとはこういうものなのかと思わされました。

ロザマンドのジョージへの愛は変わらないのですが
相手には何も告げることなく娘と二人の生活を続けます。
二人は近くにいるにもかかわらず再会すること無く時が過ぎて行きますが
ある夜とうとう再会します。
しばらく会話を交わした後、ロザマンドはジョージを自宅に誘いました。

この物語のラストへの印象は、読む人の結婚観とか結婚経験で二つにわかれそう…
私としては “ 一般的な ” ハッピーエンドに終わってほしかったのですが
作者の意図は違っていたようです。

読んでいる最中、平凡な私は、早く相手に打ち明けて責任をとらせればいいじゃんよ~!
あるいは、友人の誰かに打ち明けたことから相手の耳に入り…なんて韓流的流れを期待しつつ
ちょっとイライラしながら読んでいました。

でも読後は、何も語らず、全てを自分で決めて、自分一人で引き受けようとする女性の姿に
羨ましさを覚えました。
“ 凛としている ” というのは、こういうことを言うんじゃないかしら?
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『月と六ペンス』興味が無い人の過去もまた…

2012-10-26 21:56:47 | イギリス・アイルランドの作家
THE MOON AND SIXPENCE 
1919年 サマセット・モーム

ブログの草稿半減キャンペーン中につき、本日も読書感想文です。
今日のBGMはZE:Aでございます。

『月と六ペンス』は高校生の時になぜか仲間内で流行って読んだのですが
あまり印象に残っていなかったんですよね。
ただモデルがゴーギャンというのは覚えていました。

最近は行っていないのですが、美術展は好きです。
でも綺麗にまとまった感がある風景画とか婦人の肖像画が好きでして
この小説のモデルになっているゴーギャンは別に好きではないんですよねぇ…
それに偉人の人生にもあんまり興味がないので伝記も読まないんですよねぇ…

だからゴーギャンの伝記だったら再読することはなかったと思うのですが
あくまでもモームの小説ってことで再読する気になりました。

ゴーギャンとは違って、主人公はチャールズ・ストリックランドという英国人です。

処女作を書いている頃に知り合った株仲買人の妻エイミーは
とても気持が良い婦人で、良妻賢母、そして芸術家たちの理解者でした。
エイミーのお茶会や晩餐に訪れるうちに、夫ストリックランドに紹介されましたが
まったく凡庸な社交が苦手な40代の中流紳士でした。

しかし、その秋ストリックランドがいきなり家を出てしまいます。
エイミーの依頼でパリへ出向くと、ストリックランドは汚いホテルの一室で
薄汚れた姿で暮らしていました。
そして「絵が描きたい、ロンドンへは帰らない」と言い張ります。

5年後、パリで暮らすことになりストリックランドに再会しました。
彼は描きたいものだけを描き、生活はあいかわらず苦しそうでした。
ストリックランドにはオランダ人のストルーヴという熱烈な信奉者がついていました。

ストルーヴはどんなに冷たくあしらわれ馬鹿にされてもストリックランドを崇め
世話を焼いていて、自慢の妻ブランシュをストリックランドに寝取られた時でさえ
自分の立場より二人の行く末を気遣ったほどです。

しかしストリックランドとブランシュの関係は悲劇的に終わり
ストリックランドはいきなりマルセイユに発って行きました。

15年後に訪れたタヒチで、死後名声を得ていたストリックランドの
島での暮らしぶりと壮絶な最期を聞かされます。

と、ここまで書いてきてあることを思いつきました。

これは(本人は否定しているけど)トマス・ハーディがモデルとされている
『お菓子とビール』と構成が酷似しているのでは?

作者が語り手となって主人公の思い出を記してみよう…という出だしがあり
出会ってちょっとした付き合いがあった後、しばらくして再会、
親しい付き合いが合って再びの別れ、何年も後に事実をしることになり、
遺された妻に伝記の話が舞い込むという流れ。
そして、実は自分は妻が知らないある事実を知っているんだけど
それは言わないでおきましょう…という心配り(?)

どちらもモームらしく、短編がいくつも盛り込まれたような充実ぶりと
淡々とした中に隠されたドラマティックな展開があり、
脇役たちのパーソナリティーの瑞々しい描写がありと、おもしろく読めました。

ラストに向かって徐々にストリックランドの “ 壮絶さ ” が加速して行きます。
そんなところはさすがモーム! でございます。
モームはゴーギャンの生き様を借りて天才の狂気を描きたかったのかもしれませんね。

でも、いかんいかんと思いつつ、どうしてもモデルがちらつく…
ハーディはなんだかんだで好きで読んでるから、主人公に多少の同情を持てましたが
ゴーギャンの絵には興味ないのでね… 最後までGoing my wayな主人公が好きになれず
なんだかゴーギャン本人まで嫌いになりそうよ。
(すみません… 本当のゴーギャンがどうだったのかはまったく知りません)

先入観から入った私の読み方が悪かったのね…
名著の誉れ高い一冊ですから、一読の価値はあると思います。
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『and other stories』訳者がすごいのよ!

2012-10-12 20:13:37 | アメリカの作家

W・P・キンセラ/W・キトリッジ/R・スケニック/G・ペイリー
S・ダイベック/S・ミルハウザー/D・シュウォーツ/J・F・パワーズ
J・A・フィリップス/M・モリス/D・パーカー

アメリカの作家の短編を集めた一冊ですけど、錚々たる訳者陣なのよ。
村上春樹氏、柴田元幸氏、斎藤英治氏、川本三郎氏…常々読ましていただいてます。
すみません、畑中佳樹氏は覚えが無かったのですけど『モーテル・クロニクルズ』は
持ってますので今度読んでみます。

収載されている物語には村上春樹氏によるグレイス・ペイリー2篇を筆頭に
ちょいと私ではついてゆけないものがいくつかありました。
これは完全に私の読書脳がコンテンポラリー向きじゃないせいで
作家、訳者の方々、ならびに作品がつまらないと言っているわけではございません。

読んでいて「あぁ、引き離されていく~!」と感じました。
20世紀末の傑作を知ることのないまま一生を終えそうで怖いわ…

では、気になった物語をいくつかご紹介します。

『イン・ザ・ペニー・アーケード
        (In The Penny Arcade)/1981年 S・ミルハウザー』
12歳の誕生日、両親をゲートに残して独りでペニー・アーケードに入りました。
カウボーイ人形はのろのろとピストルを抜き、覗き眼鏡の女性は期待はずれでした。
すっかり廃れたアーケードを進み、ロープの奥の暗闇を覗き込んだとき景色が一変します。

訳者は柴田元幸さんなのですけど、ミルハウザーは同氏の『夜の姉妹団』でも
紹介されていて、なんとなく好きでした。
少し恐ろしく非現実的なようで、青春時代になら体験できそうなピュアさと
1970年、80年代ぽいノスタルジアが、そこはかとなく漂っています。

『愛で責任が始まる(In Dreams Began Responsibilities)/1937年 D・シュワーツ』
1909年、映画館にいるようです。
そしてスクリーンには結婚前のパパとママが映っていて、デートにでかけるようです。
二人はコニーアイランドのレストランに入り、パパがママにプロポーズをしました。
撲は思わず立ち上がり「結婚しちゃいけない!」と叫んでいました。

あらら、けっこう古い作品でしたが、80年近く前の作品とは思えない新鮮さです。
二人の将来を知っている息子の心の叫び…なんか怖いですね。
結婚前の二人は誰が見ても幸せそうなものですが、いつまで続くかは人それぞれ…
あまりにベタベタしている芸能人夫婦とか見ると、離婚する時が心配(&楽しみ)になる私。
大きなお世話ですよね。

『嵐の孤児(Orphans of the Storm)/1985年 M・モリス』
休日になると血がつながっていない姉アリスと夫ジムの家を訪ねていました。
美しく完璧なアリスは15年間ジムに夢中です。
アリスとジムの夫妻、そして二人の娘たちの家庭は完璧です。
アリスの誕生日に訪ねると、アリスは山のようなジムの衣類を洗濯中でした。

はっきりとしたテーマがある話ではないのですが、文章の流れがとても好きな一編でした。
アリスが洗濯をしていたわけは、夫の衣服に香水のにおいがついていたから…
15年間熱愛していた夫の浮気を知った後のアリスの行動は…見習いたいぞ!
このまま終わってしまうわけでもなさそうな余韻も心憎いラストでございました。

多くの作品を手がけてきた訳者がお気に入りを持ち寄った一冊なのでしょうね。
好みの違いが反映されている分ブツ切り感は否めませんが
好きか嫌いかはさておき、この5人で一冊の短篇集を発刊できたというのは快挙では?

文藝春秋! ありがとう!!
欧米文学好きには素敵な贈り物でございました。
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『ナターシャ』異国で肩を寄せ合う難しさ

2012-10-08 07:23:41 | カナダの作家
NATASHA AND OTHER STORIES 
2004年 デヴィッド・ベズモーズギス

この本は表紙の雰囲気が好きで… 所謂ジャケ買いってやつですね。
しかしながら、表紙と内容があまりリンクしていない一冊でした。

作者はカナダ在住だそうですが、子供の頃移住してきたロシア系ユダヤ難民だそうです。
自叙伝なのかな?
一人の男性の子供時代から青年期までのエピソードが断片的に語られています。

文章や雰囲気はざっくり見ると好きなタイプの作風なんですが
ロシア問題とユダヤ問題が随所に書かれていて、両方にほとんど馴染みも知識もない私は
入り込んで読んで共感する…というところまではいけませんでした。

気になったお話しをいくつかご紹介します。

『タプカ(Tapca)』
同じアパートに住む子供がいないナスモフスキー夫婦がロシアから連れて来て
生活が苦しい中、我が子同様の愛情を注いでいる犬のタプカの散歩係に
従姉のヤナと二人指名されました。
ある日散歩中にヤナと大喧嘩をしてしまい、タプカが車に轢かれてしまいました。

何年も一緒に暮らし、国を出るという長く侘しいルートを一緒に旅して来た、
いわば “ 我が子 ” ですよね。
異国の同胞として家族のように接して来た隣人の不注意で死に瀕してしまうとは…
なかなか想像がつきませんが、かなりつらかろう… ラストはちょっと寒気がしました。

『世界で二番目に強い男(The Seond Strongest Man)』
1984年、カナダで重量挙げの選手権が開かれ父が審査員を務めることになりました。
ソ連選手団のコーチは父の元パートナージスキン、花形選手は父が見出したセリョージャ、
ホテルに二人を訪ねて行くと、KGB職員は父の顔見知りでした。
父と母はセリョージャを食事に誘うことにしました。

セリョージャはソ連ではスターで、少年が普段着れないような高い服を買ってくれるのね。
ですが自由はないの、KGBが常に彼の行方を把握しております。
どちらの暮らしが羨ましいかというのは聞くまでもないですが
自由と知る権利を奪われた国が存在した(する)という事実はあるんですよね。
異なる主義を掲げる二つの世界を知る人たちの複雑な心境が語られているような気がします。

『ミニヤン(Miniyan)』
祖母の死後、人脈を駆使し苦労の末祖父が入居したユダヤ人国際結社が保有する住宅には
男二人で暮らすハーシェルとイツィクがいました。
二人にはある噂があり、入居者たちは二人を追い出して自分の知人を入居させようと
ガバイ(ユダヤ教指導者)のザルマンに詰め寄ります。

連れ合いの死後同性二人が暮らすというのは、女性同士だとけっこう涙あり笑いあり的な
物語になりやすいイメージなんですが、男性同士だと陰鬱になりそうですわね…
独りになって寂しくなった者同士、集まって暮らしてもいいじゃないか! 優しく見守ろう。
イヤ~な話のまま終わるかと終わったら、最後の最後にザルマンがっ…見直しましたよ。

そうねぇ…アーウィン・ショーとかマラマッドを読んだ時にも
同じような印象を受けたような気がしますが、もう少し個人的なテーマだったんですよね。

この一冊からは異国における同胞たちの強い繋がりが滲み出ている気がします。
ロシア系ユダヤ人コミュティというのがかなり強固なものだ、というのはわかりました。
それが国民性によるものか、移住の事情によるものか…それはよくわかりませんが
移住者のほとんどが嫌々国を出て来たということも感じられました。

しかし、追放された同胞だからというだけで寄り集まった人々…
故国ではまったく接点がないような身分・職業・地域の人たちの寄せ集めです。
仲間のようでいて見え隠れする優越感や劣等感、意識の違いなど
おつきあいは簡単ではなさそうです。

ソ連が崩壊した後、作者一家や移住を嘆いていたコミュニティの人々が
ロシアに里帰りができていたらよいですね。
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『マンスフィールド作品集』最後(のつもり)ですから…

2012-10-07 01:36:23 | イギリス・アイルランドの作家
COLLECTED STORIES OF KATHERINE MANSFIELD 
キャサリン・マンスフィールド

なにしろ読書感想文の草稿が30個ぐらいたまってまして…
しばらくの間、読書感想文下書き半減キャンペーンを展開しますね。

さてマンスフィールド… いくら好きだからって、しつこいですよね。
彼女の作品、大好きなんですよねぇ…
だからできるだけ紹介したくって書いてしまいました。

岩波文庫新潮文庫ちくま文庫とマンスフィールドの短篇集をご紹介してきました。

この文化書房博文社版に収載されているのは12篇で、ほとんど紹介ずみなのですけどね…
紹介しきれなかったよいお話しをあげてみます。
これにてマンスフィールド短篇集は打ち止めのつもり…

『人形の家(The Doll's House)/1921年』
バーネル姉妹はヘイおばさんから大きなドールハウスをもらいました。
学校で自慢話をすると早速クラスメイトの少女たちが見に来ました。
あらかたの少女たちが見終わると、末娘のケザイアは学校中の嫌われ者ケルヴィ姉妹に
ドールハウスを見せてあげようとしてお母さんに反対されます。

大人も子供も、地域全体を通じて歴然とある差別のお話しですが
主人公が小さな女の子たちなだけにいっそう悲しい気分になりますね。
当時の中流階級のキリスト教的慈善精神と近所づきあいの矛盾を皮肉っているみたいでした。
それはさておき、読んでいたら立派なドールハウスと内装品が浮かんでワクワクしました。

『小さな女の子(The Little Girl)/1910年』
小さなケザイアはなにしろお父さまを恐れ、避けるように暮らしていました。
ケザイアはお父さまのお誕生日を祝うため綺麗な薄紙を裂いて針刺しを作ることにしますが
その紙はお父さまの大切な書類で、さらに恐ろしい顔のお父さまに叱られてしまいます。
そんな中、お母さまが急に病気になり、ケザイアはお父さまと二人で家に残されます。

反抗期以降、怒鳴られても殴られても平気だったけど、小さい頃は父親が怖かったですね。
家は典型的な昭和頑固おやじだったので、すぐカーっとするわ、声でかいわ…
怒られてばかりでした。
長い反抗期でしたけど、ふと解ける瞬間があったなぁ…そんなことを思い出した一編でした。

『カナリヤ(The Canary)/1922年』
老婦人がカナリヤを亡くしてしまった悲しみを語ります。
“ あの子 ” がどんなに歌を上手く歌い、どんなに可愛らしく婦人の気を惹こうとしたか…
“ あの子 ” が婦人がしてくれる世話にどれだけ感謝し理解してくれていたか…
朝起きてから夜眠るまで、二人だけの時間がどんなに穏やかで楽しかったか…

マンスフィールドが死の前年に書いた最後の作品だそうで
小鳥の思い出を語るという、一見他愛無い話の中にものすごく深い悲しみが表されています。
同年に書いた『蠅』というお話しもけっこう救いようが無い気がしていますが
『カナリヤ』はひねりが無いだけに、ストレートに胸にくるものがありましたね。

けっこうな数の物語が4冊の短篇集の中で重複していたのですが
何度読んでも楽しく、その都度小さな歓びに出会うことができました。

ブロンテ姉妹、ジェーン・オースティン同様、早世してしまったのが残念です。
老境に入ってからの世界観も読ませていただきたかったですね。

とりあえず、手持ちのマンスフィールドは読みつくしてしまったので
他に短篇集は出ていないものか探しまわっている今日このごろです。

ところで、以前モームの『クリスマスの休暇』でも愚痴った邦題の違いの件ですが
マンスフィールド短篇集の中にもいくつかありました。
その中でもA Dill Picleというお話しがありまして
ちくま文庫では『ディル風味のピクルス』だったのですが
文化書房版では『いのんど漬』になってるんですよね。
調べたところ、イノンドっていう薬草はあるそうです。
でも素直にディルのピクルスって言ってもらった方が解り易い気がするんですけどね。
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『うるう年の恋人たち』おもしろすぎる! いくつもの恋もよう

2012-10-03 23:49:05 | アメリカの作家
LEAP YEAR 
1990年 ピーター・キャメロン

『ママがプールを洗う日』がことの他面白かったので
この本は発売当時に買って読んだはずなのですが、あまり覚えていませんでした。
で、『最終目的地』があまりに面白かったものでいつか読み返そう!!と思ってました。

読み返して良かったよぉ すごくおもしろかったです。

何組かの男女の恋愛もようが絡み合う…
というよりは、あまりにもランダムにちりばめられていて読みづらいところもありますが
いやいや、そのとりとめの無さも物語をぐっとおもしろくしているのです。

難しいんだけど、ちょっとあらすじを書いてみますね。

デイヴィッド・パリッシュという機内誌の編集者がいます。
別れた妻ローレンとの間にケイトという娘がいます。
ウェイター兼カメラマンのヒース・ジャクソンという男性の恋人がいます。

ローレンにはグレゴリー・マンシーニというテレビ局勤務の恋人がいます。

ローレンの母ジュディスは夫のレナードがインドにいっている間ニューヨークに来ていて
そしてヴェトナム人男性ヘンリー・ファンクと知り合いました。

ヒースはアマンダ・パインという女性から、いきなり写真展の開催を打診されます。
アマンダはボスであるギャラリー経営者アントン・ショーワンガングと
愛人関係にありましたが、別れてしばらくたっていました。
アントンは出て行った妻ソランジをパリまで追いかけヨリを戻すことにしました。

ローレンの親友リリアンはどうしても子供が欲しくて
デイヴィッドの激励に力づけられ精子バンクに登録しました。

これらの人々の愛が深まったり冷めたりしている間にいろいろな事件がおこって
愛の行方が変わったりするんだけど… どう書けばいいのかな?

グレゴリーはロス勤務が決まったのを機にローレンにプロポーズしますが
ローレンは迷います。
そんなおり、ケイトがお友達の父親に誘拐されます。

ヒースは写真展の開催が決まりました。
しかし、オープニングパーティー会場でソランジが撃たれ
ヒースは犯人にされてしまいます。

ジュディスは「いけないわ」と思いつつヘンリーと深い関係になりますが
レナードがいきなり帰国し、関係を知られてしまいました。

リリアンは見事身ごもりましたが、その直後、愛する男性は誰かに気付きます。

もう、目白押しですよね!
しかも、意識不明から回復しそうになるソランジを狙う真犯人とか
デイヴィッドとローレンの復縁話とか、リリアンのお腹の子(精子)の父親とか
エピソードはあとからあとから出てきます。

普通、これだけ様々な要素が盛り込まれていれば、忙しくて落ち着きがない
ワサワサした物語になりそうですが、この本にはそんなところがありません。
冷静に、クールに物語は進みます。

登場人物のパーソナリティを絶妙にぼかし、時間軸を見事に交差させて
あれよあれよという間にエピソードが展開していき、クライマックスへ。
物語好きにはたまらない、ほんとぉぉぉにすごく良い一冊だったですよ。

ピーター・キャメロンはおもしろいなぁ…
他に翻訳された本はないのかしら? ってことで、今からAmazonで探してみます。
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ポーランド公ミェシュコ1世妃 オダ

2012-10-02 21:37:37 | ポーランド王妃
        画像が無いのでピャスト家の人が改宗した時の絵から切り抜いてみました
                     修道女っぽく見えるし…


人物像で迷っています
ミェシュコ1世妃 オダ・ディトリコヴナ


955~1023/在位 978~992

ドゥブワヴァを亡くしたミェシュコ1世は、翌年か翌々年にオダと再婚していますが
その方法が… The 中世! って感じ。

オダはノルドマルク辺境伯ディートリッヒの娘で、カルベという町で成長し
そこで修道女になったと考えられています。

ところが、妃を亡くしたミェシュコがやって来てオダを連れ去り(!)即再婚。
美しいとかいう噂でもたっていたのでしょうかね?
それとも前々から狙っていたとか…
           
たしかハンガリーでも王様が娘さんを修道院から奪ってますが(ペーテル妃ユディト
流行り? ワイルドさのアピールとか?

オダは少なくとも3人の公子を生んでいますが、次男シュヴィエントペウク(?)は
ミェシュコ1世の存命中に亡くなっています。

ミェシュコ1世にはドゥブワヴァが生んだ長男ボレスワフ(1世)がいましたが
長男に領土全土を継承させず、オダが生んだ息子たちにも分け与えると書き記していました。
これはどうやらオダがせっついて書かせたものらしいです。

オダはミェシュコの死後、息子たちの地位がちゃんと保証されるようにしたかったんですね。
そりゃそうだろう…
異父兄が(実兄でさえ)国を継いだ後、酷い目にあってる王子たちがたくさんいるものね。

けれども、やっぱり、ボレスワフ1世はミェシュコ1世が亡くなると
オダが生んだミェシュコとランベルトと紛争を始めてます。
この争いは数週間で終わったとも3年ぐらいかかったとも言われていますが
いずれにしてもボレスワフ1世が勝利してミェシュコ1世の全ての領土を手に入れました。

オダはボレスワフ1世に追放されてドイツに戻り、クヴェードリンブルク修道院に入って
その後30年間修道女として過ごし亡くなりました。

パーソナリティがさっぱりわからず、唯一語られているエピソードが
ミェシュコにせっついて息子に領土を分けさせた、ってことになると
強欲でわがままな若妻… みたいな印象ですが、そうとも言いきれないわよね。

どうみても不利な立場にいる息子たちの将来を安泰にしてあげたいっていうのは当然の親心。
一生懸命お願いして書き残してもらったとも考えられますよね。

ポーランドにいる間以外はほぼ修道院にいて、しかも修道女として過ごしてるのですもの。
実はもの静かで控えめな人だったかもしれない…
だとしたら、連れ去ったりしないで静かに人生を送らせてあげればよかったものを…

権力欲の強い継母 ? 子供のためにと似合わぬ権力闘争に口を出した母の愛か?
どちらのタイプなのかさっぱり見えないですね。

ミェシュコとランベルトはこの争いで戦死したのか
ポーランドから追放されたかがちょっとわからないのですが
1032年に二人のどちらかの息子であるディトリックがポーランドに戻り
当時の君主ミェシュコ2世の失脚後、一部の領土を手に入れています。
1年後には奪い返されちゃうんだけどね…

他の王国の草創期同様、ポーランドもまだまだ混沌としている時代でした。
いくら王様といっても、危険が一杯の男性に嫁ぐのはいやですよねぇ…
お姫さまっていう身分も楽じゃない! って感じですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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